正体自明の研究室生 その1
(2019/06/09 分割しました。)
教授陣がミリクの研究室生になることは認められなかった。
それを言ったら、今の全ての研究や業務を放り出してでもナラナート理事長が真っ先に筆頭研究室生になるからだ。
その代わり、各研究室から代表一名を選出し、そこからミリクの最終面接を経ることとなった。
「初日からとんでもない展開だな……」
帰ってきたミリクからそんな学園生活一日目の報告を聞き、タルザムは溜息を吐く。
教授の件も大概だが、初等部一年に在籍の公爵家の御令息と侯爵家のというかナラナート理事長の御令息に目を付けられているのも中々ヘビーな話だ。
夕食の前に聞いていたら、食事が喉を通らなかっただろう。
「というか、レイルウェイ様はともかく、シンジェル様も初等部とは意外だな……計算が苦手という話だったか」
初等部一年生の算法は、正負の数・小数・分数を交えた四則計算、結合・交換・分配則、単位によるモノの数え方。
普通の七歳には確かに難しいだろうが、公爵家ならそれなりの家庭教師が付いているはず。そういう意味ではそもそも貴族学校以外に入学している事自体が不自然だ。知識をつけるだけなら、それこそ家庭教師で事足りる。
タルザムの疑問に、ミリクは少し考えて答える。
「たしかに、じるは、けいさんがにがてだっていってた。でも、わざとまちがえてるから、ほんとは、れりーといっしょにいたいからだとおもう」
「そんなにお二人は仲がいいのか」
「おさななじみ、くされえん、こころのきょーだい、っていってた。しらべたほうがいい?」
クルセオンも問題だが、レイルウェイとシンジェルのペアも後々まずいことを起こしそうだ………そう考えたタルザムは調査を承諾することにした。
「承知しました。授受法、第三層霊魂の形成および第四層魂魄の物質より対象情報を検索。完了しました」
「あっ」
しまった、と思った時にはもう遅く、キャバリーは調査を終わらせてしまった。
ギャバリーが調べると正しいのだろうが、どうやって調べたかを詮索されると答えを窮するようなものまで分かってしまうからだ。
「シンジェルは、モンテビオット公爵と側妻カービアの間の子ですが、カービアはナラナート侯爵の妹であるため、シンジェルとレイルウェイは乳児期より交流があり、親しい間柄にあるようです。互いを兄弟のように認識しています」
その結果を聞いて、タルザムは内心ホッとしていた。それくらいなら常人が調べられる内容だ。
「なんにせよ、王家にまで取り立てられて話が大事になると、いよいよ身動きが取れなくなる。シンジェル様には気をつけるに越したことはないが……教授になった時点でなぁ」
手遅れだと感じているタルザムを責められようか。
「……まあ、その調子ならクルセオン様もエデンベール猊下も勝手に釣り上がりそうだな……」
現実逃避して、考えを切り替える。
当初の目的だ。
弟と父親を落としているのだから、クルセオン本人も時間の問題。エデンベールの部下らしき人物が既に教授の席にいるなら、枢機卿本人が来るのも時間の問題。
時間が全てを解決してくれる。
「はぁ……もっと自由気ままな学生生活を送って欲しかったんだが……学生どころか教授だもんなあ」
「ごめんなさい、ちちうえ……」
「いや、謝らないでいいんだ。ミリクは悪くない。それよりも、楽しかったか?」
ミリクが謝ったのは、所持者の意図に沿えなかったからだ。
タルザムはそんな理由で謝って欲しくなかった。
だからそんなことよりも、学校が“楽しかったか”どうかを気にしていた。
「…………わかんない…………ごめんなさい……」
ミリクは考えこんだ後、再び謝った。
タルザムはそんな我が子をそっと抱き寄せ、頭を優しく撫でる。
「いいんだ、少しずつでいい。今日は……もう寝なさい」
疲れただろうから、と言おうとして、そういえばミリクが疲れてるように見えた試しがない。精々保護した直後ぐらいだ。と思い出し、とりあえず寝かせようという言葉だけが出てしまった。
「はい、ちちうえ」
ミリクはそれでもコクリと頷くと、自分の個室へと向かった。
サングマではミリクと一緒に寝ていたが、あまり効果的ではないと感じ、王都の別邸ではミリクに個室を与えている。
タルザムも、夫婦の寝室に向かう。
そこにはライザがいた。
「ライザはどう思う?」
「タルザムさんの命令の成功・失敗に対応する形で、快・不快という最も根源的な情動はある……と信じたいですね。
ただそれ以上の高等な感情、喜怒哀楽のようなものはおそらく芽生えていないのでしょう。
知識があるのでそのように振る舞うことは出来ても、本質的に共感や同情はしていない……最適解を選んで動いているというところでしょうか」
「そう……だな」
タルザムもそう感じる場面は多かった。
ミリクの感情的に見える動作は、しかし人間らしい連続性がない。
子供なのだから突然理不尽に感情が揺れ動き、制御できずに泣いたり怒ったりするだろう。
だがミリクのそれは違う。
理に適いすぎている。
オークスやバラスンを励ますように明るい笑顔を見せる。
お腹を下していたと嘘をつき、恥じらって照れ笑いをする。
アリヤ枢機卿に泣きついて見せて、退室すれば即座に平静に戻る。
場面に応じて最適に感情表現を行うそれは、しかしずっと見ている側からすれば本当の心を感じさせない。
「タルザムさん。今のミリク君に、感情に関わる制約はないのですか? 『棚』の反乱防止を理由に、最低限の報酬系以外の感情が破壊されていると言われてしまうと、私達にはどうにもできませんよ」
「……それについては、以前ギャバリーに確認したことがある」
丁度、先代の遺した不具合を実行した後だ。
他にもミリクを束縛する制約があるのではないかと、人工精霊に尋ねていた。
「ギャバリー。ミリクの感情というか、欲求や欲望はどうなっているんだ?」
「『賢者の本棚』の運用を容易にするため、命令遵守に基づく快・苦痛以外の部分は鈍化されていますが、表面上は十分にエミュレート可能です。
また、先の不具合により鈍化は解除されているため、通常のコミュニケーションによる精神の成熟が発生します。性欲含む人間的な欲望も発露するのでご安心ください」
性欲云々はともかく、タルザムは少し安心した。
「人並みの恋愛もできるということか」
「先代マスターが権限を破棄するまでは、私が主人格として肉体を制御しており、現ミリクトンの人格は外界との接触が最小限となっていました。
知識以外の導入は行われていませんので、精神面では今の肉体年齢設定値よりも幼いものと考えてください。
知識の関係で早い成長が期待できますが、現在のところ推定で一歳半相当です。恋愛感情のようなものはまだ先の話になるでしょう」
「なるほど。それで学校、というわけだったのですね」
「あぁ。いい経験になってくれると思ったんだがな……」
そこでタルザムは少し遠い目をする。
「……まだ孤児院の子たちの方が良かったのではありませんか?」
「あの子達は……死の気配に敏いんだ。どうしても距離ができてしまう」
ダージーが、辛うじてその死のイメージに抗えた。
そして、抗うのが限界であり、払拭などできなかった。
というよりも模擬戦で派手にやらかした時点でもう無理である。
「はぁー……どうすりゃ良かったんだ……グレンバーンの義弟にでもすればよかったのか……?」
──近衛騎士団で仲良く後衛を務める二人。
『俺が前衛に強化と耐性を付与する! ミリクは赤光壁の防御を頼む!』
『たのまれました!』
(あぁっ、ずるいぞ! 模擬戦とはいえ、あの義兄弟に背を守られてる部下達に勝てるわけない!)
──豪炎食堂で仲良く給仕を手伝う二人。
『『いらっしゃいませー!』』
『ご注文はお決まりですか?』
『ごうえんぱばしららざにあ、おすすめです!!』
『もう、ミリク。それ一人向けじゃないだろ』
(そうそう、そういうの。そういうのでいいんだよ──)
あまりの平和具合に、タルザムの目には涙が浮かんだ。
ライザから気の毒なものを見るような視線が刺さる。