人工精霊使い その1
「7+8」
「15」
「22-6」
「16」
ミリクの問いに対し、レイルウェイはすらすらと答えを述べる。
「eはしぜんてー、iはきょすーたんい、πはえんしゅーりつとしたとき、e^(iπ)」
「-1……?」
「12/√(640320^3) Σn=0,∞ {(-1)^n(6n)!/(3n)!(n!)^3 (13591409+545140134n)/(640320^3)^n}」
「1/π……?? は……?」
ただ答えが分かるだけで、式の意味や何故そうなるかはさっぱり分からないらしい。
「けんざんにはつかえる」
途中式を出力しないようにしたのは、実用上は不要なのと、昇級試験での不正対策も兼ねている。
試験で出題されるレベルの複雑な計算問題は、解答に途中式も書かなければならないので、今回レイルウェイが手にした人工精霊──使い魔の一種とも言えるし、極東風に言えば“式神”だろうか──は、純粋な計算にしか使えない。
ミリクの言うとおり検算には使えるという程度だ。
ミリクとレイルウェイの二人は今、シムリン研究室にいた。
完成した人工精霊をレイルウェイの生気体と結びつけて、手足を動かすように人工精霊と情報の入出力できるように微調整と動作試験を行っている。
初期案では星幽体と接続して思考と直接結びつける予定だったが、初の試みということもあり、何かあっても意識に影響の出ない生気体接続方式に変更された。
そんなミリクはというと、冬手前という季節を無視した半袖半ズボンの運動着を着ている。
室内なので気温的には問題ないし、そもそもミリクならその格好で極地のブリザードの中でもへっちゃらなのでどうでもいい。
そして以前も着けていた髪色と同じ黒の猫耳と尻尾をピコピコと動かしながら、レイルウェイにいくつかの数式を出して計算性能を確認していた。
加減乗除、格子点問題、自然数から複素数、テンソル計算、論理演算、文字式の展開、因数分解、平方完成、線型方程式、非線型方程式、各種変換、級数展開、極限計算、微積分、微分方程式、数値計算etc...
「よくわかんねえけど、“シューニャ”から答えは返ってくる」
“シューニャ”というのが今回作られた汎用演算人工精霊の名前だ。
レイルウェイはというと、上半身裸に派手な柄のパンツ一丁。
夏であれば川遊びを彷彿とさせる恰好だが一応意味がある。
人工精霊との接続でバイタルに影響が出ないかを確認しやすくするため、今レイルウェイの身体のあちこちにはセンサーが貼り付けられている。
生気体とはいえ許容外の入出力は、いわば強烈な刺激と等価。つまり激痛や爆音、閃光に無防備なまま晒されるようなものだ。
なので異常があれば即座に人工精霊を強制終了できるようになっている。
そして、それとは無関係に猫耳と尻尾付き。
どういう仕組みなのか、尻尾は服などで固定されるものではなく、尾てい骨に直接と吸い付いている。
仕組みをミリクに尋ねてみると、「きゅーばんみたいなもの」と返ってくる。つるつるなら多少曲面でもいいらしい。
レイルウェイは尻尾をうねらせながら、“シューニャ”が出す答えをミリクに返していた。
「シムリン君、小さいコにあんなカッコさせて。なかなかイイ趣味してますねェ……ヒヒヒッ」
「……」
そんな二人の猫耳少年を眺める、男女の影。
一人は研究室生と見まごう若さの青年。
ボサボサの禄に手入れされていないダークブラウンの髪に翡翠色の瞳を忙しなく動かして測定機器の値を注視する彼は、この部屋の主、シムリン・ラットパンチャー教授。
そしてもう一人の年齢を判断しかねる全身を黒のローブで覆った人物。
深く被られたフードからは、白い肌に赤い口とうねうねと曲がりくねった緑髪が見えるだけ。声色でおそらく女性だとようやく判断できる彼女は、不審者でも裏の人間でもなく今回の共同研究者、ミム・パーマグリ教授。
「あ、ところでコレ、ナラナート理事はご存じなんですか?」
「当然だろ」
「猫耳のほうも?」
「……」
「ヒヒ……アタシは知らなかったってことで」
スゥッと、シムリンから距離を開けるミム。
「お、俺は別に着ろだなんて指示してなくてだな! 彼らが勝手に着ると言い出しただしたんだ! あの最高に可愛い付け耳と尻尾だってミリクトン教授が用意したんだしな!!」
「でも、ヒヒヒッ、シムリン君、止めなかったんでしょう?」
「グッ……」
根暗同士だからなのか、意外と積極的なコミュニケーションが交わされている。いや、単に先輩後輩だった時期があったからだろう。
(まぁ、あの子たちが可愛いというのは分かりますけどね)
少し視線を上げれば、目の前で椅子で向かい合って足をぶらぶらさせたり胡坐をかいたりしながら、数式を言い合っている二人の猫耳少年がいる。
特に胡坐は危ない。中がちらちらと見えそうになったり見えたりする。
「いっそレイルウェイ少年のぬいぐるみも作って論文と一緒に提出したらどうです? 案外喜ばれるかもしれませんよぉ?」
「案内だったら、俺の首が飛ぶと」
「ヒヒッ、不敬罪で物理的に飛んじゃいますかねェ、ヒッヒヒヒッ、その時は貴重な素材として研究に生かしますから、安心してくださいねェ」
フードから見えるにんまり歪んだ曲線を描く口と僅かに見え隠れする目。ミムの容貌は完全に不審者のそれであり、快楽連続殺人犯が現れたと通報されても納得できるものだった。
室内なんだからフード外せばいいのにと、彼女を知らない者は思うことだろう。
「……本当によくそんなんで牢獄にぶち込まれないな」
「アタシはシムリン君の方が先にお縄になるって……ヒヒッ、信じてますよぉ?」
「なにでだよ」
「人攫いとかァ、監禁とかァ……あ、シムリン君ヘタレだから強姦は無いかなァ? あーアタシ心配、後輩の罪、いつ白日に晒されてしまうのか……」
「やってないし、やらない! アンタだろうやりそうなのは」
「アタシはちゃァんと法に則って、必要な生首や死体は手に入れますから大丈夫なんですよねェこれが。ヒヒヒッ」
こんな無意味な罵り合いをしながらも、二人はレイルウェイのバイタルと人工精霊の様子を注意深く観察していた。
ミムには、“精霊眼”──視覚を通じて精霊を知覚できる能力──がある。
本人曰く精霊に限らず、色々なもの──亡霊に属性聖霊、天使や悪魔のようなもの──も、視えることがあるらしい。
視えすぎて神経に負担がかかるらしく、目元を覆うかぶりっぱなしのフードには、そういった負担を軽減する特殊な術式が織り込まれている。
これもミムの実績の一つであり、自身を実験台として調整を繰り返して手に入れた成果だ。
シムリンとミムは学生時代の中等部から付き合いがある。シムリンが飛び級していたこともあって、年齢にして6歳差だった。
最初は同じ属性魔法系で進んでいたのだが、ミムに“精霊眼”が発現したことで、“精霊使い”、特異魔法でいうところの“喚起”や“召喚”を研究する者として別の道を歩むことになった。
当時はまさかお互い教授になるとは思っておらず、ましてそんな異なる分野で共同研究をすることになろうとは考えていなかった。
「アタシ、ミリクトン教授のコレ読むまでずっと違和感があったわけよ」
「違和感?」
ミムの口調と声色が少し真面目なものに変わる。
「アイツら、たまに住処を移動……いや、これはアタシの感覚でか。ミリクトン教授の“天界四層理論”で言うなら三層の『幕』を跨ぐわけよ。すると、天使だったものが精霊みたいに振舞うようになるし、精霊だったものが天使みたく振舞う。そして、見分けがつかなくなる」
「……聞いたことないけど」
「言ってないからねェ」
彼女は自身の眼でしか示せないものを公的な研究成果とは認めていない。研究の動機にはするが、それそのものを結果とはせず、第三者視点で実証できるものにしなければ決して発表しない。彼女の研究者としてのポリシーだ。
「でも分かったわけ。逆よ逆。天使や悪魔が『幕』の向こうに居るわけじゃない。『幕』の向こうにいるモノをアタシたちが天使や悪魔と呼んでいるの過ぎない。あいつら同じなんだ」
「同じ?」
シムリンは眉をひそめる。
「一層から流れ落ちてきた神の力の塊。魂が顕れるほど固有性が分化しなかった余りモノ。それが感情と思考で動くか、意志と記憶で動くか。その違いでしかないってわけ」
「それは……ミリクトン教授が属性魔法を“同じものだ”と言ったのに触発されたってことか」
「発想のキッカケとしてはねェ……。ま、だからなんだって話だし、こんなの、教会に間違いなく異端としてぶっ潰されるから公表するつもりもないケド」
“天使も悪魔も精霊も、魂の成り損ないだ。”
確かにそんな主張は教会から異端審問されてもおかしくはない。流石に常軌を逸している。
だがそれよりも、シムリンはなぜ今ミムがそんな話をしたのかということを考えていた。
「お前まさか……」
ミムは──笑っていた。
「“シューニャ”を天使にしたら、教会はなんていうんですかねェ? ヒヒッ、いや、アイツらなら悪魔だって喚くかなァ?」