婚約と決闘 その6
救護室で、ベッドの上に寝かされて、ぼんやりと天井を見つめる少年。
いくらか具合も落ち着き、思考も明瞭になってきた。
(彼女は“呪い”と言った。原因について結局詳しく聞けなかったが、もし“呪い”ならそれは錬金魔法ではどうにもできない。神聖魔法の範疇で、教会の仕事だ。その最高位の使い手が無理だと言うなら、人間には不可能なのだろう。それで──)
少年は手を挙げ天井へかざす。
非凡ではあるが、所詮は九歳の小さな手。
まだ自分で一からなにかを成してはいない、無力な手。
それは力を抜くと、ぽすりと情けない音でシーツの上に落ちる。
(それで──僕は納得するのか? 諦めるのか? 始める前から、この僕が?)
クルセオン・フォープ・ティンダーリアは、生まれて初めて感じたかもしれないその無力感に、胸を締め付けられていた。
「なるほど……クルセオン様が何か今後しでかす可能性が有るということですのね」
「そうよ」
パーティ自体はあの後すんなりと終了し、サングマ家一同は今後についてすり合わせを行っていた。
そこで、ティンダーリア家の御曹司に対する懸念を先輩の女性陣に示され、ソーレニは少し考え込む。
「確かに、彼はプライドが高く自分以外を常にどこか疑うような視点をお持ちですの。たとえそれがエデンベール猊下の発言であったとしても、自分で確証が得られないと腑に落ちないタイプですわ」
クルセオンと実際に会った回数など、今回を含めても片手の指の数ほどもないが、書簡でのやりとりはそれなりにあった。
互いの知性で殴り合うような内容で、愛の言葉とは程遠いものだが、クルセオンがそういうものを望んでいたことは事前の調査で分かっていたことだったので、あえてそうしていたものだ。
彼が王都で天才だと持て囃されていることは知っている。
だが、その本質は結局の所、9歳の男子に過ぎない。
わがままで、全てが手に入って当然だと思い、全能感に溺れている。
親の敷いたレールの上を、ただ順調に歩いているだけだというのに。
そして彼は、相手の嘘や矛盾を指摘してマウントを取ることが大好きだった。正義の下に断罪したのだと、よく自慢していた。
くだらない。
絶対の正義なんてものが本当にあると信じている。自分のそれが絶対だと信じている。
まぁ、もしかしたら、あるかもしれない。
わたくしもミリク様に出会えたのだから。
そんなことを思い出しながら、ソーレニはあり得る可能性を検討する。
「教会の聖職者達から神聖魔法を学んで、錬金魔法と組み合わせる研究、くらいはしそうですの。義足も教会由来の通信魔法を利用している部分があると伺いましたし」
「最悪、お祖父様……エデンベール猊下と手を組まれて、原典を片っ端から引っ繰り返して研究しだすかもしれません。猊下もそういった学徒は大歓迎という性格をしておりますし、今回の縁を利用して連絡をし始めることになれば、十分にあり得ます」
ライザが、ソーレニの考えを肯定するように、ある種の最悪を提示する。
ソナーダ、マーガレット、スキアーは示し合わせたように渋い顔になった。
「あぁ……それは本当に嫌ねぇ……どこにどう転がるか全く予測も誘導もできないわ」
「そうですわね……どう爆発するかもわかりませんもの……」
「ただ、爆発する可能性が高いことだけはわかるわ。まったく、堪ったもんじゃないわよ……」
女性陣がそろって溜息を吐く。
「いっそ、その研究の場とやらをこちらから設けるとかどうだろう」
タルザムが、なんとなく呟いた。
「下手に自己流で何かやられるくらいなら、その方がマシそうだが」
「ですが、クルセオン様が研究するにあたって、私達がティンダーリア侯爵家以上の場を設けられるとは……」
「確かに……いや、少なくともエデンベール猊下を動かすのなら簡単だ」
ライザの尤もな指摘に、タルザムは視線を下げる。そこには彼の息子がいる。
「ミリクを、例えば魔法関係の学校に入れれば、猊下は間違いなく動かれるだろう。そこにクルセオン様もうまく巻き込めれば、動向を掴んでおくことはできないだろうか」
「へえ……いい案だけど、らしくないじゃない?」
スキアーが目を細めて覗き込む。
「子供を餌にするなんて、貴方らしくないわねぇ。今回釣る相手も子供だからかしら?」
「タルザムさんが考えたにしては上出来ですけど、どうしましたの?」
酷い言いようだが確かにそうだ。タルザムは無辜の子供を犠牲にする方法についてはいつも否定的である。
らしくない、というのは的を得ていた。
「俺はミリクを……学校に入れてやりたいんだ。正直に言えば、今回のこととは関係なく、常識や友達を作る場を用意したいだけで、王都でもここでもどちらでもいい。勿論ミリクの安全だけを考えれば、サングマ領から外に出さないのが簡単だ。だが、俺はミリクにはもっと色々なものを見て欲しい」
タルザムはそう言うと、ミリクの頭を撫でる。
「ミリクちゃんはいいの?」
ソナーダが、おばあちゃん声で優しげに尋ねる。
「がんばります!」
「も~~頑張らなくていいのよミリクちゃん~~」
「そうね、ミリク君が頑張っちゃったら、もっと予想できなくなるわ」
ソナーダがタルザムの手を自然とはね除けて高速でよしよしする中、スキアーは冷静に補足した。
「あ、そうだわ。いっそ、タルザムを近衛騎士から一時的に解任して、一緒に王都に行ってもらえばいいじゃない」
「ええっ?!」
「いやいや流石にまずいからな?! 副団長だぞ?!!」
タルザムだけでなくランバンも思わず声を荒らげてしまう。
「いいのよ。ミリク君は転移を使えるんだから、タルザムによく似た謎の騎士を臨時で雇っとけば問題ないわ。用があるときだけそいつを呼び出すの」
「分かりました。その謎の騎士は、我がサングマ分家が責任をもって用意いたしましょう」
スキアーの暴論を、シンブーリは恭しく了承する。弟に確認はしない。
タルザムも自分が言い出したことなので渋々といった顔だが了承した。
「それじゃあ、暫く会えなくなるんですね」
「そうでもない。週に一度は見に来るつもりだ」
「あはは、それ今と変わんないですよ院長」
ブンッと振り下ろしたところで木剣を腰に納め、シャツで汗を拭う少年が、タルザムと笑いながら話す。
「ダージーも一段とキレが良くなったじゃないか」
「久し振りに、死を覚悟する目に遭えましたから。しかも、逃げるんじゃなく、立ち向かおうとしたのは初めてだったかもしれません」
じゃなきゃ今まで生きてませんでしたけどねと、ダージーは苦笑いする。
「あぁ……あれは悪かった」
「いえ、普通なら俺はもう生きていません。貴重な経験でした。それより、他のやつらには伝えなくていいんですか?」
孤児院の裏庭にはダージーとタルザム以外の姿はなかった。
二人きりの空間は、木々で視界は遮られているとはいえ、隣の騎士達の訓練場から聞こえる怒号やら剣の音で雰囲気もへったくれもない。
逆に言えば、ちょっとしたことならばれにくいということになるが。
「実はもう皆には伝えてある」
「え! いつの間に?!」
「いやあ、あんまり集中していたようだったからな。まあ、そろそろ視界を広くとる練習もやることだ」
「うぅ、精進します……」
「というわけで、彼が、タルザム殿の一時解任に伴い、臨時で入ってもらうアボングローブ副団長だ」
「よろしく頼む」
召集が掛けられた近衛騎士団にも紹介の場が用意された。
「タルザムさ……」
「アボングローブだ」
「うわ、すごいですよ。鑑定でも “アボングローブ” って出ます! タルザ……」
「アボングローブだ。グレンバーン君」
「初対面なのに俺の顔と名前一致してるんですね」
「んっんん……副団長だからな」
髪を染めたり髪型を変えたりしているものの、永年共に戦ってきた同朋にはバレバレであり、却って弄られるネタと化していた。一番若手のグレンバーンにすら揚げ足をとられかけている。
そんな根回しの末、ミリクは両親と共に王都のサングマ家別邸に居を移し、私立ティンダーリア魔法学園へ入学する準備を進めた。
全然決闘しなかった………