人工精霊使い その9
ミリクトン研究室でのお茶会は、和やかかと問われるとやや怪しいが、それでも一応はお疲れ様会の体での集まりだった。
そんな中、マハラニが突如目を細め、何もない壁を見やる。
いや、壁など見てはいない、もっと先を視ていた。
「……哀れな男」
ミムはその言葉の意味を捉えられなかった。シムリンに至ってはミリクから貰った本に意識が行っており、気付きすらしなかった。
だがそれは仕方ないだろう。現時点で他にそれが分かる者と言えば、それこそミリクと、『教皇』として敬われる者ぐらいなのだから。
その男は本来、『黒』の枢機卿の座を狙っていた。
遺跡の遺物、聖遺物、神が地上に御使いを遣わしたその証。
それに近づきたかった。
触れたかった。
感じたかった。
己の体で、心で、魂で。
その一途な祈りを挫かれ、『青』の座に収まったことも彼にとっては敬愛する神からの『天の試練』であったし、今にして思えばチャンスでもあった。
『青』の枢機卿はあらゆる祭儀を司り、冠婚葬祭を取りまとめ、人の生き死にを、その名前を管理する。
その情報網は即応性がなく薄いものの、とにかく広い。
噂や伝承を多角的に判断し、彼の求めてやまないいくつかの“候補地”を推測できる域に、彼は達していた。
だから──あとは実際に行って確かめるだけだった。
だから──ついつい目の前に現れた『寵愛』に手が滑ったことでその座からも解任され、全ての財貨、人脈、権限を奪われ、路頭に放逐され、事実上の破門に等しい状態にあっても──彼にとっては些事であった。
何せ聖都から最も近い──それでも国境付近になるが──“候補地”の一つが当たりだったのだ。
そしてその男は『黒』の座を狙っていたが故に、遺跡に精通していた。
実際に遺跡探索に同行する、一級鑑定士でもあった。
神聖魔法の“鑑定”と錬金魔法の“鑑定”の大きな違いは、その原理が神からの啓示か、己の知識との照合か。つまり、神の言語の言葉の意味がある程度理解できるなら、未知の情報さえも引き出しえるのが、神聖魔法の“鑑定”。
故に彼は、遺跡の奥の部屋の朽ちかけた棚に奇蹟的に無事残っていた、掌に収まるサイズの数個のガラスのような素材の直方体が、どういう物かは知らなかったが、どう使う物なのかははっきりと分かった。
その内部は従来の魔法陣とは全く異なる緻密な幾何学紋様が張り巡らされ、構造色的な玉虫色の輝きを魅せる。
そこへ魔力を流せば、内部の紋様が虹色の無数の軌跡を煌めかせた。彼の口が、想い人への愛の言葉のように、甘く、求めるままに、『原典』にもある言葉を紡ぐ。
「『インストール』」
しかし──彼、ナーシサスは、失われた叡智と神の奇蹟の区別がついていなかった。
そうして、彼は自身と結びついたそれを“天使”だと勘違いし、自身を『神の使徒』だと勘違いした。
秋も終わりに近づき、冬の気配も見え始めたこの時期、ティータイムも午後の授業も終われば、短くなった日はすぐさま落ちる。
窓の月と魔法灯の光が照らす校内の廊下は、行き交う人の数を減らしていた。
──コンコンコン。
三度ノックされたその音の源は、本来この扉を叩く者としてはあり得ないほど低い位置。
だがその部屋の主は疑問に思いつつも嬉々として扉を開ける。何せ誰なのかはすぐに分かったからだ。しかし、何故来たのかは分からなかった。
「こんにちは、らんびばざーさん」
「こんにちは、ミリクトン教授。どうしました?」
普段ミリクがランビバザー研究室を訪れるのは、強力な消臭剤と特製石鹸の補充だ。
大体月に二回程度の頻度だが、石鹸は地味に香りのバリエーションがあり、人気に偏りがある。ランビバザーが愛用しているのは“深緑の揺り籠”と“ふわふわ花畑ミルク”だ。
「というかもう結構暗い時間ですが、大丈夫ですか?」
「だいじょーぶ。それより、らいしゅー、ふぃーるどわーくにいく?」
ランビバザーに案内され教授室のソファーにぽすりと座り込んだミリクが質問を投げかける。いや、これは質問というよりは前座だろうか、とランビバザーは考えを巡らせる。
フィールドワークとは、いわゆる現地調査だ。
特に魔物の生態研究を主としているランビバザー研究室では、実際に魔物を探索、観察、捕縛、解体、分析、考察、レポート作成まで行なう、冒険者ばりの過酷な内容のもの。最後まで参加しきり、レポートを出しさえすればそれだけで単位が出るが、それでもなお半数はリタイアする。
ある種の通過儀礼であり、完遂した者は皆、顔付きや人格が変わるとまで言われる。
「はい。来週一年目と三年目の研究室生を中心にして、僕の実家でもある、ティースタバレー辺境伯領にある、ティスタ河の段丘近辺の生態調査をしますね」
キャッスルトン王国の東方国境である急流の大河川、ティスタ河。それに沿うように存在するのが、王国内で最も細長いと言われる領、ティースタバレー辺境伯領。
ランビバザー・ティースタバレーは、その辺境伯家の五男だ。
彼は家督の継承権を捨てているため、本来のフルネームであるランビバザー・フォープ・クローナル・ティースタバレーとは名乗っていない。
長男は次期当主として領都の内政を任され、次男はその補佐。三男と四男は南方の海側、北方の山側のそれぞれにある中核都市の代官を務めている。
そして余った五男は、気ままに魔物を狩ったり解体したり観察したり全身を魔物の血で鮮やかな色にしたり兄達に魔物の臓腑を投げながら笑顔で追い回してガチ泣きさせたりした末に出奔。いつの間にやら王都の最高学府の教授にまでなってしまった。
兄達からは二十年近く経っても未だに、“肝投げラビー”と恐れられている。
学内では講義を受ける女生徒らから、爽やか童顔かわいめ系イケメンと地味に人気を集めているが、研究室生達はそんな彼がその目をキラキラさせながら魔物をバラバラにキルキルしている姿を間近で目の当たりにすることになる。
つまり件のフィールドワークは、一年目研究室生にとって水筒と吐き気止めが必須の内容になることが確定している。
「十日間ほどの予定です。といっても大半は馬車での移動時間で、実際フィールドワークができるのは三日程度ですけどね」
旅程を簡単に説明し、微笑むランビバザー。しかしミリクは無表情のまま傍らの鞄を弄ると、黒い光沢を放つ杖を取り出した。
一見すると魔法道具の専門店でも珍しくない短剣ほどの長さの普通の杖。違っているとすれば、柄の部分だ。
本来なら、魔力制御を補助するための、魔石と魔法陣の刻まれた金属箔で構成されているはずの持ち手が、見たことのない物になっている。
それは、上半分が黄金色の金属棒を中心にその周りを虹色の光を反射する微細で緻密な模様が立体的に配置された――まるで遺物のような――ルチルクォーツのようにも思える結晶体、下半分が表面がガラスで覆われた金属製の円柱。
ミリクは無言でその杖を手渡す。さらにその持ち手の金属部分だけの部品をもう一つ取り出し卓上に並べた。
「そのしたのとこは、しょーもーひんなので、なかみがからになったら、つけかえて。ひねったらとれる」
ミリクの手の動きに合わせて軽くひねると、ぱちんと音がしてそのままスルリと下の部分が取れた。
結晶体内の黄金色の棒材は下の部分まで伸びていて、下の部品の中心部にはその棒に差し込むための小さい穴が開いていた。
「この中の金属が……無くなるんですか?」
「つかったらなくなってく。おれんじで5かいぶんくらい、かなー?」
「オレンジ? 使う……というのは魔法を、ですか?」
「んー。そのつえには、かそーせーれーがはいってて、“りーぶすらしる”と、“ぶるーたいがー”……かんたんにいうと、すごいちゆまほーと、すごいつよいまほーがはいってる」
(仮想精霊? そういえばシムリン教授が今日発表してた人工精霊の研究ってミリクトン教授も協力してたって話だったな。
うーん、こんなことなら準備は研究室生に任せて、発表会参加しとけば良かった……ん、ってことはこれってミリクトン教授の最先端の魔法道具?)
「どうしてこれを僕に?」
分からないことが増えていく状況に、ランビバザーは疑問を口にすることしかできない。
「ひつよーになるって、えでんべーるおじーちゃんからおねがいがあったから」
その人物の名にランビバザーの思考が一瞬止まる。
『黄』のエデンベール。
枢機卿にして、世界最高の神託使い。
もしミリクの言葉が真実なら、この道具が必要な状況が生まれる――生徒を危険に晒す“何か”が起こる――ということ。
“中止”の二文字も浮かんだランビバザーの思考を、間も与えずにミリクの言葉が遮った。
「あ、いまのないしょだったー」
どこかわざとらしく、ミリクが笑う。口の前に指を立てて「ないしょだよー」と繰り返す。
つまり、噂程度の確証のない情報扱いしろ、と暗に言っている。中止にはできない、させない。
(つまり、公にできない或いははっきりとしていないが大きな被害になり得る“何か”は、僕が行くかどうかに関係なくティースタバレーで起こる……事前に解決のための道具を与えるから行ってどうにかしろ、ということか?)
「これ、つかいかた」
ミリクが最後に手渡した紙片は、二つの魔法を発動させるキーワードと思われるものと“キーワードを言って対象を思い浮かべ杖を振る。”としか書かれていない、取扱説明書にしてはざっくりとしすぎたメモ書きだった。
ランビバザーさんのこと書いてたら楽しくなってつい話が伸びてしまった……