試験と入学 その9
「くさいです」
ミリクの澄んだ瞳が、ランビバザーの心を射抜く。辛うじて致命傷ではない。
まさか初対面でストレートに臭いと指摘されるとは思わず、ランビバザーの顔が強張った。
「まもののぞうきがくさったにおいと、あせや、さんかしたあぶらのにおいに、きのかわと、こけと、らいむのにおいがまざってて、とてもくさい……」
「あー、いや、後半は流行りの香水だよ……」
具体的な指摘内容に若干涙目のランビバザー。
「男なんぞ歳取ってりゃ臭う。ましてろくに湯浴みしてなけりゃすぐ臭くなるもんじゃ」
シャモンの言葉がランビバザーに追い打ちをかけた。人生の先輩の生々しいアドバイスは地味に堪える。
そこにミリクが口を開いた。
「くさいのけしたい?」
「え、まあ、そうだね」
「じゃあけします」
赤い光がランビバザーの服や身体その周囲を一瞬で覆いつくし、即座に消えた。詠唱も下準備も何もない早業。
「なっ……!」
声を上げたのは、嫉妬から驚愕に瞳の色を変えたアバサー。自身の専門分野なのだ。今のが錬金魔法だと即座に理解した。それが従来ならどれだけの工程が必要かもだ。
ナラナートやセリムヒルはもちろん、専門外だが人並み以上には精通しているグームティも静かに目を見開く。
そして、ナーバンが突如立ち上がる。
無表情のまま物凄い勢いでランビバザーの襟を掴んだ彼女は、彼の首元を自身の顔の近くに引き上げた。
美しいにも関わらずそのあまりの迫力に、ランビバザーは「ひうっ?!」と森で魔物に突如襲われた時よりも混乱した様子を見せる。
「臭くない……それどころか穏やかでフローラルな香りがするわね。服も……全然臭わない」
「くさいのは、ぜんぶばらばらにして、おはなのにおいにしました。くさかったので」
「ミリクトン君……いえ、ミリクトン教授は、有機錬金がご専門なのかしら?」
有機錬金。
生体物質を主とした錬金魔法であり、ナーバン自身の専門だ。
多様な香りの多くは有機物であり、故に彼女はアバサー以上にミリクの錬金魔法の難易度を正確に理解し、驚愕していた。
「せんもんじゃないです。りじちょーからもたのまれてません」
ミリクのやや的はずれな答えに、首をひねるナーバン。
「マハナンダさん……! ぎ、ギブです! ぎぶぅーッ!!」
ランビバザーが顔を青くしてナーバンの手に触れたことで、ようやく彼は首吊り状態から解放された。
「私も少々質問をしたいのですが、よろしいでしょうか」
老齢とは思えない鮮明な声が響く。その凛とした力強い声は、騒がしくなっていた会議室を静まり返らせた。
「かまわない。グームティ殿」
「結局、貴殿はここでどういった研究をされるのでしょう? ミリクトン殿」
理事長の許可が出ると、グームティはミリクに視線を向けて質問する。その声色は子供だと侮ったり可愛がったりするものではない。
「りじちょーからは、“むげんほー”のいっぱんかをいらいされてます。ちちうえがきょかしたはんいで、せいかをていじします」
「“むげんほう”……? 聞いたことがありませんが」
グームティは眉を潜める。
「あぶなくて、いっぱんこーかいしてないです」
「なるほど。そういうことでしたら理解します」
研究中の新しい魔法について秘匿するのはそれほど奇妙な話ではない。危険性があるならなおさらだ。
ましてサングマから来たのであれば、それこそ軍事機密レベルのものでもおかしくはない。
このような子供に研究させているという点以外は道理が通っている。
「もう一点尋ねたいのですが、教授会の直前に私の研究室生から、貴殿の講義を履修申込みをしたいとの申し出がありました。私の認識では、貴殿はまだ履修受付を開始していないはずですが、こちらについて何かご存知でしょうか?」
「もしかして、ぷりまのまほうの、もはせんせーですか?」
つい先程の授業で「後程早速、履修申込みいたします」と言った彼は、本当に早速申し込んだらしい。
「ええ。モハン・マジュア、三年目の研究室生です。彼は“属性魔法の最小構成要素”について研究していますが、あなたの研究内容とは一見すると無関係に思えまして」
「えーと……これ、どーぞ。しらばすです。あ、りじちょーもどーぞ」
いつの間に用意したのか、ミリクは二枚ほどの書類を鞄から取り出すと、ナラナートとグームティに手渡す。
「こーぎめーは、“電磁気力による属性魔法の再解釈”です。きょーざいとかはまだないので、ことしのこーぎのぐあいをみてつくります」
テキストもなにも無いので講義をしながら作ると、照れ臭そうに笑いながら語るミリク。
だがそのシラバスの内容は、この場に居る全員が長年当たり前のように信じてきた属性魔法の概念を下手すれば否定しているともとれるものだ。
その上、各回の講義概要に目を通しただけで、それらが荒唐無稽ではなく理路整然としたものだと解る。
解ってしまう。
物を構成する要素。粒子であり波であり、“場”で記述するもの。それらを結びつけている力の存在。
火は高速に振動させることだと。
風も水も土も、力を与えその向きを操作しているだけだと。
振動によって光を放ち熱を与え、抑制すれば冷却される。
緩め反発すれば離れ、締めて引き寄せれば結合する。
変形する。組み換えられる。
その力の流れ自体が雷なのだ。
そして、その力の複雑な制御を支援する存在の示唆。
つまり属性聖霊とは、複雑な演算を補助するために何者かによって──或いは神によって──構築されたシステムであるという新しい解釈。
教授という位に至るまで研究し、思考し続けてきた彼らは、切っ掛けさえあればよかった。ただ常識が足枷になっていただけだった。
属性魔法を究めた先の錬金魔法には、属性を越えて固体・液体・気体と対象の状態を変化させ自在に扱う“転換”という技法が存在する。
なぜそのようなことができるのか。
その理由が自然と理解できる。
全ての属性をマスターし、無意識に複合運用しているからではない。
本質的に同じ力だからだ。
「これが……これが、“答え”なのか……」
ナラナートは、そのシラバスだけで達したような熱い息を吐く。グームティは刮目したまま震えているだけだ。
その余りの様子に、他の教授陣も困惑する。
アバサーが堪らずグームティの手からそのシラバスを引き抜こうとするが、何処からそんな力が沸いているのかと思うような力強さでシラバスを握ったまま、「待って……もう少し……待ちなさい……」と言って渡す気配を見せない。
「………………聴講させて欲しい」
天井を見上げ長い沈黙の後、振り絞るような声でナラナートは嘆願した。
「……? はい。いいですよ?」
「ありがとう………」
「……理事長、私はミリクトン教授の研究室生になることは可能でしょうか?」
グームティも大分頭のおかしなことを言い出した。
今は教授会の真っ只中である。決して酒の入った新人歓迎会中ではない。
「天才か……いや、血迷ったことを言うんじゃない。それができるなら私が研究室生になっている。……選ぶのはミリクトン殿だ」
現実世界に徐々に戻ってきた二人の手から離れたシラバスの内容は、結局会議室中に伝染した。
なんか教授たちのほうがキャラが濃いぞ……頑張れシンジェル! 負けるなレイルウェイ!