講義と兆し その3
侯爵家の御令息を招いての晩餐ということで、急ごしらえではあるが豪華なものが用意された。
サングマ辺境伯領の名産品であるソーセージはもちろんのこと、先の収穫祭で有名になった豪炎火柱ラザニアも運ばれてくる。
盛り上がりを重視して、貴族向けのお上品な大きさではなく、本場“豪炎食堂”の原寸サイズだ。それがトマトリキュールのフランベソースで本当に火柱と化している。
狙い通りレイルウェイは大興奮し、(目のクマは濃いままだが)ミリクと笑いあいながら食事を楽しんでいた。
そのまま流れで二人は一緒に入浴することになった。
ちなみにだが、ミリクがサングマ分家の養子になってすぐの頃は、タルザムやライザが一緒に入っていた。時折タイガーヒルらも(ごねて)湯浴みに誘うこともあった。
もとより、サングマ辺境伯領では当主以外は割と自由に子供たちと入浴する風土だ。
一般の貴族らしくはないが、これは貴族であろうと(むしろ民を守る義務のある貴族ならば、商家の平民などよりも)荒事で命を落としやすい辺境伯領ならではの文化なのだろう。
子を大事にし、長く触れ合っておきたい。
その時になって後悔しないように。
実際のところは、単にミリクとお風呂に入りたいという大人達の庇護欲によるところも大きい。
そして、伯爵家次男であると同時に、近衛騎士団に所属しているタルザムの場合は、入浴時に使用人を殆ど伴わせない騎士風だ。
これは、主君や同朋以外に無防備な裸体を極力晒すべきではない、という考えから来ているもの。
なので、近衛騎士団員とは共同風呂に入ることはあるし、副団長クラスの騎士ともなると小姓や従騎士に身体を洗わせる者も珍しくはない。
タルザムは経緯もあって、グレンバーンが従騎士を務めた時期もあった。
平民で孤児上がりだが、サングマ辺境伯領では名の知れたバンノックにしごかれてきた養子ということもあり、すぐに皆の弟分扱いとなったグレンバーン。
そんな彼が身の回りの世話役としてひょこひょこついてきて、小柄でまだ傷の少ない綺麗な肢体を露わにし(傷だらけのゴツゴツの身体なら全員露わにしているが。)当時まだ十代で今以上に幼さの残る柔らかい笑顔で背中を流してくれるのだ。
羨ま、微笑ましい光景である。
当然タルザムには、周囲から視線がザクザク突き刺さったものだった。
ただ最近のタルザムは、何かにかこつけては孤児を保護してきた結果、騎士団の訓練場に隣接する孤児院ができて以降、“院長”とラングリオットから渾名されるとおり、騎士団の施設で湯浴みする際は、孤児院の風呂の世話係と化していることの方が多かった。
孤児院最年長の少年ダージーと一緒になって、下の子供たちを流れ作業で洗ったりすすいだり拭いたりする。
最後に騒がしさの去った浴室で二人きりになって、ようやく自分の身体を洗い入浴できる。
疲れるが、子供たちが怪我していないか、成長具合はどうかを直接確かめられるいい機会だった。
年長組として気を張り続けているダージーが、普段は見せなくなった懐き始めてすぐの頃の甘える様子を漂わせつつ、従騎士のように背中を流してくれるのも、タルザムの気力回復に大いに貢献していた。
羨、微笑ましい光景である。
そんなタルザムなので、家で幼い我が子と過ごしているときであれば、当然一緒に入浴する。タルザムがミリクの体を洗っていたし、手持無沙汰なミリクの視線に耐えかねたタルザムが背中を流してもらっていた。
羨ましい光景である──
だが王都に来てからは、貴族の流儀に慣らしていこうということで、使用人を伴わせミリク一人で入浴させていた。
そして今、ミリクとレイルウェイは育児使用人に服を脱がせられていく。
ミリクの肌はその名前の元になった牛乳のように白く、まるで日に焼けた様子がない。
肉付きは保護当初からすればかなり良くなってきているが、王都の裕福な子供たちと見比べるとやはりまだ薄く細い。
対してレイルウェイはというと、侯爵家という上位貴族だけあってしっかりとした体つきでミリクより身長も大きい。
やんちゃ盛りで学園生活もあり子供部屋からの外出が増えたことで、まだ夏を忘れていないほんのり小麦色の肌の色は、その腕白さ具合を滲ませている。
目の下のクマはすごいことになっているが。
「ミリクって、けっこう体細いんだな。体術の授業じゃ年長のやつらぽんぽん片手でぶんなげてるのに」
頼りなさげな見た目とまったく噛み合わない強烈な馬力のミリクの腕を、レイルウェイがぷにぷに触る。
初等部には基礎的な体作りや護身術がメインの体術の授業がある。中等部では武具も扱う武術と、魔法を用いる魔法戦闘基礎。高等部では魔法戦闘応用。という具合でカリキュラムは構成されているわけだが、サングマの騎士団相手にタイマンから対軍まで、魔法で剣で徒手空拳でボコボコにしてきているミリクからすれば文字通りの児戯だ。
「りきがくせーぎょ……きょうかのまほうつかってるからだよー」
ミリクが適当に答える。
強化魔法は土属性魔法の括りで、その中でも俗に“力魔法”とも呼ばれる。
固体を対象とした物理的な力そのものの操作であり、力を集中させたり発散させたりすることで、見かけ上の膂力・剛性・硬度などを上昇させる。また、魔力を物理的な運動量に変換して自身や武具に瞬間的に付加して攻防力を高める。といった系統の魔法だ。
それはミリクの認識で言えば、『赤』の魔法である。
物体に巨視的なレベルで力を与えるのは電磁気力と重力のみ。
現代に『黒』の魔法が無い以上、月や地球、太陽のような天体レベルの質量でなければ重力の影響は極めて小さいため、ほとんど無視できる。物体同士の力のやり取りは、本質的にはその表面を覆う電子同士の反発力や電荷の偏りによる吸引力、圧力差、物体内部を構成する原子同士の結合の強さに由来して伝搬する。
ようは電磁気力だ。
そしてこの魔法を扱う者は大抵脳筋な輩で、とにかく力をぶつけることに執着する。誰もミリクのように繊細に緻密に力を制御したりはしない。そんなこと考えている暇があるなら殴った方が早いからだ。普通の人間には、実戦で悠長に計算をしている余裕などない。
だがレイルウェイはまだその計算量を評価できるほど、頭を使う魔法を知らないので、「ほぇー俺もできるかな」等と言っている。
普通の方法では他の教授陣でも無理だ。
なにより、その魔法はミリクにとっては“力学法”、力学制御であり、“強化”ではない。
そもそも“強化”は魔法ではなく、魔法の顕在化方法の一形態──自身にかけるもの──に過ぎない。
速くなるものでも遅くなるものでも、硬くなるものでも柔らかくなるものでも、効果の種類によらず“強化”と呼ばれていた。
他の形態として、ただ外界に出すだけの“放出”、自身以外の特定の物体や他者を対象にして与える“付与”、位置や範囲指定で与える“領域”といった具合だ。
だが今はそんなことはどうでもいいし、それどころではない。
「あ、ミリクもさわっていいぞ!」
そう言うと、レイルウェイが腕を差し出す。
ミリクはそれをまじまじと見つめてから、自分にされたのと同じようにぷにぷにと揉み返した。確かにミリクよりも筋肉が多く、やや太い。
レイルウェイの顔がどことなく自慢げだ。
ミリクはそのまま腋まで素早く手を滑らせた。
「ひっ!? あひっあはははっ!! ははっ! やめっそこ、ひゃはははははっ!!!」
レイルウェイがくすぐったさのあまり爆笑する中、ミリクは黙々と腋腹を揉み続ける。じたばたと振り回される手足を巧みな体捌きで避け、揉む勢いはまるで阻害されない。
「はーっ、はっ、はぁ、な、なにすんだよっ、このぉ!」
涙目で呼吸を乱したレイルウェイが、仕返しとばかりにミリクの脇腹を揉み返した。
「……」
「……」
もみもみもみもみ、すりすりすりすり。
「……」
「……」
「なんっでだよっ!! くすぐったくないのか!?」
レイルウェイがパァンッと自身の膝を叩く。
ミリクは全く笑わなかった。
これっぽっちも反応しなかった。
ミリクにはまだ“安心”という概念が無い。
そもそも人間でいうところの急所に触れられても、怯えて緊張するようには作られていない。
だからその落差で笑うこともない。
これは子供同士のヒエラルキーにおいて、圧倒的なアドバンテージになりえる才能だろう。
「? れりーはどうしてわらってたの?」
「えぇ……なんだ、このはいぼくかん……」
ミリクの素朴な疑問が、レイルウェイの心に黒星を刻みつけたが、それはそれとして二人は浴室に赴く。
タルザムの羨ましいシーンを書くのに夢中になってお風呂に入れなかった……