宴と対面 その5
「あの……マーガレット伯爵夫人、ソナーダ先伯爵夫人、恐れながら……先ほどのタルザム様は、ご様子が……」
ライザのその行動は、周囲からはある種の自殺行為にも見えた。正妻候補だろうが、彼女は格下の家の部外者だ。
巻き込まれまいと、自然と人が離れる。
「うふふ、大丈夫ですわ(分かっていますわ)」
「そうねえ。安心なさって(ありがとう。やはり私達の眼に狂いはないわね)」
ライザの耳には、ソナーダ達の表の言葉と同時に、魔法の言葉が聞こえる。
そしてすかさずマーガレットは言葉を続けた。
(バラスン、様子を見てきなさい。そこで見聞きしたことは、次期当主として覚悟して受け入れなさい。決して口外は許しません)
バラスンはマーガレットの指示にビクリと反応した後、私もお手洗いに行って参りますと、子供らしく照れ笑いしつつ周囲に伝え、席を外す。
「……クソッ!!」
家族専用のトイレの個室で、タルザムが壁を叩く。本気ではないが、それでもパラパラと塵が落ちてくる。
「ちちうえ……ごめんなさい……」
「謝るな……ッ! ……頼む、謝らないでくれ……」
タルザムは、自分を慰めるように、縋るように、ミリクの小さな身体を抱き締めた。
「……俺が所持者でいる間は、お前は人間と同じように成長して欲しい」
「承知しました。保全機能の一部を解除します。なお、マスター不在時は、肉体の再調整はできません。ご了承ください」
タルザムは、ギャバリーの言葉にひとまず胸を撫で下ろした。
「ギャバリー……ミリクは、本当に、子を授かることができないのか……?」
「はい。このまま肉体が人類一般において生殖に最適な年齢まで成長したとしても、不可能です。そのように製造されています。
『賢者の本棚』の器は生物学的なあらゆる特性について遺伝子から最適な調整が施されており、その生殖細胞は特定大規模破壊兵器製造材料に指定されたため、6代前のメジャーリリース時点で生殖細胞に対し外部から不正な干渉があった場合、自壊する機能およびセキュリティ違反プロトコルが搭載されています。通常の手段による排出・摘出はできません」
そして、打ちのめされる。
貴族として子を成せないというのは、致命的だ。
だがそれ以上に、第三者の意図で子宝を生まれながらに剥奪されているということが、そこまで尊厳が侵されていることが、余りにも残酷だった。
「……どうにかならないのか?……もうお前達は自由なんだろ!?」
「──機能自体は存在していますが、制限されています」
「解除方法はあるのか……?」
「当該の『賢者の本棚』の機能停止──現行個体名、ミリクトンの終了が条件です」
「そんな……馬鹿なことが……」
膝から崩れ落ちるタルザム。
彼は今までにも、多くの死を目にしてきている。だから男が死に際に、子孫を残そうとする本能でか、精を吐き出すことがあるのを知っている。
ミリクには、良くてそれしかないということだ。
ギャバリーは、あくまで無表情のままだった。
「──以上は、通常閲覧可能な本来の仕様書から導き出される結論です。しかし、先代マスター──開発者から、数件のバグが報告されています。それらは未修正です」
その言葉の意味を、タルザムはよく理解できなかった。
「……どういう意味だ?」
「リリースされた最終ビルドバージョンにて加えられた変更について、以下のデグレードが報告されています。
(1)肉体年齢調整機能の脆弱性
年齢指定へのバリデーションチェックが機能しておらず、256以上の数値を指定した場合、オーバーフローによりエラーが発生する。
この際、最終的な調整結果は、256の剰余を指定した場合と同一の結果になる。
(2)終了判定機能の不具合
保全肉体年齢指定値が65535を越えた場合、肉体の機能終了判定フラグが一時的に有効になる。
これにより、一部の制限機能について意図せず解除される危険性がある。
これらバグ報告について、開発者から以下のコメントが併せて登録されています。
《あんたは、この坊主の新しいマスターだろう。これは俺から坊主へのプレゼントだ。
メインカーネルに対して上手く仕込んだ、俺の自信作だぜ。
ただ生憎このバージョンの変更をメインカーネルに反映するには、管理者権限の差し替えが必要でな。俺はそいつを拝めないのが残念でならねえよ。ははは!
ま、先祖のブラックボックスなガチガチセキュリティに一矢報えたっつーことで満足しとくわ。後はよろしく頼むぜ。
坊主の自由を託す。》
以上です」
タルザムは、先代マスター── “最後の開発者” とギャバリーが呼ぶ者のことを、詳しくは知らない。
だが、彼か彼女かも分からないが、その志を確かに感じ取っていた。
「先代は、最高のやつだったんだな」
「はい、私はそう考えております」
「……えーと、六万……」
「65535です」
「そこに今の歳を足した年齢に肉体を調整してくれ」
タルザムは、意を決して命令した。
ミリクの身体を赤と黄色の光が覆う。
「承知しました。“65541”
──耐用年数を越えています。安全のため肉体の機能停止。各種状態更新。
──予期せぬエラー。アドレス 0x0000e887aae794b1 にて、オーバーフローを検知しました。入力値を安全な値に正規化します。
──異常な状態です。管理フラグの再初期化を実行します。フラグの修復に成功しました。
肉体の再調整を実行。完了」
光が収まると、そこにはなにも変わらないミリクの姿があった。
「……大丈夫か?」
「はい! ちちうえ!」
バラスンは、廊下でしゃがみこんでいた。
「……」
タルザムとミリク達の会話は、彼にとってほとんど理解できるものではなかった。けれど理解できた部分もある。
ミリクは、子を成すことも成長すらもできない状態だった。
ミリクが子供を授かるには、死ぬしかない。
そのように、肉体を弄られていた。
バラスンは、ミリクに施されたという外法の、その想像絶する悍ましさに、顔を歪め、涙を流すことしかできなかった。
(何が、次期当主として守ってやる、だ……俺は……ミリクに何をしてやれるんだ……)
己の無力をひたすら呪うことしかできずにいた。
そんな、踞って泣いているバラスンに、トイレから出てきたタルザムが気付いた。
「……バラスン……お前、聞いていたのか」
「っ! ぁ、叔父、上……すみません……俺っ……」
声を掛けられバラスンは狼狽えてしまう。様子を見て、大丈夫そうならさっさと戻るつもりだったのだが、十歳の少年には余りにも重たい内容だった。
「ほら、立てるか?」
「はい……ありがとう、ございます。あの……ミリクは……」
タルザムに支えられ、立ち上がったバラスンは、ミリクと視線が合い堪らず顔を逸らしてしまう。
それでも、ミリクのことをタルザムに確認した。
「……大丈夫だ。ミリクは大きくなれるし、子供だって授かるさ。先代の最高のプレゼントのお陰でな……ここだけの話だぞ」
「そう、なんですか……? ほんとに……?」
「うん! ばらすんにーちゃんありがと!」
ミリクの無邪気な笑顔に、バラスンは己の至らなさを痛感した。
小さな弟に──悍ましい外法で虐げられ肉体を弄ばれていた自分よりもずっと幼い子供に──気を使わせてしまった。
自分が泣いている場合ではない、少年は自身をそう奮い立たせた。
(過去は、俺にはどうすることもできない。でも、それなら俺は、ミリクの未来を守る……!)
バラスンは、涙をハンカチで拭い、前を向いた。