試験と入学 その5
教授室に入ってまず目に入るのは、明らかにミリクには大きすぎる成人サイズの書斎机と椅子。
長年丁寧に使い込まれたものなのか、机は暗褐色の落ち着いた風合いに、流れるような美しい杢目が艶やかな光沢を放っている。
椅子は滑らかな黒い革製で、高級感を漂わせつつ机と調和していた。
それらの手前には、向かい合う三人掛けソファが二脚と、その間に挟まれたローテーブル。
上質な使い心地に反した緊張感は、それがいずれ行われるビジネス的対話のためのものであることを教えてくれる。
壁沿いにある重厚感を湛えたローズウッドの本棚は、しかしかつて居た筈の住人達がいない空き家の状態。
いずれやって来る己に見合った価値ある書物を心待ちにしているようだった。
日焼け防止の遮光カーテンを開くと、窓からは王都の街並みが一望できる──ミリクに宛がわれた部屋は教授棟の最上階である五階だった(階段の移動が面倒だと不人気で空いていた)──といってもミリクの今の身長では窓枠が顎のあたりであり、それほど外を見回せない。
天井には、王都でもまだあまり普及していない照明の魔道具が取り付けられている。
出入り口の扉の横にある銀糸で繋がった金属板に触れて魔力を流すことで操作するらしく、ナラナートが実演して見せた。
問題点があるとすれば、この金属板にミリクの手が届かない位である。
当面は日没前に帰る筈なので、それほど重大ではない。
壁の要所要所に掛けられている銀糸で魔法陣が刺繍されたタペストリーは、換気の魔道具らしい。気流を生み、新鮮な空気が室内を循環するようになっている。
こちらも照明と同じ問題点を抱えていたが、ミリクは特に気にしている様子はなかった。
この部屋には出入り口以外に扉が二つあり、部屋の奥側が給湯室で手前側が扉の上に“ゼミ室”と書いてある小会議室だ。
「ぜみせーさんはもういるんですか?」
ミリクの質問に、ナラナートは苦笑いをして首を横に降る。
「まだ決まっていない……だが、試験官をやっていた研究室生のうちの特にあの場に居た者達から、多くの希望者が出てね、調整中なんだよ」
入学試験の試験官は研究室生のバイトにもなっている。
あの場でミリクの魔法やナラナートとのやり取りを目撃し、ひたすら首肯していた者が、我先にと研究室の鞍替えを申し出たとのことらしい。
「こちらである程度選別するが、ミリクトン殿には最終面談をしてもらう。来月には正式配属になるだろう。君の研究に必要なだけの人材を選んでくれ。却って邪魔なら、研究室生など採らず講義だけでも良い。成果と講義があるなら、私は如何なる障碍も排除すると約束しよう」
研究室生の扱いは教授により様々だ。
取り扱っている研究の助手をさせることもあれば、好きにやらせて見守り自身のインスピレーションとすることもある。
派生や応用の可能性を探らせたり、下地となる理論の補題の証明を検証させたり。
そして、少しでも多く少しでも早くミリクの成果を得たい触れたい見聞きしたいナラナートは、ミリクの研究の人手として好きなだけ人材を用意するという意図で研究室生を放り込むつもりでいた。
「わかりました。らいしゅーくらいですか?」
「明日中には纏める。今週末に面談になるだろう」
「ちちうえにも、つたえておきます」
ここで時計台のベルが鳴る。二限目の授業が終わった合図だ。
十五分の休憩の後、三限目があり昼食となる。
あとは午後に四限目で授業は終わり。
その後は鍛練するも図書館に行くも帰るも自由である。
「そういえば、タルザム殿が初等部の授業に同席させたいと言っていたが」
この学校の教授は、なんでも知っているというよりは、特定の分野に特化している者が多い。
なので専門外から刺激や突破口を得る機会として、教授は他のあらゆる講義を自由に見学・聴講する事ができる。抽選倍率がどれだけ高い人気講義だろうと、だ。
とはいえ、その権利を使って初等部の授業に参加する者というのは前例がないのだが。
「はい。ちちうえは、わたしにこどもとこーりゅーしてほしいとかんがえています」
その目の光はまったく変わっていないにも関わらず、ミリクの返事はまるで他人事のようで極めて無機質だった。
言葉の内に本人の意志が一切存在していない。
やる気があるとかないとかではない。好きとか嫌いとか、やりたいもやりたくないも、そこには無い。
何も無い。
(成る程、タルザム殿は研究以前にこれをどうにかしたいのか。まるでよく洗脳された奴隷と会話しているようだ)
ナラナートは侯爵となる以前、次期当主がやることとしてはどうなのかはさておき、遺跡調査で諸外国をまわっていた。
その際、とある国の遺跡を管理する現地豪族が自慢げに見せた人形のことを想い起こした。
人形の作り方は本国では禁じられていて研究出来ない分、学術的に興味深いところではあったが、結局は遺物頼りのもので王国の発展には寄与しないと判断できるものだった。
だが何より質が悪かったのは、遺物の調子が悪くなり成功率が低くなっていることも含めて愉しんでいた趣味の悪さだ。
失敗した場合は、当然壊れてまともに動かなくなる。
壊れたなりに使い道があるのだよ、と厭らしく口角を上げる脂ぎった顔は、実に唾棄すべきものだった。
あの失敗の山がもしも本国の民であったなら、若きナラナートは内政干渉だとか宣戦布告だとかをすっ飛ばし、一帯を更地にして戦争沙汰になっていただろう。
彼は研究者であると同時に、一流の魔法使いであり、自国の王に絶対の忠誠を誓う貴族なのだ。
しかして、ナラナート帰国後どうやらクーデターか何かがあり、その豪族が壊されたとのことだったが、別段驚くようなことでもなかった。
それが遺物の一部に細工をしたナラナートのせいだったのかは定かではない。
閑話休題。
そして今のミリクの立ち振舞いは見た目が整えられた分、ナラナートにはあのときの着飾られた人形とダブって見えた。
命令通り茶を淹れて給仕し、命令通り股を開いて夜伽する。
一体どれ程の失敗が生まれたのか考えたくもない、経緯も目的も下劣な“少年少女人形”のコレクション。
(私が前に見たものは、遺物が効果を与え続けなければ正気に戻るものだった。経年劣化と大人数に使いすぎた負荷で壊れかけていたからこそ、干渉も容易だったが……)
ティンダーリア魔法学園の校舎には、防諜目的で魔法の効果を遮断する聖遺物の模造品がそこかしこに設置されている。
模造品といっても魔法陣の内容は完全に複製されており、複製作業に関わったエデンベール枢機卿曰く素材の違い由来の性能劣化はあるらしいのだが、かなり強力な代物だ。
なにせその劣化具合を確認できたことが今までない。ここで開発研究してきたあらゆる魔法を遮断できている。
軍事目的の大規模攻撃魔法もだ。
専用の有線通信魔道具でなければ情報のやり取りも儘ならない。
勿論ミリクには全く通用しないのだが、今のナラナートにそれを知る術はない。
従ってこう考える。
(身に付けているか、埋め込まれているか。或いはもう壊れていたものをサングマが上手く繕ってこうなったのか)
ナラナートは己の息子よりも幼い、稀代の天才のその凄惨な中身の片鱗に触れ、教育者として一人の子を持つ親として、どうすれば歳相応の心を育めるのかと考えを巡らせ──
「ならなーとりじちょー?」
「っと、済まない。少し考え事をしていた」
「ぷりまのいちねんせーのじゅぎょーをみます。いちばんとしがちかいとおもうので」
「そうか。丁度そこに私の下の息子もいる。仲良くしてやってくれ」
ミリクの言葉で現実に引き戻されたナラナートは、ミリクを初等部の教室まで案内し、一年生の担当教諭に話をつけていた。