正体自明の研究室生 その7
はじめてのミリクトンゼミ回です。
「改めまして、私はモハン・マジュアです。グームティ研究室で属性魔法の最小要素の研究をしていました。よろしくおねがいします!」
快活な笑顔で簡潔に自己紹介するモハン。その目はまるで新入生のように輝いている。
「オカイティ研究室より参りました、マハラニと申します。“原典”を中心に神聖魔法とは一体何なのかを突き詰める研究をしておりました。どうぞよろしくお願いいたします」
対して伏し目がちのマハラニは、しかし瞼の隙間から確かな強かさを滲ませていた。
そして、家格だけで言えばこの場で最も高貴であろう少年が立ち上がる。
「クルセオン・フォープ・ティンダーリア。今までは父上の補佐としてこの学園全体の研究を俯瞰する立場にいたが、研究室生には変わりない。ここでの研究成果は世界を変えるものだろうが、僕……俺は、まず大切な人を助けたいと思っている。そのために研究することを許して欲しい」
そう言うと、クルセオンが頭を下げた。
侯爵家の嫡男にして、いずれはこの学園の理事長になるであろう男子が、高く見積もっても下位貴族相当程度しかいないような場で深々とだ。
モハンは目を丸くするが、他二人はそうでもなかった。
「私は構いません」
「だいじょーぶです」
「あ、わ、私もです。ですからどうか顔をお上げください」
応えるようにクルセオンが頭を上げる。
「教授、みんな、ありがとう。今後もよろしく頼む」
クルセオンはそう言いながら、歳相応の少年らしい少し照れた笑顔ではにかんでいた。
以前の彼を知る研究室生達からすれば驚愕を通り越して戦慄や記憶喪失の疑念を覚えるほどのことだったが、モハンは空気を読んで口を噤み、マハラニとミリクは柔らかな微笑みで受け入れていた。
最後に、ミリクが口を開く。
「このけんきゅーしつでは、いちおー“むげんほー”のいっぱんりよーかを、めざします。“むげんほー”は、『き』のまほーなので、しんせーかとくいまほーかなあ……こまかいせつめーのまえに、じっさいにやってみせよーかとおもいます!」
というわけで外のグラウンドまで移動したミリクトン研究室一行。
ミリクは何故か水の入ったバケツと、魔法実験素材庫から錬金素材を、ふよふよと浮かせて持ってきていた。
ミリクの身体ほどのサイズの樽いっぱいの黄色い結晶。錬金でも酸などの材料としてよく用いる、なんの変哲もない硫黄の塊だ。それに少量の赤リン粉末。
広いグラウンドでは他にもテライン教授の研究室生が講師や助手を務める高等部の魔法戦闘応用という授業も行なわれている。事前展開と即時展開の実践練習のようだ。
講師をしているのは、先日最終面接に来ていた研究室生だった。
ミリク達の気配を察知し、自主練に切り替えて、意識をミリクに向けようとしている。
「ぶろーくんきゅー、ろじかるばうんだりてんかい」
唱えられた言葉と同時に黄金に輝く光の壁が現れ、ミリク達の周囲を囲うように覆う。空へ伸びる様はまるで塔だ。
「これは……魔力の密度が凄まじいですが、聖光壁ですね。猊下の御力に比肩する程のものを感じます」
マハラニがうっとりと光り輝く壁を見つめる。
聖光壁は邪な意志を拒絶・遮断する神聖魔法だ。
魔法的な攻撃に対して優位な反面、物理的なものには滅法弱く、水魔法は遮断できても操られていた水そのものは飛び込んで来てしまうといった感じである。
つまりこれは、魔法による観測を完全に遮断していた。視認に頼る他ない。
「みなさんちょっとはなれてー」
その言葉にクルセオン達は素直にミリクから離れる。
「おれんじきゅー、ふぃじかるばうんだりてんかい。てーれべるかしこー、おんぱでんぱんれーがいきょか」
今度はミリクの周囲にだけ赤い光の壁が現れる。
「今度は赤光壁、しかもさきほどが児戯と思える程の比べものにならない魔力……王城でもこれ程は……」
クルセオンが息を呑む。
「ではこれから、“むげんほー”できょーきゅーしながら、つよいまほーをうつので、みててください!」
まだこれかららしい。
そもそもこの規模の防壁だけで普通の人々は魔力が枯渇し昏倒する。一人の話ではない。数百人規模だ。
しかしミリクは構わず魔法を続けた。
「むげんほー。だいいっそー、あつぃると、せつぞく。りそーすかくほ。きょーきゅーろかくりつ」
しかしミリクから紡がれた言葉に反して、外から見てミリク本人にもその周囲にも全く変化を感じ取れない。
魔法を使っているようにすら見えない。
そもそもミリクの魔法は無駄がなさすぎて、普通であれば詠唱などの発動準備時に見えるはずの魔力光が普段からまるで見えない。
それが炎を発生させたり水を操ったりするような外界に影響を与える魔法なら、ミリクの“詠唱のように聞こえるもの”が“報告”なこともあり、詠唱より先に魔法が発動したようにすら見える。
だがそれが例えば強化魔法のような効果が内側であるものだと、意図的に鑑定しない限り殆ど検知できない。そのうえミリクは強力な偽装が掛かっているために、鑑定が意味を成さない。
だからクルセオンとモハンがこれから何かが起こるのだと思い、息を呑んで観察しているのはおかしなことではない。
にも関わらず、マハラニは感動していた。
「これは、なるほど……文字通り“無限”なのですね……」
そして、ミリクは言葉を続ける。
「れんきん」
ミリクの周囲に浮かぶ素材がスルリと溶けて融合し、メタリックな光沢を持ったドーナツ型に変形する。
「れーきゃく、あっしゅく、そーてんいかくにん。ちょーでんどーこいるけーせー。じきかくへきこーちく」
非金属材料のみから生み出された金属質のトーラスが、赤く光る球面に更に包まれる。
「まりょくじゅうてん、かんりょー。ふくそーはんのーかくけーせー」
今度はバケツの水が煌めきながら、赤い球面をさらに包み込み、氷の層を形成していく。
よく見ると氷の層には錬金魔法陣のようなものが描かれ、幾重にも重なっている。
「何だ、あの錬金魔法陣……破綻している……?」
クルセオンが思わず呟いた。
そう思うのも無理はない。
実際この魔法陣はまともな錬金魔法としては破綻している。
対象となる物の錬金式の指定が“全部”で、生成したい物の錬金式の指定が“無い”。
あらゆるものを錬金対象としながら何にもしない。
書きかけの頭の悪い魔法陣だ。こんなもの発動するわけがない。
人並みの魔力では。
氷球が大人の頭部ほどの大きさになると、そこでバケツの水もなくなった。
「しょーじゅんせってー。きどーざひょーしてー。おれんじきゅー、“たいりくかんこーいきせんめつれんせーふくそーはんのーだん”、はっしゃー!」
そう言うと、ミリクはそのボールを軽く蹴り飛ばした。
動作と全く噛み合わない強烈な爆発音とともに学園の魔法防壁全てを突き破った氷球は、一気に遥か上空まで打ち上がって肉眼では捉えられなくなった。
「ではみなさん、しゃだんかんそくしましょー」
ミリクの周囲の赤光壁が消えると、ミニチュアの地理模型のような立体映像が現れる。三人はその前に集まると、高速で流れる景色の上に光る赤い点が、先ほどの謎の球体なのだと理解した。
その赤い点は何もない海のど真ん中で角度を変え、海面へと急降下する。
そして、炸裂した。
海が半球状に抉れ、そのまま火球に変わると、禍々しいキノコ状の雲が生み出される。それは、あらゆる形ある物を世界から消し去ることを幻越しにすら理解させるものだった。
「はかいはんけーにたいし、ひゃくまんぶんのいちおーだーないでのちゃくだんをかくにん」
そう言うとミリクは満足気な表情を浮かべる。
「こ、れは……?」
モハンが絞められている鶏のような干上がった声で、辛うじて意味が通る疑問文を発話した。
魔法というよりもSFチックになりがち……