宴と対面 その3
「ライザ・エリシェバでございます。タルザム様、ミリク君、もしかしたら後程またお話しする機会もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」
「あぁ、よろしく」
「……」
タルザムがもう何度も繰り返した言葉を口にする。しかしミリクは丸々とした瞳で、じーっとライザを見つめている。
ライザは、やはり駄目かと諦めた。
「りざひるさん、きょうはすっごくきれいです!」
「えっ?!」
「……ありがとう、ミリク君」
ミリクの言葉に一番驚いたのはタルザムだった。
感謝の言葉を口にしながらも、ライザの顔は気まずそうである。
タルザムはライザの顔を改めて見て、普段のシスター・リザヒルとの変わりようにさらに驚いていた。
「本当に、シスター・リザヒルなのか……」
「……えぇ、まぁ、はい。ですが、社交界ではあくまでライザ・エリシェバです」
「なぜ今まで……」
「シスターとしての私は、一修道士に過ぎませんから……」
それはタルザムにも言えたことで、彼も騎士として動いているときは、殆ど家名を口にしない。だからリザヒル、いやライザのその言葉には、ある程度納得がいった。
極力、家の威光を利用したくないのだ。
「だが、それにしても随分徹底していたな」
そう、タルザムはライザ……シスター・リザヒルと十年近い付き合いがある。しかし一度たりとも “エリシェバ” という家名を耳にしたことがなかった。
もしかしたら、社交界にライザはそれなりに出ていたのかもしれないが、タルザムがそのような場に出たことが殆ど無く、ライザ・エリシェバとしての彼女を、タルザムは何も知らなかった。
「それは……」
「えりしぇば、ってえでんべーるすうききょうといっしょ?」
ミリクは、洗礼の際に色々あって実行したセキュリティ違反プロトコル『タウ』により、リクエスト源だったエデンベールの複製魂を破壊すると同時に、その保持していた数多の情報を取得していた。
そこにはエデンベールの家名も含まれている。
ミリクの一言に、ライザの顔が一段と渋いものになる。
それでも今の彼女はかなり美しく、憂いを帯びた貴婦人のようだ。いや、実際貴婦人なのだが。
「猊下は、……私の祖父に当たります」
すごく嫌そうな顔だ。タルザムは今度こそ納得した。
成る程、確かにあの方が身内だとは極力知られたくない。
そういえば、エデンベール枢機卿の手紙をリザヒルから受け取ったことがあったが、あれはそういうことだったのかと気が付いた。
修道士の懐からいきなり枢機卿の手紙が出てくるというのは、よくよく考えれば妙な話だ。
おそらく人の目を避けるために、枢機卿がいつもと違う経路を選んだのだろう。
「私個人としては、『黄』ではなく、『白』のアリヤ猊下を尊敬しております」
とても重要なのだろう。ライザは凄い目力で強調してきた。
「長々と済みません。あとの方々もいらっしゃいますので、一旦失礼致します」
「りざひるさん、またね!」
ライザは、シスター・リザヒルのときには見せない洗練された貴婦人のお辞儀をすると、従者と共に下がった。
これらのやり取りは公然のものなので、他の貴族達からも普通に見えているし聞こえていた。
他の二人の正妻候補は焦りを隠せなかった。
何せ、彼女達もシスター・リザヒルとタルザムが約十年と長きに渡り交流を持っていたことは有名な話だ。
しかしシスター・リザヒルには貴族の影が見当たらず、多くいるタルザムと親しい平民の一人に過ぎないと考えていたからだ。
その上、ミリクともかなり良好な仲を築いているのは、先のやり取りの様子からも明らか。
もし全てが、タルザムの正妻となるための準備だったとしたら……貴族としての名を、身分を隠し続け、修道士として十年もの間、奉仕活動を本気で行う──そう、本気で。
シスター・リザヒルは、タルザムとの結婚を目論む者からすれば、最も怪しい人物だ。故にその活動は常に詳細に調査されている。
彼女は、十年前の変異種の氾濫での救助活動からして本気だった。治癒の神聖魔法で多くの怪我人を救い、炊き出しにも参加していた。
その後も領内のあちこちで奉仕活動を精力的に行なっている。タルザムと接触が多かったのも、その殆どは孤児達の保護を通じてだった。
正に修道士であり、そこには貴族としての考えや振舞いは一片も現れたことがなかった。
そんなことが、婚期を擲ってまで、自分達にできるだろうか?
自分達よりも身分が下だからと、婚期も過ぎ気味の年増だと、侮っていた子爵家の娘二人は認識を改めて、そして臍を噛んだ。
彼女達に現状を覆し得る一手は無かった。
貴族達の挨拶が一通り済んだ頃、ディララムがベルを二度鳴らす。
「今回は、当家のパーティにサングマ本家辺境伯の御家族の皆様にも御越し戴く栄誉を賜った」
シンブーリがそう言うと、壇から降りて壇上に向け膝を折り頭を下げる。他の貴族達も揃って膝を折って屈む。
楽団の音楽と共に、白髪混じりの精悍な男性と、シンブーリよりも少し年若い夫妻、そしてその後ろには彼らの息子と娘らしい子供が二人が、壇上に立ち並ぶ。
楽団の音楽が静かになると、タルザムとミリクが頭を下げたまま前に出る。
「本日は、分家の次男である私の息子のために御足労いただき、誠にありがとうございます。彼が、我が息子、ミリクトン・ボープ・サングマでございます」
「ちちうえよりごしょうかいにあずかりました。わたくし、みりくとん・ぼーぷ・さんぐま、でごさいます。よろしくおねがいいたします」
練習した甲斐があり、ミリクは噛まずに台詞を言えた。
「君がミリク君か。儂がサングマ本家現当主、カクラムスク・ティッピー・フォープ・クローナル・サングマ辺境伯だ。畏まってくれているようだが、今回は非公式な参加だ。皆の衆も面をあげてくれて構わない。儂もミリク君に家族を紹介したくてな、長男一家を連れてきた」
カクラムスクがそう言うと、後ろに控えていた夫妻と子供達が前に出る。
「長男ランバンとその嫁スキアー、それに孫のソーレニとヒュグリーだ」
「ランバンだ。君の話は父上より以前から伺っていた。会えて嬉しいよ。またすぐに話す機会もあるだろうから、その時色々話そう」
「スキアーよ。私も、ミリク君には興味があるのよ。強い男は好きなの。歳が合わなくて残念だわ。よろしくね」
ランバン、スキアー夫妻はとても五、六歳の子供相手とは思えない口調でミリクに話す。特にスキアー夫人のときのソナーダとマーガレットの殺気は凄まじく、タイガーヒルとシンブーリは揃って身震いした。
そんな殺意をよそに、子供達の挨拶に移る。ミリクよりも歳上の、丁度バラスンと同じか少し上の、十一歳ほどの大人びた少女が口を開く。
「ソーレニですわ。イメージしていたよりもずっとお可愛らしい殿方様で、わたくし安心しましたの。よろしくお願いしますね」
笑顔と共に上品なお辞儀。マーガレット達は先程のお約束の殺気とは違う、本気の警戒を彼女に対して行なっていた。
最後に、オークスと同じくらいの八歳ほどの少年が胸を張る。見た目もオークスと似ているが、その目付きは鋭い。
「ヒュグリーだ。……お祖父様やお父様がみとめても! おれは、むぐぐっ」
ソーレニが素早くハンカチでヒュグリーの口を押さえ込み、そのまま強制的にお辞儀させた。
「よろしくおねがいいたします!」
何事もなかったように繰り出されたミリクの返事に、ソーレニは笑みを絶やさない。
そして、カクラムスクが決定的なことを口にする。
「儂は、ソーレニをミリク君の許嫁にしたいと考えている」
静まり返る会場の中、ヒュグリーだけが姉の腕に押さえ込まれつつ、むぐーむぐーと唸っていた。
ヒュグリーはお姉ちゃん大好きなシスコンなんだと思います。
スキアーのママショタは(規約的に)危険な香りがするので本文では深く触れません……