宴と対面 その9
「はぁ………ミリク様……」
「……姉様、姉様ったら!」
ソーレニは、すっかりミリクに夢中になっていた。愛しい弟の声が素通りだ。
帰りの馬車の中でも、リビングで寛いでいるときも、溜め息をついてはミリク様と呟く。
当初彼女には、ほぼ確定していた彼女からすればまあまあの縁談相手がいた。別に不満があるというほどでもないが、飛び抜けた何かも感じない。
つまらない、ときめきがない。
だがそんなものを求めるのが夢物語だということも、彼女は社交界に出てよく理解していた。
なんせ辺境伯家の令嬢だ。釣り合う相手を見つけるだけでも一苦労。上なら公爵家の分家筋か侯爵家。下なら伯爵家。当然上位の貴族ほど数も少ない。
そしてそういった貴族男子は、策謀に揉みに揉まれて碌な性格でないことが多い。
常に上に立とうとマウントを取り続ける者。
変に謙り隙を窺う者。
ただひたすら傲慢で我儘な子供。
ぎりぎり成人したかどうかの男子など、性欲と野心を原動力としているのだから、仕方ない。
婚約者を変えると突然祖父から指示を受けた時も、社会情勢が変わったのだろうぐらいにしか思わなかった。
資料を見て、今度は幼児かと呆れた。
だが、その情報はどうもちぐはぐしているような、嘘が混じっているような印象があった。
出会ってみて、ミリクトンという少年は、歳の割には礼儀正しい子だ、とまず感じた。何より真っ直ぐで、不純物を感じない。
まあ、単にまだ性格が捻れていないだけだろうと、そのときは思っていた。
タルザムが突如ミリクと共に退室し、バラスンも後を追った、あのお手洗い。戻ってきたバラスンから、周囲に聞こえるような声で、マーガレット伯爵夫人達に報告していた。
「ミリクがお腹を下してしまったみたいで……なんとか落ち着いたので、もうすぐ戻ってきます」
そうして戻ってきたミリクは、子供らしく照れながら気恥ずかしそうに謝っていた。とても自然で、これだけなら何も違和感は無かった。
たが、タルザムが驚いていた。
なぜ?
それでソーレニはピンと来たのだ。
何があってどういうわけかは分からないが、ミリクは親の顔を立てるため、自分が恥を引き受けたのだと。
しかも自己判断でだ。
彼も今回のパーティーの主役ではであったが、異例の幼さ故にあの三人の中では最も自然でダメージの少ないシナリオ。
ソーレニは確信を得るために、ミリクにわざとらしくカマを掛けた。「私は分かっている。素晴らしい策だった。貴方が思い付いたのでしょう?」と。
だが返ってきたのは、ボロどころか又もや幼さを利用した惚けた顔。
驚くでも自慢するでも感謝するでもない。
家のために決して相手に不利な言質を与えない、本物の貴族。
純真無垢な顔の裏で、自身さえも駒として完璧に動かす怜悧さ。
ソーレニは、堪らなかった。らしくなく煽るような言葉を口にしてしまった。
その上で、訓練場でのあの武闘。いや、舞踏のように彼女の目には映った。
母親譲りの強い男好きであるソーレニは、ミリクからの抗えぬ魅力により、懸念していた“本当に強いのか”という部分を微塵に粉砕され、完全に虜となっていた。
少し冷静な視点で客観視して、御手洗いの件はマーガレットらの策略ではと勘繰ったほどだ。
そうだとしたら完敗だ。
そうである方が自然だし、それでも構わないと思っている自分がいる。
だから完敗。
「おれは! あんなやつ、認めない!!」
「……あなたは、ミリク様に勝てるのかしら? ヒュグリー。文句があるなら男らしく決闘でもしたらどうですの?」
「ぐ……っ、ぅ……ぅぅぅう゛ううっ……!!」
だからヒュグリーがいくら意固地になったところで、ソーレニは言葉だけで捩じ伏せられる。
ヒュグリーは、姉が反応してくれたと思ったらカウンターで重い一撃を喰らい、泣き出してしまう。それでも部屋から出ないあたり、姉のことが好きでたまらないようだ。
この愛しい弟は、まだ求めるだけで実現する力がない。
大口叩くだけで力が伴わない。
でもそれは普通のこと。
大人だってそうだ。
ただ、それをブラフだと言って上手く誤魔化すようになるだけ。
そんなものは策を労するまでもなく、正論で叩き潰せる。
故にその真逆であるミリクは堅牢だ。
余計なことを口にすることはなく、その実力は本物。
弱く見積もっても一騎当千、近衛騎士団の戦術級クラス。
支えるもよし、駒にするもよし、上位貴族としては低い位置なのも良い。己の手腕で伸ばし甲斐がある。
「想像するだけで堪りませんわ……お祖父様も、本当に素晴らしい殿方を見繕ってくださったものですの……ふふふっ」
「ソーレニは、本心から惚れたから、そっちは問題ないわよ。そうでなくても問題ないくらいには教育してあるけど」
「そうか、だがミリクトンのあの強さ。報告では聞いていたが、あれは尋常ではないな」
サングマ辺境伯次期当主ランバンと妻スキアーは、自分の娘について懸念事項はないとしつつ、対象である少年への対策を練っていた。
「私としては、ミリク君を制御下に置けている事の方が尋常ではないと思うのよ。出自が不鮮明なのはこの際いいとしても、分家……少なくともタルザムがあの子の手綱を握っているのは確か。迂闊に引き離してミリク君だけを取り込んでも制御できなければ、良くて空中分解、最悪クーデターやら内戦が始まるわ」
「そうだな。それで、分家の策に乗ったと」
「ええ。なにせ、タルザムの手綱は私たちが握っている。だったら、分家に制御は任せて、私達は縁故だけ用意すれば十分な利益ってわけよ」
そう、タルザムは近衛騎士団に所属している以上、いやそもそも分家であり、サングマ辺境伯領にいる時点で、その命令系統下にあるのだ。
タルザムがミリクをリスクなくコントロールできているのなら、本家側でわざわざそのコストやリスクを負う必要はない。本家令嬢との婚約で、周囲にコネクションをアピールし、余計な虫を弾けるならそれで十分。
だからスキアーは、あの場で分家の用意した“勝ち”を、素直に受け取った。
「そういうわけだから、今更何か横槍が入ることは、あんまりないでしょうね。せいぜい、タルザムに新しい妻がついてくるとかじゃない?」
「そういえば、そっちも縁談を進めているという話だったな。ライザ・エリシェバ、だったか。男爵家相当の家だな」
「エデンベール猊下の孫娘。コネとしては随分な大物。むしろ振り回されそうだわ。私なら直接関わるのは遠慮しときたいところよ」
タルザムは既に振り回されているので、今更であった。
「いっそ婚約披露宴を合わせてやろうかとも思ったが……いや、分けたところで、どのみち猊下は出てきそうだな。ならやはり一回に纏めた方が良いか」
「……そうね……どういうわけか、エデンベール猊下の目撃情報もあったぐらいだし、ミリク君と既に接点があると思った方がいいわね。面倒事は纏めて片付けたいわ」
『黄』のエデンベールと『赤』のジュンパナの異次元の強さは、毎年キャッスルトン王国武闘大会で披露されている。戦力アピールも兼ねた宣伝であり、彼らを倒せば枢機卿になれるという名目もあるが、まともな人間が勝ちに行ける相手ではない。
当然、そんな大会で暴れるような聖職者がまともなわけがなく、いくら強者好きとはいえ、実際の人柄を知る機会のあった二人からすれば、狂者を相手にしたくないというのが本音だ。
その回数は一回でも少ない方が精神衛生上良い。
ランバンとスキアーは互いの考えを肯定し会うように頷きあって、今後の予定の再調整を進めた。
キャッスルトン王国の王都。
そこには国内でもトップクラスの貴族が別邸を構え、子息を学園に通わせている。
主に人脈を広げるためのものだ。
つまり上位貴族の子息の多くは、王都で暮らしている。
例外はそれこそ国防を司る辺境伯家ぐらいだ。
物理的な距離と、現地での兵法を学ぶ必要もあり、辺境伯とその領の貴族家は、あまり王都に足を運ぶ機会がない。別邸はあるが、そこにいるのは継承権の低いかそもそもない三男以下や庶子だ。彼らは受け継がれている人脈を利用するので、学園には通わされていない。余計な人脈はかえって毒になることがあるからだ。
そんな辺境伯家が、王都の貴族に嫁を出すことが多いのは、国への忠誠心を示すことと、人質の面がある。
辺境伯は気軽に身動きがとれないので、王都の細かな動きを把握するために、別邸の者に情報を収集させている。専用の情報網を王家も認めている。逆に辺境伯家も、王家に自領内の専用の情報網を認めている。互いに密なやり取りと監視し合うためには不可欠だからだ。
つまり、王家でない普通の上位貴族、ちょっと婚約関係にあった程度では、王都から辺境伯家の細やかな情報を入手するのは難しい。
「ミリクトン? そんなどこの馬の骨とも知らんやつに、ソーレニを奪われたっていうのか? この僕よりそいつが、優れてるっていうのかッ?!」
「サングマ分家のご子息で御座いますよ、坊ちゃま」
「そんなのは家名で分かる!!」
九歳のその少年は、手に入れたと思った婚約者を奪われ憤っていた。
「決闘だ!!!」
声を荒らげる。
「披露宴には王都のやつらも呼ぶのだから間に合うだろう! 今すぐ申し込め!! 僕の披露宴にしてやる!!」
「承りました、坊ちゃま」