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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
王都 ティンダーリア魔法学園
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正体自明の研究室生 その3



 カービアは側妻なので別邸なのだが、それでも公爵家だけありサングマ分家の本邸よりも遥かに豪勢である。


 ミリク達が馬車を降りると、邸宅ではなく庭に案内された。


 いや、庭というよりは()だ。


 そこには隅々まで手入れされた、美しいバラ園が広がっていた。その色調は淡い色で統一され、華やかながらも落ち着きがある。


 あくまでそこに住む者を引き立てるという意志を感じさせた。


「わあー、きれーですね!」

「喜んでいただけて嬉しいですわ。代々庭師が受け継いで、丹念に欠かさず世話をし続けた、想いの詰まった結晶ですのよ」

「へぇー!」


 カービアがミリクに説明しながらバラの庭園を進む。


「ばらのなかをあるくかーびあさまも、きれーですね!」

「まあ!」


 これがいい歳した男性貴族なら、一児の母に何を調子の良いことをと言いたくなるところだが、たとえ教授だろうと自分の息子よりも幼い少年にいざ言われると存外にむず痒くなってしまう。




 庭の中ほどまで歩くと、八角形の白い東屋(ガゼボ)があった。そこには丸いテーブルと、四脚の椅子が見える。

 ミリク達が席に着くやいなや、タイミングを見計らった使用人たちが、温めたティーカップに淹れたての紅茶を注ぐ。

 湯気と共に立ち上る爽やかな柑橘の香りと茶葉の甘い香りが、薔薇に優しく包まれた空気と調和して芳しく鼻腔を満たした。


 テーブルの中央には、スコーン、マフィン、シフォンなどの数種の焼き菓子に彩られた三段のケーキスタンドが(そび)え立つ。

 ミリクは使用人に配られるまま、お茶菓子と紅茶を堪能していた。




「でさー、父さまがさー、「ミリクトン教授の研究室(ゼミ)生になれるお前が羨ましい……ッ! こんなに理事長だの教授だのという肩書が邪魔だと感じるとは思わなかった!!」って、えんえんとぐちってきてさあー……いやおれまだ初等部(ぷりま)だし。一年生だし。てかクルセオン(にーちゃん)とちがって、ぶっちゃけおれそんなあたまよくないじゃん? 高等部(ぎむな)だっていけるかわかんないし……」



 レイルウェイは親からの期待や羨望に苦しみ、周囲との才能の差から劣等感に苛まれた結果、酒に溺れて酔い潰れる哀れな青年のようになっていた。

 彼はまだ六歳児だし、紅茶に酒気は含まれていない。

 あまりの様相に、シンジェルもカービアも気の毒そうにレイルウェイを見つめる。ミリクは気にせずケーキを頬に詰め込んでいた。


「父さま、おれのことなんか、ぜんぜんみてないんだぁ……ぅぇぇ……」

「そんなことないってレリー……ナラナート様はお忙しい方だからしょうがないよ」


 ついにはえっぐえっぐとレイルウェイは嗚咽をあげ泣き出し、シンジェルがそんな弟のように思う幼馴染を慰める。泣き上戸の介抱ではない。


「……まぁ、兄様は魔法使いや研究者、国に仕える貴族としてはトップクラスですけど、人の親としてはちょっと人でなしなところというか、感性がおかしいのよね……」

「そーなんですか?」


 カービアも思うところがあるらしく、憂いのある溜息をつく。ミリクは頬に詰め込んだ物を飲み込むと、そんな彼女に尋ねた。


「なんていうか、人の心とか想いってものを軽視しているっていうのかしら。物と行動、金と結果、そして論理性と命があればそれで良いって感じなのよね……実際それでかなりの公益出してるから余計に質が悪いわ」


 レイルウェイを見やると、泣きつかれたのか眠ってしまっている。使用人がブランケットを持ってきてそっと被せていた。


「まったく、兄様も子供を儲けた良い歳した大人なんだから、好奇心や探究心だけじゃなくて、血、……家族愛も大切にして欲しいものよ」


 うっかり“血の繋がり”と口が滑りそうになり、カービアは言葉を選び直した。



「ちのつながり……?」



 にもかかわらず、ミリクは正確にその言葉を復誦した。カービアの背筋に冷や汗が流れる。


 カービアもシンジェルも、公爵家──キャッスルトン王家の分家──であり、つまり辺境伯領と直通の情報網をささやかながら利用することができるということだ。




 当然、ミリクが両親と血が繋がっていない事は知っている。




 だがそれ以上に問題だったのは、ミリクのそれより前の情報がこれっぽっちも分からなかった事だった。



 王家の情報網で捉えられないようなものを、サングマは手懐けている。

 それがどんな爆弾なのか、想像もつかない。


 虚空を見るミリクの深い青の瞳は、底の見えない深淵のようだ。




「──“たのしい”と“ち”は、かんけーない、かな……」




 出てきたミリクの言葉は、カービア達には意味を取りかねるものだった。


「じる、いまたのしい?」

「え、あ、はい! 教授……ミリクとの茶会を楽しんでますよ! レリーがちょっと、その、あれですけど……」


 突然尋ねられて狼狽えるシンジェル。その視線は今も目元を赤く泣き腫らしたまま寝息を立てるレイルウェイに向いていた。


「かーびあさま。おうち、あがってもよろしいですか?」


 ミリクはカービアの方を向いて尋ねる。


「え、えぇ。構いませんけど、どうかしましたか?」

「あんまりおそとでねてると、からだひやしてわるいかなって」

「あぁ。そうですね」


 使用人が眠るレイルウェイを運ぼうとすると、それよりも前にミリクが魔法でふわりと宙に浮かべてしまう。


「レリーはともだちなので、おれがはこびます」


 ミリクのその理屈は若干意味が通っていないが、宙を緩やかに漂うレイルウェイは揺り籠に揺られる赤子のように幸せそうな寝顔をしていたので、カービアもシンジェルもミリクを止めなかった。






「……ん、ぅう……」



 レイルウェイはまだ赤みの残る瞼を擦りながら、のっそりと起き上がる。



 かなり上等な天蓋付きのベッドだ。


 だが不思議と見覚えもある。



 たとえ侯爵家であろうと……いや、王都に暮らす上流の貴族であればあるほど、十歳の社交デビューまで子供は子供部屋(ナーサリー)以外の部屋には立ち入ることが殆どできない。


 それは両親の寝室も含まれている。


 彼らの世話はそれこそ使用人(ナース)の仕事。カービアのように積極的に幼い息子と触れ合おうとする母親の方が変わり者なのだ。



 故に、レイルウェイがこれほどの豪勢なベッドを見たことがあるとしたら、ただ一つしかない。



「……あ、ジルのへや……? おれ、ねちゃってたのか……んんーっ……」



 レイルウェイは体を伸ばしてベッドから降りる。


 寝床を囲うベールを捲ると、百合の花束のような華やかな甘い香気と芳ばしいバターの匂いが漂う。

 ベールの向こうには、僅かに紅茶の残ったティーカップと、読んでいた本を閉じこちらを向くシンジェルがいた。


「おはよう、レリー」

「ジル……さっきはなんか、ごめん。おれ……」


 改めて己の醜態を思い出し恥ずかしくなり、レイルウェイは顔を紅潮させる。


「いいんですよ。ぼくらの仲じゃないですか」


 シンジェルは、そんな弟分に優しい微笑みで応えた。


「そういえば、カービアさまやミリクは……?」


 部屋の匂いから察するに、おそらくここでお茶会を続行していたのだろうが、二人の姿は見当たらない。


「レリーの寝顔をお茶請けにして茶会の続きをしてましたけど、つい先程教授は帰られました。そろそろ母様も見送りから戻ってくると思いますよ」

「なっ……!」


 赤面が悪化したレイルウェイ。そこに更に追加攻撃が襲う。


「いやぁ、教授の魔法でふわふわ運ばれてる時のレリーの蕩け顔なんか絶品でした! 見せてあげたかったですよ……思い出すだけで紅茶砂糖抜きでもう一杯いけそう」


 自分の寝顔なんて見れないだろうけど、と悪戯っぽく笑うシンジェル。だがそれよりも、レイルウェイの脳内では“ミリクの魔法を体験し損ねた”という事実が反響する。



「──もったいねえーーーーーーっ!! くそっ!! なんで起こしてくれなかったんだよ!!! せっかくミリクにまほうかけてもらってたのに! ぜんっぜんおぼえてない!!!」



 まるでどこぞの枢機卿のような理屈だ。

 或いは父親譲りと言うべきか。



 元気に喚くレイルウェイの姿に、シンジェルはさらに噴き出して笑った。





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