白の施し その3
(やはり実際に目にしてみても怪しいですが証拠もなく、かといって悪意は感じられませんでしたね。そしてそれは、呪いについても同じ。悪意も殺意も足りていない。
本気であれば全身の水分を絞り出すなり、一切の飲食や呼吸ができなくなるくらいになりましょう)
長く表舞台で精力的に活動し、枢機卿としては珍しく庶民と直接関わる機会も多い『白』のアリヤには、いくつかの二つ名がある。例えば“施しの聖女”といったものだ。
しかしそんな『白』の枢機卿は、その名を冠する『白』の魔法を扱えるわけではない。これは『青』や『黒』も同じで、人間に扱えるのは『赤』と『黄』の魔法だけだ。
ただ、人間に不可能な奇跡を再現する道具がないこともない。いわゆる“遺物”。特に教会が代々保持しているものが“聖遺物”だ。帰還の宝珠などは代表的な遺物である。
では何を以て『白』とされるのか。
原典に『白』は『第三の理』『無と顕在を齎す天の力』とあり、それは何もない場所から水や塩を生み出した奇跡とされる。
その逸話から、例え人類には扱えない力であったとしても、『白』は施しの象徴、社会奉仕の長として、枢機卿に座する者に与えられる名となった。
だからこそ彼女は知っていた。
養子となることに合わせて記録の改変と隠蔽がされるよりも前に、ミリクの正確な保護の経緯を知っていた。
なにせ、そういった部分は『白』の領分だ。
同じ聖堂にいたのだから、元『青』のナーシサスの凶行も、その前後のエデンベールの動きも把握していた。
もし『黄』が動かなければ、事が起こる直前に『白』がそれこそ動いていただろう。まあ、それは『赤』と『黒』も同じだろうが。
『白』の枢機卿として、治癒士の資格を保証するのも彼女だ。
故に各地に情報網を持っている。治癒士本人や彼らに助けられた者達だ。
サングマ辺境伯近衛騎士団付きの治癒士から、神童がやってきたとの連絡だって受けていた。
遍く百々の罰を与え、遍く万の癒しを与える。まるで神話の天使だ、と。それはもう興奮した定期連絡だった。
無論、エデンベールに勝手に出された返事の手紙、その内容も知っていた。
何せ手紙を配達する者は怪我をしやすく、治癒を受ける機会も多い。
既に恩は売ってあるのだ。
まして大義名分もあれば、その内容を確認することなど容易い。
無論、彼女はそんなつもりで人々を癒してきたわけではないのだが。
ただ事実として、多くの“点”を彼女は最初から知っていた。
(つまりはすべて、あの神憑ったミリクという少年をサングマで囲うためにこの状況を生み出した。呪いのようなものも、ミリク少年に用意させた。バタジア夫人もきっと彼が治したのでしょう。もちろん偽装込みで。そう考えると、綺麗に線が繋がりますね)
「と、分かったところで、私に何かできるわけでもないのですけれどね」
溜息をつくアリヤ。
それも仕方ない。
なんせ既に『黄』のエデンベールが動いているのだ。『白』ごときに何ができようか。
自分達が多くの時間と人手を割かなければならないことでも、あの規格外は一人で夢見心地のままに終わらせられる。
“始めから終わっている”とは言い得て妙だ。
あの男が得ている情報が、どれだけ未来のことかは分からないが、現在から離れられない只の人間では、彼の“始め”には決して追い付けない。
「あの……どうされました? 猊下」
そんな物憂げな彼女に、周囲の修道士達が心配そうに声をかける。
『聖白衣献身隊』の面々だ。
彼らは国内の各地を巡回しているのだから、それなりに体力のある者達だ。アリヤより半分とか四分の一とかの歳の若者が多い。
というか、アリヤがこの歳でまだ巡回を行っているのがおかしいのだ。
「……歳かもしれませんね。少し疲れてしまったようです。私は王都に戻る巡回経路に移りましょう」
だが、アリヤのごく普通のその言葉に、修道士達は驚愕した。
いつもなら、「今日は疲れたので、次の村まで少し急いで早く炊き出ししましょう」と二回野宿するところを高速移動しだしたり、「今日は体調が悪いので、ここでまとめて治癒しましょう」と魔物に襲われた村の森の木を数十本蹴り倒して、百を越える魔物を手刀で素材にしてベッドに仕立て上げたり(本人曰くただの強化魔法だと言っている)するような人だ。
それでもあくまで別の巡回経路に沿って帰るというのが、彼女らしいのかもしれない。
どのみち、彼らはどちらかというと何か突発的な予定変更があるのかと心配していた。
彼らからしたら、アリヤ本人の心配をするなど、不遜も良いところなのだ。
それは入隊して始めにアリヤの口からも、まだ若い自分達の心配をまずしなさいと言われているし、一度でも付き添う機会があれば、彼女の無茶苦茶さを理解することとなり、なぜ武闘大会に出てないんだろうとかなぜ冒険者じゃないんだろうとか思うのだ。
普通の人間なら、氾濫した河の流れを地面ごと蹴り飛ばしたり岩や木をぶん投げてどうにかしないものである。
そのせいもあり、アリヤの次の言葉に多くの修道士は、なあんだいつも通りだった、と安心することになる。
「ですので、四日でサングマ辺境伯領の東部の巡回を行いましょう」
サングマ辺境伯領は大きい。外部との緩衝地域を除くと、西から東に弓なりに曲がった細長い土地だ。
北には険しいシンガリラ山脈と曲がりくねったタング峠、西には魔物の住処もあるヤージ森林帯、東は比較的ましなダムディン草原が広がるが、キャッスルトン王国の東方国境でもあるティスタ河を挟んだ対岸の先は小国家群の紛争地域。
西の森からサングマ方面に魔物が溢れることはあまりない。十年前に変異種を含む大規模な氾濫があったが、それ以降は落ち着いている。
北は商隊の主要ルートだ。入り組んだ峠道と山脈がお互いの盾として機能しており、山向こうの隣国とはそれなりに友好関係にある。
問題は東。橋が架けられないほど大きく深く、流れも急なティスタ河。馬は流され舟なら転覆。飛行船でも飛ばそうものなら見せしめに撃墜される。しかしそれでも紛争から逃れようと死に物狂いで渡り、それに成功した難民がじわじわ増える東部領縁部だ。
つまりサングマ東部は治安があまりよろしくない。
そんな東部は何もしなくても、領都から東端まで普通の馬車で五日ほどかかる距離だ。
「馬車は私が持ちます。疲れたら馬車に乗るようにしてください。馬は東部巡回の終わりの地に先回りさせましょう」
アリヤは走り続けた。
若き新人少年修道士は、一日でダウンした。
むしろよくやったと褒めた先輩青年修道士も、翌日ダウンした。
一晩である程度回復しても、半日と持たなかった。
馬車に乗る人数が増えているにも関わらず、アリヤのスピードは一向に落ちなかった。
むしろ全員が馬車に乗ったと見ると、もう加減は要らないですねと言わんばかりに速度が上がった。
アリヤは予定通り四日で東部の巡回を終え、王都へ向かう別隊に合流した。
十人ほどを乗せた馬車と食料や薬が積まれた荷台を、頭上から片手でしかし優しく地面に降ろすと、「西部は任せましたよ」と言い残しサングマ辺境伯領を出て、別隊が新たな“零番隊”となった。
「……猊下の御頭の上って、全然揺れないんですね」
「……そうだね、これは俺も初めて知ったよ」
半ば放心状態で、彼らはサングマ領都に戻って物資の補給の後、東部よりはやや狭く治安も良い西部の巡回を行なった。
巡回には半月強ほどかかったという。
おかしい……
アリヤさん何でこんな強くなってしまったんだ……
次回はミリクくん(の周りが)ドキドキの入学試験です。