人工精霊使い その4
「とゆーわけで、ねんぴがいまいちよくなかったです」
午後の授業が終わった後、ミリクはシムリンの教授室を訪れていた。
対面する長椅子にちょこんと座り茶菓子を頬張りつつ、眼前の青年に今後の課題を一つ提示する。
「もーちょっと、えんざんこーりつがあがるといーなー。あとじょーほーのやりとりも」
「……むしろ、武術を学習データとし強化学習できる畳み込みネットワーク構築に、外界の情報を入力に肉体と魔力の制御を出力するなんて、途方もない計算式を組めるミリクトン教授にも、その計算を実戦レベルのリアルタイム性で実行できた“シューニャ”にも驚きなんですが」
もはや呆れ慣れてきたと感じていたシムリンは、さも片手間に作ってみたんだけどという雰囲気で語られた凄まじい内容に、呆れる以外のリアクションが取れなかった。
人工精霊の設計考案だけでも一人分の人生では到底足りない偉業なのに、その中で動作する仮想精霊を作るという発想からして吹っ飛んでいる。
「あれはもともとそれくらいできるよーにかんがえてあったので。ただ、まりょくこーりつのことわすれてました」
てへー、と恥ずかしげに笑うミリク。
最初から織り込み済みだった、やるつもりだったという言葉は、つまり“シューニャ”の設計を持ち込んだ段階で、既にミリクの頭の中には“ポルクス”があったということだ。でなければあまりに早すぎる。
そこを根掘り葉掘りしたところで生産性がないことぐらいは承知しているシムリンは、提示された魔力効率の問題について少し深堀りする。
「ミリクトン教授には“無限法”があるからですか」
「そーです。だからおれはもんだいなかったんですけど、ひろくふきゅーさせるとなると、つらいなーって」
ミリクは困ったような顔をするが、声色は心底どうでも良さそうだった。
実際どうでもいいのだろう。
「そういえば、“無限法”ってどうやって生まれたんです?」
「んー……ないしょー」
シムリンはダメ元で尋ねてみたが、やはり駄目だった。大人しく引き下がってそれから一時間ほど省魔力の検討を行なった。
「もとは、へーきでした」
「兵器、ですか」
ミリクトン研究室にて同じ問いをした研究室生のマハラニに、ミリクはあっさり答えた。「ほかのひとには、ないしょだよー」と口の前でバッテンを作りつつ、同じく研究室生のモハンやクルセオンにも秘匿を求めた。
可愛らしい所作とは掛け離れた“兵器”という物々しい単語に、全員の手が思わず止まる。
もとよりミリクは諸外国への抑止力たる国防の一角、サングマ辺境伯領から更なる研究の為にやってきたと言われている。見た目がどれほど幼くとも、最新鋭の軍事機密がその背後にはあるはずだ。
「“あつぃると”まであなをあけて、おちてきたちからで、そのままてきをどーん」
「“穴”ということは、無限の魔力、未分化の神の力が、『燃える炎の剣』に従ってそのまま地上に落ちてくるということですか」
マハラニが目を見開き、頬を紅潮させて確認する。その脳裏にどのような光景が広がっているのか。
天界の下降原理、『燃える炎の剣』。神の力を下の層に降ろしていく理。力は層を降りるごとに相を変じ、様々な、具体的なものへと変化・分化しながら、物質世界たる地上の隅々に行き渡る。
純粋で、何者でもなく、何物にもなれる力が、そのまま墜ちてくる。
人によって振るわれる神の天罰であり、不敬不遜への天誅。
「うん。とってもつよくって、すごいよくしりょくにもなった。でも、ちからそのものよりも、“あつぃると”にじょーほーがすいこまれるのがたいへんだったらしーです」
「……『鏡移し』を使わずに完全に穴を開けると、全てが『叡智の蛇』に呑み込まれるのか……」
クルセオンが声を震わせながらも、今まさに自分達が行なっている研究と照らし合わせ、その理解が正しいかを尋ねた。
天界の上昇原理、『叡智の蛇』。死せる魂が天へ昇り、再び世界を廻る浄化の理。“無限法”はまさにこの『叡智の蛇』を生きたまま利用する。
勿論そのまま使えば、第二層の“深淵”を越えた途端に肉体から投射した魂が芋蔓式に引きずり出されて、意味という意味が霧散して二度と戻ってこれない。
そうならないために、第二層にいたまま、第三層の“神殿の幕”まで距離を取る。そして、“深淵”の持つ“世界の鏡”の性質を利用して、一気に第二層の先の第一層に二重存在を生み出す。それを経由することで比較的安全に力を汲み出せるというのが“無限法”だ。
だが、第一層へまともに“穴”を開けようものなら、力が降りてくると同時に、その場にありとあらゆる個を構成する情報は吸い上げられて神聖の流出に流出し、物質世界から消失する。
「そーなんだー。なんにもなくなっちゃうから、さすがにかみさまもおこったんだって」
ミリクが他人事のように、しかしその目で見てきたことのように、たいへんだったらしいよー、と困り眉で笑って話す。
失われた歴史。神話にも残っているか怪しい物語。
「神様が怒ったって、それどうなったんですか?」
モハンが当たり前の疑問を尋ねる。
「──『神は、己が代理と五柱の忠実なる下僕を聖なる使徒として地上に遣わせ、穢れた人の世を洗い流した。』、“原典”にもそうある──でしょー?」
ミリクはマハラニに視線を向けて、笑みのまま“原典”にしか記載されていないその一節を口にした。
「それが……人の“罪”なのですか……」
マハラニはなんか勝手に感動している。
「あの……この研究は大丈夫なんですか?」
モハンが躊躇いがちに訊く。流石に神の怒りに触れるとなると洒落にならない。
「かみさまがおこったのは、くろーしてつくったせかいがなくなるのがだめだったらしくって、『かがみうつし』でちからもってくのはいいみたい」
「なるほど……」
「どのみち『鏡』たる“深淵”を破って穴を開けるなど、現状我々には不可能だ。『鏡移し』の安定化すら怪しいというのに」
ミリクの答えに安心したモハンだったが、そんなものは杞憂だからとっとと研究を進めろとクルセオンが溜め息をつく。
ミリクにできていてなぜ彼らにできないのか。
簡単だ。
ミリクは“無限法”の術式を一部たりとも開示していないからだ。
なにせ“無限法”は『賢者の本棚』が所蔵する当時最先端の術式の一つ。現代の魔法とは構成が根本的に違う。
それをただなぞっても、何を意味しているのか“理解”出来ない。
属性魔法であれば、その“理解”を属性聖霊が肩代わりしてくれる。
だからこそ、適切な魔法陣があればそこに必要な魔力を流すだけで発動するし、現象を想像して詠唱でそのイメージを固定するだけで魔力に見合う魔法が発現する。
──その画期的な発明は、今や当たり前になってしまった。それは、“そうできない”かつての大半の魔法が失われてしまうほどである。
“無限法”は、“そうできない”魔法、属性魔法ではない魔法だ。
理解らなければ魔力が空転するだけで、魔法として成立しない。
だからミリクは原理を説明した。
今を生きる人間に、今の魔法で“無限法”を構築し直させている。
つまりミリクは説明して、質問に答えることしかできない。
「みんな、がんばれー」
ミリクは教授の椅子にぴょんと座り、普段と変わらない気の抜けるような声でそう応援すると、脚をぷらぷらさせて紅茶を啜った。