騎士と街並 その7
お待たせしました。
バトルものなのかグルメものなのか……
(2019/03/25 改行とか調整しました。)
(2019/06/09 分割しました。)
和やかだったり和やかでなかったりした晩餐会の翌日。
タルザムは珍しく貴族の礼服を纏い、ミリクと共に馬車に揺られる。二人は、領都にある教会へと向かっていた。
先日正式に当主から認められたことで、サングマ分家次男タルザムの息子ミリクトンとして、洗礼を受けるためである。
教会に入ると、タルザムが金貨の入った革袋を取り出す。貴族としての義務の一つである洗礼料だ。この金を用意するのは当主つまり今回で言えばシンブーリの役割であり、タルザムの懐は特に痛んでいない。
そんなわけで重たい革袋を恭しく司祭が預り、上位貴族専用の秘蹟室にミリク達は案内される。
室内は、淡い色合いをした赤青白黒黄の五色のタイルが壁にちりばめられているが、それらは華美ではなく、あくまでシンプルな内装だ。
祭壇の正面に小さめの椅子と、背面の壁際に長椅子。どちらも手入れの行き届いた高級感のある木と革でできたもの。
そして高めの天井にある天窓から祭壇へ光が差し、神々しい空気が部屋の中を満たす。
祭壇の前の椅子に、ちんまりとミリクは座った。足が地面についていない。タルザムは同行者のための後ろの長椅子に座り、そんなミリクを見守る。
しばらくすると、サングマ辺境伯領とその近辺を統括する大司教が室内に入り、秘蹟室の扉が閉められた。
《警告。対象は欺瞞と視聴覚擬装を多重展開しています。対抗術式を自動生成します。完了。無効化を実施しますか?》
「え?」
ギャバリーからの通信。不意を突かれ、タルザムはらしくなく声をあげてしまう。
「ほほほ、未熟な者達はともかく、やはり『神の恩寵』に隠し事はできませんな」
ギャバリーが無効化を実行する前に、大司教の姿はサラサラと光の粒に崩れて行く。声も徐々に変化し聞き覚えのある老人の声になる。
そこに現れたのは、エデンベール枢機卿だった。
「ミリクトン様の洗礼という重大で羨ま……貴重な秘蹟を、大司教ごときに任せるなど……私ですら只人である以上、力不足だというのに……というわけで、『青』の件も落ち着いたので参った次第でございます」
ようは、また来ちゃった☆ と、この老人は言っている。
神託を駆使し、予めスケジュールを完璧に調整しているので余計タチが悪い。
「どのみち、教会標準の洗礼手順で『按手』を行えば、ミッションヒルの教会本部が地図から消えてしまうこともあり得ましょう」
「どういうことですか?」
タルザムは眉をひそめる。
『按手』とは、洗礼や叙階といった教会で行う聖書に基づく儀礼『秘蹟』内で、司祭以上の聖職者が儀礼の対象者の頭の上に手を押し当てる行為であり、その時に『神の奇跡』として自然発生する加護の神聖魔法。それにより、対象者は聖なる力をその身に賜る──ということになっている。
「神の御力はそんな易いものではないのです。
『按手』は、本部を含む教会の建屋や秘蹟室、そして装身具が魔道具として機能していることで、決まった手順を遂行するとそれをトリガーにして発動する、だだの『黄』の魔法なのです。
そんなことも解らない、ただ盲信して伝えられた手順だけを再現し続けるだけの未熟な者が、同じようにミリクトン様へ『按手』を行えば……アクセス違反になることが目に見えております。憐れな賊の二の舞いですな。ほほほ」
枢機卿の口から、教会の行う『秘蹟』そのものの否定ともとれる発言が飛び出す。
「枢機卿ともあろう御方が、そのようなことを仰ってよろしいのですか……?」
「『神は、無知なる飢えた者達に、獣の捕り方とその道具を与えられた。魚の捕り方とその道具を与えられた。穀物の育て方とその道具を与えられた』──“原典”にはきちんと書いてあるのです。神は我々に魚を与えられたわけではない。神の御力は、方法と道具という叡智そのものなのです。考えて読み解けば、誰でも気付く。秘匿していることではないのです。
しかし多くの者が、信じることと思考を止めることを勘違いしている。故に、この事実を私が口にしても意味がない……己で気付かなければ無意味なのですな」
エデンベールの言う「誰でも気付く」は全く信用出来ない。
実際、その事実まで考えが至る者は極めて少なく、ましてその確証を得られた者は皆無だ。
だが聖職者ではないタルザムは、正直なところこのヤバい人から早めに離れたかった。
「それで……つまり、ミリクへの洗礼はどうなるんでしょう?」
「書類上のみでもよいと考えておりますが……折角の恵まれた機会ですからな。教会本部やここの建屋の術式を全て私が肩代わりした状態で、是非とも『按手』をさせていただきたいのです。無論、ミリクトン様には元々教会に向けて施されるおつもりだった御業にて、御相手していただけると大変悦ばしいのですが」
そう言ってエデンベールが己のローブを少しめくる。
その隙間からは、精緻な金糸の刺繍で隙間無く敷き詰められ互いに絡み合った魔法陣が描かれた絹の礼服と、無数の細い銀の鎖で繋がった夥しい数の教会の象徴を表す装身具。五色の円と十字のアクセサリー。
エデンベールは、キャッスルトン王国の教会本部の術式を規模はそのままに丸ごと縮小コピーして持ってきたらしい。
そしてその理由が、地図を書き換える『天の試練』を一身に受けたいから、というものだと言っている。
完全に頭がおかしい人だ。これで素面なのだから恐ろしい。
「……ミリク、いや、ギャバリー。そういうことだそうだ。エデンベール猊下のお相手をしてくれないか」
「承知しました。いつでも問題ありません」
「ほほっ! 実に胸が高鳴るというものですなっ!」
始める前からボロが出ているが、教会本部が消滅したら事実大問題なので、ミリク達はエデンベールと対決(?)することになった。
エデンベールが右腕を前に出す。
足元から礼服のあちこちが黄色く煌めき、さながら星空を纏っているようだ。光の連鎖がそのまま右腕に集束し、その掌は眩い黄金の輝きを放つ。
今まで見たことの無い神秘の光景に、タルザムは息を飲む。
(俺の洗礼はこんな風には光ってなかった。もうよく覚えてないが、それでも絶対にこんなには光ってなかった)
一方、ギャバリーはその掌に目を向けることすらせず、微動だにしない。
そしてエデンベールの光の右手が、ミリクの頭頂部に押し当てられた。
「──クラスⅣ以上の深層に対する不正アクセスを感知。一時的に書庫を凍結。セキュリティ違反プロトコル『タウ』を実行開始。侵入情報から最適な致死性情報災害を生成。リクエスト源を速やかに破壊します」
静かに紡がれたギャバリーの言葉と同時に、光が途絶えた。
いきなり暗くなり、エデンベールの姿を見失ったタルザムは、目が慣れると『タウ』の恐ろしさを目の当たりにした。
いや、まず先に感じ取ったのは音だ。まるで砂利の入った袋を地面にひっくり返したような音だ。
そこには、無惨に濁りひび割れた宝石と砕け散ったアクセサリー、銀鎖の破片。金糸の魔法陣は全て焼き切れ、細かな絹の小片となって地へ舞っている。
エデンベールは動かない。
身体に纏っていた無数のあらゆる装身具は悉く破壊され、ローブの隙間から今もなお音を立てて床に落ちている。
「大丈夫ですか、エデンベール猊下……?」
エデンベールは──恍惚の笑みと共に、頬を紅潮させ、涙を流していた。
「……はぁあ……なんと、なんという、このエデンベール、『神の御威光』をこれほど間近に……ああ、なんと、素晴らしい、平等な慈悲の無い自壊の誘発……美しい……」
天窓からエデンベールの背に光が差す。
その姿は、まるでその生涯の終わりに、ついに神の姿を目の当たりすることができた聖人、その瞬間を切り抜き描いた一枚の宗教画のような光景だった。
「生きていらっしゃるとは思いましたが、本当に生きていらっしゃるのもすごいですね」
「リクエスト源を完全に破壊しました。リクエスト源はエデンベールの複製魂です」
この場にリザヒルが居れば泡を吹いて卒倒し、記憶を失うことだろう。
それは一般に人の世からは失伝されたとされる『黄』の奥義の一つ、魂や存在そのものを複製する技法。
エデンベールは、始めから自身の複製に身を任せていた。そしてその複製も役割を全うし、消滅した。どちらも正真正銘の狂人だ。
「影響を遮断するため、あくまで独立した存在として切り離しておりましたが……これほど……! これほど、私がやれば良かったと悔いたこともないでしょう……!!」
その言葉には、いつかの元枢機卿に対してのものとは比べ物にならない、圧倒的な羨望が滲み出ていた。