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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
王都 ティンダーリア魔法学園
62/104

講義と兆し その5

いよいよ寝室で同衾です




「寝室は、ミリクと一緒で本当によろしいんですか」


 タルザムが尋ねると、レイルウェイが恥ずかしげに答える。


「あ、その……おれ今一人じゃうまく、眠れるかしんぱいで……えっと、はい。いっしょでたのむ、です……」

「そうでございますか。息子もレイルウェイ様とご一緒だと喜ぶと思います。早速用意させましょう」


 ライザが優しく微笑みながら、テメェ空気読めと言わんばかりにタルザムの脛を踵で責める。地味に痛い。





 ミリクの部屋は、驚くほど殺風景だった。



 机の脇にいつも学園で使っている鞄が掛けられているが、机の上には使った痕跡の無いペンが一本収まっているペン立てがあるだけで、ほかには何もない。


 レイルウェイはミリクが魔法でインクを直接操作して書くことを知っているが、あまりにも物が無かった。


 棚には一冊の本もなく、論文執筆に使うであろう紙束と数個の専用インク瓶があるだけ。


 クローゼットには、学園の制服と普段使いの数着の私服が収められている。パーティ用の正装は、家政婦長(ハウスキーパー)がまとめて管理しているためここにはない。



 ──杖が、制服のベルトにつけっぱなしだ。



 魔法使いにとって杖は騎士にとっての剣であり、その雑な扱いは極めてありえないのだが、それ以前にレイルウェイはミリクが魔法を行使する際に杖を使っているところを見たことがない──さっきの湯浴みの時もそうだ──ので、ミリクぐらいになると関係ないんだなあぐらいに思った。



 ちなみに、以前ミリクに用意された武具一式も、この部屋にはない。

 タルザムが自身の物とまとめて管理している。


 本来は適当な従騎士(エスクワイア)にやらせるのだが、騎士団を離れている関係で、口の堅い信頼できる人手を用意できなかった。


 ミリクにやらせても良いのだが、今は学園生活に集中してほしいということらしい。



 ベッド横の小机(サイドボード)にはランプがひとつ。


 火属性魔法による暖かな光を放ち、その上部の金属製の皿に乗せられた香油の染みこんだ檜のブロックが柔らかな香気を漂わせている。



「なんもねえ……」



 あとはベッドがあるだけ。


 馬や騎士の彫刻も、木剣も、帆船の模型も、鉱石や貝殻のコレクションも、魔物の剥製も、おもちゃの類も、何もなかった。



 ミリクがベッドに腰掛けると、声を上げた。


「どーぞ」

「え? ど、どーも?」


 レイルウェイが意味を取りかねて不明瞭な応答をすると同時に、ドアがノックされた。


「失礼致します。ハーブティーです」


 ミリクの先の言葉が育児使用人(ナース)に向けたものだと気付いて、じわじわと恥ずかしくなるレイルウェイだが、「どーぞ」と今度こそ自分に向けられた言葉と共に差し出されたティーカップを受け取り、ちびちびと口に含む。


 ひと冷ましされたハーブティーは、少し湯冷めした体を再び温めてくれた。



「ミリクはさ、なんかきょうみあることとかないの」

「きょーみ……?」

「気になることとか好きなものとかさ」

「ちちうえのことは、ずっときにしてる。ちちうえだから。おれがすきなのは、あまいものかなー」

「なんだそれ」


 若干論点が噛み合っていない。


 ミリクの精神はまだそこまで成熟していない。知っていても共感できないし、記録として引き出せても記憶として想い起こせない。



「おれはさ……」


 レイルウェイが、少し俯く。


「おれは、父さまや、きょうじゅのすごいまほうがさ、いいなーって。おれもいつかできるのかなーってさ、思ってて、おれまほう大好きなんだって思ってたんだ。でも……」


 ミリクは黙って聞き入る。


「でも……おれには、さいのうがない。力だけじゃまほうはだめなんだ。頭も使わないと。

 でも、おれ、頭わるいから……父さまや兄さま、ミリクみたいには、なれない。ジルだって、おれのせいで初等部(プリマ)にいるようなもんだし……おれ、みんなの足、引っぱってばっかだ。

 このままじゃ、おれ、みんなのことも、まほうのことも……好きじゃいられなくなる」


 ミリクは気付いていた。


 シンジェルが算法の授業や試験でわざと答えを間違えていることにも。

 それに()()()()()()()()()()()()()ことにも。


 そのせいで余計に劣等感が煽られて、焦って、心の処理が追いつかなくなって、感情的になって、当たって、愚痴って、泣き喚いて、色んなことがどんどんうまくいかなくなっていく。


 才気あふれた家族の出涸らし、そういう存在は別に珍しくもない。


 ただ、自分は間違いなくそれだ。


 日が経つにつれて、どんどん出涸らしであることが(つまび)らかに、露わにされていく。



 明日が怖い。



 眠ればやってくる次の日が怖い。

 朝が来るのが怖い。


 いやだ、いやだ。


 このままずっと、無能だと知らずにいたい。無価値だと気付かずにいたい。



 なのに、眠っていなくても、夜は明ける。



 白んだ空が、昇る太陽が、無様な姿から目を逸らすことを許してくれない。





 レイルウェイの持つティーカップはもう空だった。


 底が、見えている。


 カップの底には、僅かなハーブの破片(残りカス)が張り付いていた。





 これは──明日の先にある、未来(おれ)だ。





「れりーは、おれじゃないよ」

「え……?」


 レイルウェイがわずかに顔を上げる。


「れりーは、おれじゃないし、じるじゃない。くるせおんさまじゃないし、りじちょーじゃない。れりーだよ」

「そんなのッ……そんなの、分かってる」



 ぱらぱらと飛び散った(しずく)が、寝間着に染みを作る。

 レイルウェイは自分が泣いてしまっていると気付いて、再び顔を伏せた。


「でも、それでもおれは、今のおれのままじゃだめなんだ……」

「……8+7は?」

「へ?」


 ミリクが突然問題を出した。繰り上がりのある一桁の足し算だ。


「8+7は?」

「はち、たす、なな……え、と……じゅう……ろく?」

「15」

「……」


 レイルウェイの落ち込み具合が悪化したが、ミリクはそんなことお構いなしでレイルウェイを──レイルウェイの脳を──見つめていた。

 学習障害、特に算数障害(ディスカリキュア)の可能性がないかを確認している。計算時の神経回路の動作に異常がないか。数の認識や短期記憶に問題はないのか。


「24-6」

「まっ、む、むり、できない、できないんだよぉ」


 容赦ない猛攻(繰り下がり引き算)に泣き出すレイルウェイの頭を、ミリクが両手でがっちりと抑え込む。


「ひぅっ?!」

「まちがってていいから、けーさんして。れりー」

「うっ、うぅ……」

「22-6、(10+10+2)-(2+4)、10+10+2-2-4、10+10-4、10+6、16」

「……なんで6……2と4に」

「22から2をひいたら0だから。2をひいても6はまだ4ひけるっていったほうがわかる?」

「……わかる、かも」


 レイルウェイは涙目のまま、両手の指を左手の親指から四本折り曲げて10-4を納得している。

 計算していない。数えている。


 ミリクは、そんなレイルウェイの頭頂部を見ていた。外的損傷の痕跡はない。だが、()()が弱い。


「れりーのけーさんするとこ、こわれてないけどちょっとちょーしわるい」


 ミリクが自分の頭頂部のやや後ろをポンポンと手で叩いて位置を示す。


「び、びょうきなのか?」


 レイルウェイがやや青ざめて尋ねると、ミリクは否定した。


「しにはしない。けーさんがすげーへたくそなだけ。いっぱいけーさんしてれば、そのうちよくなるかも」

「すげーへたくそ……」


 神経回路がどう発達するかなど様々な要因で変化し得る。そのうち頭頂連合野での計算能力が鍛えられるかもしれないし、別の場所が代償的に機能しだすかもしれない。


「……そのうちってどれぐらい……?」

「よくならないかも」

「えぇ?! やだぁぁあぁ……ぅぇえぇええぇぇぇ」



 さめざめと泣きじゃくるレイルウェイに、ミリクは尋ねた。


 その小さくか細い指先が、頭頂部を指し示す。




「いじる?」




 それは悪魔のような囁きだった。





なんか思ってたんと違うぞ?

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