試験と入学 その7
(2019/06/09 分割しました。)
ティンダーリア魔法学園には三階建ての食堂がある。
一階では料理の提供が行われているがその質は絶妙であり、田舎の下級貴族がそれなりに満足する程度のもの。
つまり王都の上位貴族は自前で食事を用意する者が大半となるので、平民達は安心して食事をとることができる。
一方で貴族達はというと二階や三階を利用する。そこに使用人を呼んで昼休みに合わせて自前の食事を給仕させるわけだ。特に三階は伯爵家の嫡流男子以上の上位貴族子息の巣窟である。
と言ってもここに入学するような貴族は、継承権が低めで独立のため勉強しに来ているか、正真正銘の研究者志望。後者などは、研究のための道具として人脈を広げておく、と考えるような者達である。
では、そんな彼らがコネを得たい相手は誰か。
当然教授である。
したがって、研究以外の面倒事は御免な殆どの教授は、自室で食事を済ませることが多い。
まして一部の研究室生から、是非貴方の下で研究させてほしい、と熱望されているのならなおさらだ。
だがミリクには“歳の近い者と交流せよ”という命令が出されている。そこで、効率的に交流する手段として食堂での接触を検討した。
ミリクは自身が平民ではないことと、初等部の生徒も継承権がほぼ無い者を含めると貴族の血筋が大半であることを考慮して二階に来たのだが、結果だけで言うと悪手だった。
「ミリクトン教授! 私、あの試験会場で実際に拝見した者です! 試験でのあの見たことのない魔法、洗練された技術。是非とも貴方の下で真理に近づきたいのです!」
「教授!! かわいい!!!」
「ミリクトン教授! わたくしであれば、研究のサポートは勿論、書類作成にスケジュール管理、あらゆる雑務を処理して差し上げます!!」
「教授!! 俺に背中を流させてください!!!」
ミリクは二階に上がった途端すぐさま研究室生に包囲され、自己アピールタイム状態と化していた。時折変なものも交じっている。
「……」
階段から遅れて二階に上がってきたレイルウェイとシンジェルが、その人ごみに唖然とする。ちなみに彼らは三階で食べるのが妥当な家格であり、ミリクを自分達の卓に招待するつもりでいた。
普段なら、次男とはいえ理事長の息子で侯爵家の嫡流男子と公爵家の子息となれば、流石に研究ボケしている彼らも阿るのだが、今はそれどころではないという気迫が伝わってくる。
しかし彼らの熱烈な売り込みを、ミリクはまるで存在していないかのようにきょろきょろと辺りを見渡す。
「ぷりまのいちねんせー、ここよりしたにいっぱいいったみたいなので、おれもしたにいきます」
殆ど予備動作もなくミリクが軽やかにジャンプする。それだけで周囲の学生の頭上を越え、天井の少し手前まで到達した。
視界から消えたと思ったら空中に飛び去ったミリクに、二階の学生は呆気にとられている。
ミリクはそのまま虚空を蹴り、重さを無視して滑るように真横に移動していく。その先にあるのは一階から三階までを貫く吹き抜け。
飛び出した後も、空気抵抗か重力か時の流れがおかしくなったかと感じさせるふわりふわりと緩やかな動きで空中を降りていき、一階の少し人が空いている場所に音もなく着地した。
周りの学生は二階から人が一人飛び降りてきたというのに、騒ぐどころかまるで気がついていない様子だ。
「今のは、土属性の運動操作か?」
「いや、風属性の気流操作や音声操作もだろう」
「待って、通信魔法で使われている幻覚の術式もじゃない? 逆展開して、伝えるんじゃなく阻害してるんだわ」
「三つ以上の魔法を同時に、しかも術式を展開する予兆もなく、実行時すら外部への魔力の残滓が感知できなかった……理事長が直接教授へとスカウトしただけあるな……」
二階の研究室生たちは、ミリクの人間離れした機動に潜む叡智の一つにでも触れようと議論を開始する。
レイルウェイとシンジェルの二人は、吹き抜けの手摺から階下を見下ろすことしかできなかった。
「きょうじゅと友だちになれば、いまのおしえてくれるかな」
「……教えてもらっても、理解できるかは別でしょ」
「たしかに……」
一年生とはいえ、曲がりなりに入学試験のためもあって各々の家で優秀な家庭教師付きで勉強してきた二人だ。今の魔法が繊細な超絶技巧の限りが尽くされたものだということぐらいは感じ取れた。
着地したミリクはとてとてと歩くと、先程の一年生達が集まっているテーブルの空いている席に座った。あまりにも自然に座ったのでクラスメイトかと思った周囲の少年達は、年下とはいえ授業を見学していた教授がいきなり同席してきたので混乱していた。
「おれは、みんなとこーりゅーしにきました」
「交流、ですか?」
ミリクの突拍子の無い発言に、食事の手が止まる。二階の面々が聞けばコミュニケーションタイムの争奪戦が激化する台詞だ。しかしミリク構わず持っていた荷物を机の上に取り出す。
タルザムから持たされていた弁当だ。授業の見学の際に、教授室からそのまま持ってきていた。
しかしその大きさは子供の一人分という大きさではない。三段重ねの弁当箱は、家族でピクニックにでも行くのかという容積である。
そして、サイズはともかく弁当箱自体は普通のものだが、タルザムの指示でミリクがかけた神聖魔法の一種である保護魔法(ギャバリー曰く“保全法”とのこと)で、中身はできたての状態が維持されている。
その高度な魔法の付与状態に、一部の人間が目を見開く。
だがそれ以上に少年達の多くは、その中身の料理に目と鼻を奪われていた。
中身はサングマから王都別邸に派遣された調理師による、馴染みの味と王都の味の融合だ。
一段目が、夏の収穫後に乾燥させることで旨味と甘味が濃縮されたドライトマトを使ったチーズたっぷりトマトパスタ。
二段目には、王都の高価な温室野菜と上質なバターと砂糖をふんだんに使った王都風グラッセと、香り高いハーブをまぶしてシンプルに軽く炙った厚切りハムや腸詰めといったサングマ産の肉加工品の数々。
最後の三段目には、旬のフルーツ盛り合わせ。
「こーいうときは、おかずのこーかんがいいと、ほんにかいてありました!」
その言葉に、周囲の少年達は目を輝かせる。
「で、でもおいらは食堂のメニューだし、交換するのはちょっと……申し訳ない……です」
隣に座っていた、田舎の垢抜けない顔つきの少年がおずおずと言う。それを言ってしまうとこの場でミリクの弁当の中身と釣り合うものを交換できる者はいない。
「そのぶん、なかよくしてください!」
ミリクはそう言うと、その少年のサラダの一部を取り皿にとると、半分に切った厚切りベーコンを放り込んできた。
その切り口から溢れる肉汁と芳醇な肉の香りに、少年は思わず唾を飲み込む。
「あ、ありがとうございます。え、と、おいらテミって言います。歳は十になります」
「てみー! よろしく!」
ミリクの真っ直ぐな笑顔に、テミは思わずたじろいだ。
「う、よ、よろしく、です。ミリクトン教授」
「みりく」
「え」
「ともだちは、みんなみりくってよぶ」
まじまじと見上げるミリクの視線。深い青の瞳が圧力をかけてくる。
「ミリク……さん」
「さん、いらない。てみー」
「で、でもっ、ですが……うう、わ、わかりました、ミリク……教授、うっ」
ミリクは物凄く頬を膨らませていた。
「……み、ミリク、そんな顔しないでくださいぃ」
敬語が取れていないのが心底不満げな様子だったが、ミリクはそこで妥協したらしく、頬をしぼめた。テミはホッと胸を撫で下ろす。
似たような手続きが全員分繰り返された。
レイルウェイとシンジェルが一足遅れてやってきた頃には、すっかり和やかな空気が出来上がっていた。
「ぐぬぬ、このおれが遅れをとるなんて!」
「ぼくはまだミリクトン教授とのつながりをあきらめはしません!」
なんだか興奮している高貴な身分の二人にも、おかず交換は平等に行われた。
「くっ! このソーセージうまい!」
「サングマ辺境伯領は、肉加工品でも有名でしたね。薫製香とハーブの絶妙なバランスに、口の中で瑞々しく弾ける肉の旨味と脂の甘味。それらを適度な塩気が引き締めつつも引き立たせていて素晴らしいです」
公爵家はやはり教育が広範らしく、シンジェルは饒舌に語る。レイルウェイは魔法以外については年相応のようだ。
シンジェルレベルの学力なら中等部に飛び級出来たのではという、クラスメイトには恐ろしくてできない質問をミリクがしたところ、気恥ずかしそうに「実は、計算が苦手でして……」と頬を掻いて教えてくれた。
ちなみに山盛りのトマトパスタをミリクは分ける気がないらしく、一人で平らげた。
その後、シンジェルの取り計らいで振る舞われたお茶とシフォンケーキを全員で楽しんでいると、あっという間に昼休みは終わってしまい、予鈴の鐘の音が聞こえる。