賢者の本棚 その4
(2019/03/25 改行とか調整しました。)
(2019/06/09 分割しました。)
ラングリオットとタルザムは早馬を走らせる。
タルザムは後悔の念を隠せずにいた。
罪の無い子供の死を見過ごせない彼にとって、自身の判断ミスで子供に魔の手が延びるなど、もっとも忌避するところである。
(『青』についての調査依頼がきっかけなのは間違いない。俺の判断ミスか……クソッ!)
一方で、ラングリオットはリスクとリターンを天秤に掛けていた。
(あの少年の価値を、エデンベール猊下が事実上お認めになった。であればサングマ領にとって最良の選択はなんだ? このまま保護する? それとも一旦保護して身分を保証したあと教会に引き渡して貸しとする?)
ゆえに、ラングリオットはほんの僅かにタルザムの行動に対する反応が遅れた。
宿屋から悲鳴が聞こえる。シスター・リザヒルの声だ。
ラングリオットは剣を構える。相手は馬を降りた歩兵であり、このまま騎兵として戦えば十分なアドバンテージだ。
それに対しタルザムは、予想外の行動をとった。
「返事だ!! 俺はお前の持ち主になる!!! 敵を捕縛しろ!!!」
大音声で、宿屋に向かってそう叫んだ。
「は??」
《権限の委譲を承認しました。続いて、敵性の捕縛を開始します》
ラングリオットの奇声と同時に、タルザムの耳元で少年の声が響いた。
外にいた襲撃者の見張りがタルザムの声に気づき、当然馬の下へ駆ける。が、その途中で不自然な姿勢で地に崩れた。身体を赤い光が瞬き、黒い霧に覆われ、頭部はぼんやりと黄色く光っている。
ラングリオットは警戒しながらそのまま地に伏す見張りに近づく。しかし、タルザムは見向きもせず馬から飛び降り、宿屋のなかに転がり込んだ。
そこには、切りつけられた自身の傷を押さえ治癒をしながらも唖然と立ち尽くすシスター・リザヒルと、同じように黒い霧に纏われ身動きがとれなくなっている四人の襲撃者たち。
そして無傷で無表情の少年がいた。
「マスタータルザム。現在、敵性のすべてに対し、『赤』の麻痺、『黒』の加重・遅滞、『黄』の精神静止を実行。完全な束縛、無力化状態にあります。
また、即時対応可能な範囲にて敵性術式の封鎖を行っています。敵性を消去しますか」
「いや、はぁはぁ、消去は、しなくていい、はぁ、シスターの治療を」
「承知しました。『黄』の治癒を実施、完了しました」
リザヒルの傷口が黄色く瞬いたかと思うと、跡形もなく傷が消えていた。
「はあ、ひとまず、外に出よう。団長もいる」
タルザムは踞る襲撃者たちを避けながら、外に出る。そこには、憮然とした雰囲気を滲ませたラングリオット団長がいた。周囲を警戒し、まだ騎乗したままだ。
「タルザム、説明しろ」
「以前この子に、自分の持ち主になってくれないかと、お願いされていたのです」
「で、どうしてこうなる」
「この子には集団への対抗手段があるのだと、洞窟の惨状と枢機卿の御言葉で確信しました。
そして、それが持ち主からの命令でなければ自由に行使できないのだと推測できました。
でなければ、彼は始めから傷など負いません」
「理屈はわかるが、めちゃくちゃだな」
突然、少年はスッと手を挙げた。
「捕縛した敵性の処理について、命令待ちです」
「……ひとまず、罪人として運搬しなければな」
「衛兵には連絡入れておいたから、そのうち補導用の馬車が来るだろう」
「でしたら、一ヵ所に纏めておきましょう」
タルザムが襲撃者を運ぼうとする。
「承知しました。『黒』の転移を実行します」
少年の声と同時に馬の足下に転がっていた男が消える。屋内の男たちも消える。
そして、少年の横にきれいに地面に整列されていた。しかも数が多い。二十人強いる。
「敵性の転移が完了しました。束縛状態は引き続き維持します」
「……転移???」
「なんか多くないか……聖職者も混ざってるんだが……てかあの服、枢機卿じゃ……」
リザヒルはもはや腰を抜かしていた。誰も指摘していないが、『黒』も人の扱える力ではない。
転移は、限定的なものですら、遺跡の名を冠するダンジョンからごく稀に出土する特殊なアイテムでしか行使できない。それらは当然、準国宝扱いの代物だ。それこそ自由に行使できるなど、『神の使徒』と『最古の五聖人』──現代の教皇と五人の枢機卿の元となった偉大なる神の御使い──ぐらいだ。
そんな神代の力が目の前で振る舞われて、彼女は口をパクパクさせるしかなかった。
「即時対応可能な範囲内のみですか、敵性人物すべてを捕縛対象としました」
少年はマスターの疑問に答える。
「即時対応可能な範囲って、どれぐらいなんだ?」
タルザムは、正直訊きたくなかったことを質問した。
「範囲は、本土大陸及びその近海の人類種が存在する領域になります。より広範囲での索敵が必要な場合は──」
「ありがとう十分だ。ありがとう」
「現在、大陸間長距離爆撃および衛星軌道質量誘導などの戦略級術式による攻撃は確認されていません」
「そうかそうか……」
タルザムはいろいろと聞き流しながら、少年の頭を優しく撫でた。
衛兵たちは余りに異常な光景に及び腰になりながら、一人一人縄で縛り、鉄格子の荷台の中に運び込んでいく。
「あの、枢機卿様が混じっておられるのですが……ラングリオット騎士団長様からタルザム副団長に訊けと命じられまして……」
衛兵の一人がおずおずとタルザムのもとに駆け寄ると、そんなことを尋ねてきたので、現実逃避を諦めることにした。
「……エデンベール枢機卿に御連絡して、そちらに処理をお願いしよう」
「マスター、エデンベール枢機卿が良ければ引き取りに来るとのことですが、如何しますか?」
「……通信か?」
「いえ、私が感知していることを前提として、そう口に出しています」
「お呼びしてくれ……」
「承知しました」
虚空から人が現れる。それはつい先刻、通信魔法で見た姿そのままだった。
「ほほぉ、神託にて賜っておりましたが、この歳になってこれほどの奇蹟を経験する機会に恵まれようとは。神の恩寵に感謝するほかありませぬな」
エデンベール枢機卿。
その表情は心底感動と慶びで満たされていて、どう考えても目の前で捕縛されている枢機卿のことなどどうでもよさげ……いや、目にした瞬間、物凄く嫉妬していた。
「羨ましいですな」
「はい?」
「彼らは今、罰という形で、今この世界で最も神の恩寵を身に体感しておりますからな。文字通りの天の試練ですな。……私にもかけていただくことはできますかな?」
少年はタルザムを見上げる。
タルザムはドン引きしていたが、枢機卿の言葉を無下にもできず(今まさに無下にされている真っ最中の枢機卿はさておき)、5秒だけ同様の拘束を指示した。
驚くべきことに、エデンベール枢機卿は倒れず、直立不動の状態で停止した。まるで天の試練を前にした勇壮な修行者の表情である。
そして5秒後、拘束が解かれると同時に、その表情は最早恍惚といって差し支えないものとなっていた。
「素晴らしい……」
タルザムは、引き続きドン引きしていた。