人工精霊使い その8
「レリーごめんって」
「……べつに、おこってねーし」
「お前の幼馴染を独り占めして悪かったな」
「……いえ……兄さま」
レイルウェイがティーカップを空にして、そのままトイレに行って戻ってきたところで、シンジェルとクルセオンに謝罪された。
本人は全く気付いていないが、レイルウェイの表情は手持無沙汰を通り越して、疎外感と孤独感と劣等感で曇りに曇っていたからだ。端的に言っていじけているとあからさまに判った。
「……なんで、ジルと兄さまそんないっぱいしゃべれるの……」
鬱屈した感情をなんとか取り繕って紡ぎ出した疑問文が、レイルウェイの口からぽそりと力無く零れ落ちる。
「研究発表では自分の意見を忌憚なく言えないといけないからな。社交界は逆だが、どちらにせよそう親しくない相手ともそれなりに会話するのは慣れている」
「ぼくはこれでも公爵家ですからね。喋る練習もいっぱいしてるんですよ」
「ましてお前とミリクトン教授という共通の話題があるからな」
「そう、ですか」
レイルウェイは憮然としつつも少し納得した様子を見せ、続けて口を開いた。
「でも、おれも……ミリクも聞いてるのに、いろいろしゃべられるのはちょっと……」
それは真っ当な感覚だった。だが貴族としてはそうではない。
「そんなもの、気にするもんじゃない。俺達は侯爵家の人間なんだ。上位貴族の息子など、何がなくても勝手に話題にされる。その全ての場に居座るのなんてのは不可能。
それに、その内容は妬みや嫌味が大半だ。生産性の無い言葉の応酬に、俺は価値を見出していないからな」
「そうですね。まあ、ぼくはその生産性の無い言葉の応酬にも価値を見出しますけどね。色々と考えている事とか性格なんかを推し量れますから」
「それに教授は俺達の話す一言一句も常に把握しておられるだろうが、気にはされていない」
「してないよー」
いきなり会話に割り込んできたミリクに、シンジェルがティーカップを僅かに揺らす。研究室ではいつものことなのか、クルセオンはしたり顔を少ししただけで全く動揺しない。
「くるせおんも、さいしょすっごいびっくりして、てぃーかっぷおとしてたよ。おれがきゃっちしたけど」
突然の暴露にクルセオンの顔は紅潮しつつ渋くなる。
「いや、でも普通にびっくりしますよ。気配とか足音とかそういうの全然しませんでしたし」
「もりでおとや、けはいだしてたら、すぐたべられちゃうよー?」
がおー、と体で魔物を表現するミリクは全く怖くない。むしろ愛玩動物とすら思える。
「サングマ領は、魔物が棲息しているヤージ森林帯と隣接しているんだったな」
「先輩が生まれるよりも前に魔物の氾濫があったらしいですけど、それ以降は防壁外での定期討伐で対処できていると聞いていますが……まさか……」
そこに、シンジェルは何かヒントがあるような気がした。ミリクという異常な才能、技術、戦力、その正体。養子であり、親元は不明。
そんな都合のいい存在が奇跡的に現れるか?
ならば逆だ。
沢山作って唯一成功した。
「じる、それ、はずれ。ぜろてん。らくだい」
「えっ?!」
「「ぶふっっ」」
ミリクの頭を左右に振りながらのバッサリとした切り捨てに、クルセオンとレイルウェイが兄弟らしく揃って吹き出す。
「せ、先輩も、レリーまで何なんですか!」
「いや、俺も研究で思考が最適ではない方向に行っていた時はよく、“まあまあ。ろくじゅってん”だとか“いまいち。さんじゅってん”とかゼミの時間に指摘されたが、“ぜろてん”は初耳でな」
「ジルが“らくだい”って言われんのがしんせんで、つい」
レイルウェイが冗談気味に笑みを零す。まあ、さっきまでの暗い表情よりはずっと良いし、ここは道化になっても良いかと、シンジェルは幼馴染の親友を優先することにした。
「ま、ミリクトン教授がそう言うならアタシがこれ以上詮索するのも、却ってキケンってコトですかねェ。藪から蛇程度ならイイですけど、ドラゴンとか出てこられると流石に困りますし」
「私としては、ミム教授の“眼”にはとても興味があるのですが……今はもっと興味深いことがあるので、別の機会にまたお願いさせていただくかもしれません」
「フフフッ、アタシを研究対象としようだなんて、油断なりませんねェ」
ミムとマハラニ、二人の間の空気は昏くねっとりとして、さながらコールタールのようだ。
そんな二人を傍目に、苦労人同士は一時の息抜きをしていた。シムリンとモハンだ。
「そういえば、モハン君はグームティ教授の下で“属性魔法の最小構成要素”を研究していたんだったか」
モハンがかつて所属していたのは、属性魔法の理論的研究を中心とするグームティ研究室。
一方、シムリンは複数の属性を掛けあわせる複合属性魔法が本来の専門であり、それらを単一の属性のように安定して扱えないかを本来研究している。人工精霊もシムリンからしてみれば、ミリクに示唆された新たな属性を聖霊として世界に固着させる方法論の取っ掛かりだった。
そんな二人の会話は、やはり属性魔法についての話題だ。
「はい。今は、ミリクトン教授の仮説“電磁気力相互作用説”の実証実験ですとか、高等部向け自由講義“電磁気力による属性魔法の再解釈”の講義資料の確認なんかをしています」
「へえ。ということは既に今やっているよりも先の講義内容まで知っているということか」
「実は、最後まで一通り聞きました」
「それは……グームティ教授が凄い顔をされそうだな」
モハンをミリクトン研究室に送り込めて理事長とハイタッチしたり、ミリクの講義を聴いて早々に“第二錬金式”や“原始魔法”を編み出す元気すぎる老婆……もとい生涯現役な魔女が、獲物を横取りされた猛禽類のような目を向ける様をシムリンは思い浮かべた。
「えへへ。でもすごく高度で難しくてですね、お恥ずかしながら、初稿の内容だと全く分からなくて……
それで、どこがどう分からなかったとかをミリクトン教授に伝えて、何度か改稿して頂いているんです。
少なくとも、あの内容を人に教え伝えるなんてのは、まだ僕には難しくて」
報告しようにもうまく説明できないと、気恥ずかしそうに苦笑いしながら語るモハンを見て、よくこんな物腰柔らかそうな青年がグームティ研究室で三年もその性格を保てたなと変に感心する。
すると、ミリクがクルセオン達のところから戻って来て、今度はモハンの元に駆け寄ってきた。
「なおしたの、あとでわたすね」
「あ、分かりました」
「しむりんさんにはこれ」
そう言って、ミリクがシムリンに手渡したのは握り拳ほどの厚みのある鈍器、もとい、艶消しされた黒い革で丁寧に製本された書物。
表紙には金字で、“魔法聖霊元型論”と刷られている。だがなにより目を引くのは、全体を十字に戒めるワイン色の帯に、正面の封蝋。
それは、この本が封印されていることを示していた。
「これ、は」
「おれいの、こたえ。いきづまったら、みてね。でも、いやかなとおもって、ふーいんしといた」
それはまるで、複合属性聖霊研究の結果生み出される、シムリンの人生の終わりを先取りしたような本。
「さ、流石にこんなものは受け取りかねる。……それとも、これからの研究には既に先行研究があり、無駄な車輪の再発明になると言いたいのか?」
教授達が皆、ミリクの“答え”を受け取って喜んでいるわけではない。
それはそうだ。単に講義での疑問に対する回答の範疇を超え、現在の研究に対する助言や、新たなアプローチの示唆。まるでこれでうまくできるからやってご覧と諭されているようなものだからだ。
そんなもの、自分の智慧で見つけ出したい研究者からすれば、何一つ面白くない。真理を垣間見えることに喜びを得るタイプもいるが、自分で見つけ出すことを生き甲斐とするタイプの方が多い。
だが、『原典』や遺跡の碑文から解読した結果に、或いは単に過去に研究されたが発表されず日の目を見なかったものの中に、既に先行研究として存在しているというなら話は別だ。
新規性が無いなら、その研究はもはや第三者視点の検証という形でしか価値に持たない。所謂、“再発掘”、“再発見”、“再評価”。
しかし、ミリクの返答はもっと挑発的なものだった。
「これ、こえられない? じしんない? こわい?」
お前のこれからの人生はこの本以下なのか?
そう喧嘩を売っているようだった。
シムリンは────笑った。
「良いだろう。越えてみせる」
「たのしみー!」
挑発的な言葉が嘘のように、見た目通りの子供のように。ミリクは無垢な笑みを返した。