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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
幕間 白
37/104

白の施し その2




 使用人が扉を開けると、そこには横たわった少女と、幼い黒髪の少年、その傍らに鍛え抜かれた体格の男性がいる。三人がアリヤを見て頭を下げる。


「ソーレニ・フォープ・クローナル・サングマでございます。このような穢れた身で申し訳ありません。ですが、かの『白』のアリヤ猊下に拝謁できる幸運、天に感謝するばかりですの」


 ソーレニは体を起こすと、胸の前で手を合わせ項垂れて祈る。

 彼女の下半身を覆う薄手のタオルケットは、しかしその歪なシルエットを隠しきれていなかった。


「私共は一度席を外します。行こう、ミリク」

「はい、ちちうえ」


 しかし、部屋を出ようと移動していたミリクが、アリヤの前で足を止める。


「あの……」


 ミリクは、その丸々とした深い青色の瞳を涙で揺らしながら、たどたどしく言葉を続けた。


「みんな、きもちわるくなるけど……そーれにを、こわがらないで、くれますか……?」

「……ええ。このアリヤ。『白』の枢機卿の名と、神の御加護の御許(みもと)()いて約束しましょう」


 ミリクはぺこりと頭を下げると、父親とともに部屋を退出した。


「良い子ですね」

「はい、わたくしには、もったいない殿方ですわ。本当に、また惚れ直してしまいましたの」


 ソーレニは紅潮して微笑む。

 それはとても自然で、アリヤはその恋心が、彼女を正気に保たたせているのだろうと考えた。


 自分の脚を切り取る提案をする程度に恋するソーレニが果たして正気かはともかく、アリヤは診断の準備をする。


 事前に呪いだと聞いていたアリヤは、『犠牲の形代』と呼ばれる聖別した木で作られ聖水の瓶に浸された特殊な人形を取り出す。これは直前に己の体の一部を与えることで、殆どの呪いを肩代わりしてくれる道具だ。

 芯まで聖水を吸って濡れているその人形に、アリヤは己の髪を巻きつけた。

 さらに、聖光壁を緻密に幾重にも作り出して体表を覆ったうえで、万が一のための袋と薬を傍らに置く。



「失礼いたしますね」



 そうして、ソーレニのタオルケットを取り払った。




 ソレは、始めからそうだったかのように、丸く滑らかに整っているのにもかかわらず、歪んでいた。


 いや、視界の全てへ、歪みが広がっていく。


 乾いた、割れるような音がした


「!」


 『犠牲の形代』が()()()()()


 頭部にひびが入っている。




 軋み、薄氷を砕くような感覚。





 結局アリヤは、袋と吐き気止めを使うことになった。





 しかし、ただで呪いを食らうアリヤではなかった。彼女とて、伊達や酔狂で枢機卿なのではない。


「呪いは、知覚を著しく歪める幻覚と精神に対する軽い恐慌、その上に肉体の制御を一部乗っ取って混線させる独特な術式……こちらは存じ上げませんが、エデンベール卿であれば中和できるかもしれません。

 解呪できるかは確信をもってお答えすることはできませんが……幸いにも、発現した呪いの効果は恒久的ではないようです。

 鑑定や直視、手で直に触れるといったところが条件でございました。おそらくは直接知覚するのがトリガーなのでしょう。

 近くに居るだけでしたら、影響はありません」



 ランバンとタルザムは驚いていた。


 アリヤは吐きまくりながら、恐るべきことにトライアンドエラーというよりもエラーアンドエラーだったが、とにかく“傷口”に対して様々な干渉を繰り返し試みた。


 そう、吐きまくりながらだ。


 それは、もう見ているソーレニのほうが恐怖を感じるほどだった。



 そしてこの場には、ミリクの母親として、もう一人女性がいた。



「アリヤ猊下、これを。お祖父様、いえ、エデンベール猊下からの書簡を預かっております」

「あら、貴女はシスター・リザヒル……今はライザですね。拝見しましょう」



 厚めの封筒を受け取ったアリヤは、中を見た途端、顔の皺を一層深くした。




 中には短い内容の便箋と、金糸の織り込まれた艶やかな絹の包帯が入っていた。




 《ハロロ~アリヤちゃん。いくらなんでも、吐きすぎて子供にドン引かれる姿を神託で視たくなかったわあ。

 そうそう、その呪い、未熟な私には解けそうにないゆえ、聖骸布を元にして、外に漏れるのを防ぐ包帯用意してみたから、試してみてちょ》





 ライザが手紙の内容に無言のまま両手で顔を覆っている。タルザムはそんな哀れな伴侶を優しく慰めた。ミリクは小首をかしげている。





 早速別邸の奥の部屋まで戻り、ソーレニの左脚に巻いてみたところ、見ても触れても異常は発現しなくなった。


 ちなみに、包帯を巻いたのはアリヤだ。巻き終えるまでの間に彼女は追加で四回吐いていたが、一切その手を止めなかった。狂気じみている。



 包帯を巻き終わった後、最後に鑑定してアンコール嘔吐したアリヤは、「鑑定は駄目なようでございますね」と平静な表情で言っていた。

 ミリクが心配そうにアリヤの背中を擦っている。


 ミリクとアリヤ以外は顔を強張らせるばかりだった。





 アリヤはそのまま辺境伯の邸宅を後にする。



 その報告が上がり、ランバンは執事に指示を出す。プライベートエリアである本邸の二階から、スキアーが降りて執務室にやってきた。


「ヒュグリーは落ち着いたか?」

「なんとかね。今は自室(ナーサリー)で寝かせておいてるわ」


 ヒュグリーは、姉の左脚取り外しによってものすごく取り乱していた。何度も説明してなんとか宥めたものの、アリヤと対面させようものならボロが間違いなく出るだろう判断したランバンとスキアーにより、子供部屋(ナーサリー)でおとなしくさせられていた。

 幸い、ヒュグリーはまだ十歳になっていない。社交界にデビューする前の上位貴族の子供、特に継承権一位の嫡男は、余計な火種を生まないよう基本的には箱入り状態なので、アリヤにも違和感を抱かせずに済んだ。


「男子だし、血気盛んなぐらいでいいんだけど……こういう時は、バラスン(分家の次期当主)君くらいの落ち着きとか冷静さも欲しいところよね。今度マーガレットさんに男子教育のコツでも聞こうかしら」


 スキアーがあと二年足らずで息子をどう仕上げようかと考えているところに、執務室の扉がノックされる。



 そこには、ミリクにエスコートされたソーレニが立っていた。

 先ほどの包帯に加え、義足を装着している。

 球体関節に簡単なバネと外装で構成された一時しのぎのものだが、それでも歩行程度ならコツをつかめばできるようになる。


「ミリク様の自然な立ち振る舞いには、いつも驚かされてばかりですの。あのアリヤ猊下へのダメ押しの泣き落としなんて、わたくし、感動で胸が打ち震えましたわ」

「でも、そーれに、いままでのしきょーさんたちから、こわがられてたから……」


 実は、この近辺の口の堅い司教や信用できる大司教(当然だが、バタジアに不適切な治療を行なった者達とは別人だ)に、ソーレニの脚を診てもらっていた。

 枢機卿に防げなかったものが並の聖職者に防げるわけもなく、ご自慢の耐性装備も壊れて漏れなく全員が吐いたのだが、その結果、とてつもなく高位の悪魔に呪われているだとか、神から罰を受けているのではとか、散々なことを言われる始末だった。


 彼らの結論も当らずも遠からずだったわけだが。


「まぁ、そのようなこといいんですのよ? 所詮その程度の方々では試金石にもならなかっただけですの」


 ソーレニはそんな言葉とは裏腹に、ミリクが自分を慮ってくれたのだと思うと、喜びを隠しきれなかった。


「ソーレニ、すっかり女の顔になってるわよ」

「あらごめんなさい、お母様」


 そんなすっかり惚気きっている娘を茶化し、スキアーはそれで、と言葉を続けた。


「それで、結局ソーレニの偽の傷と呪いは、真っ当な枢機卿レベルならバレないってことでいいのかしら?」

「おそらくな」


 ランバンが答える。当主として直接会話していた者としての印象だ。


「私も息子と共に猊下の様子を拝見しておりましたが、呪いの内容はともかく、正体は露見していないものと思います」

「あのなりふり構わないアリヤ猊下は、ちょっと真っ当とは言い難いものでしたけれど……ええ、大丈夫だと思いますのお母様」


 タルザムとソーレニもその意見を肯定した。



 だが、ミリクだけが首を横に振った。



「……ギャバリー?」



 タルザムは息を呑んで尋ねた。ミリクが口を開き、ギャバリーが言葉を紡ぐ。


「アリヤ・ダイアモンド枢機卿は、最初から呪いのことを知っていました。そしてそれが()によるものである可能性についても、初めから想定していました」





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