前編第9章 「准佐だって、ソコソコ辛いんだよ!」
第25回つつじ祭は、明日と明後日の2日間の行程をまだ残している。
公開射撃演習をする機会だって、当然のようにまた巡ってくるだろうね。
そうしたらまた今日のように、民間人の子達に取り囲まれて、キャアキャアと黄色い声を掛けられるに違いない。
そう考えると、マリナちゃんとしても今から気が重いだろうな。
「だったら、今はリラックスして英気を養おうよ。しっかり飲んで、身体と心の疲れをリセットしちゃうの。ねっ!」
スコッチウイスキーを一気に飲み干した京花ちゃんは、殊更明るくマリナちゃんに笑いかけると、軽い肩パンをお見舞いしたんだ。
「お京…」
京花ちゃんを見つめるマリナちゃんの口元に、軽い微笑が浮かんでいる。
陽気で気さくな悪友の模範例のような京花ちゃんの振る舞いには、マリナちゃんじゃなくっても、思わず和んじゃうよね。
「御悩みの事が御座いましたら、私達に打ち明けて頂けたら幸いです。私では、聞き役にしかなれないかも知れませんが…」
こう言って身を乗り出す英里奈ちゃんには、己の分をわきまえながらも、それでも友達のために出来る事を模索する、真摯な直向きさが滲み出ていたね。
「ううん…そうでもないよ、英里。こうして聞き役になってくれているだけでも、私の気は充分楽になるんだ。英里の出来る範囲で構わないから、あんまり無理をしちゃ駄目だよ。」
「は…はい、マリナさん…」
でも、マリナちゃんを気遣うつもりでいて、逆に気遣われてしまうのも、英里奈ちゃんらしいと言えば言えるかな。
「そう!京花ちゃんや英里奈ちゃんが言ったように、今はしっかり飲んで、私達に愚痴って、疲れも気掛かりな事もすっきり吐き出しちゃえば良いんだよ!特にスパークリングワインの爽やかな酸味は、こんな時にオススメだよ!」
うーん…これはまた、やらかしちゃったかな…
マリナちゃんへの気遣いと英里奈ちゃんへの義理立てが、私の中でない交ぜになったせいで、「オーダーの入っていないイングリッシュ・スパークリングワインを、この機会に乗じて売らんかな。」っていう押し付けがましい態度になっちゃったかな…
「プッ…!全く、ちさの奴ときた日には敵わないよな…よしっ!この私も『防人の乙女』の異名を持つ特命遊撃士の一員、和歌浦マリナ少佐だ。部下と友の想いに応えなければ、その名が廃る!ちさオススメにして英里チョイスのスパークリングワイン、『チャペルダウン・バッカス』をボトルで頼もうじゃないか!」
思わず吹き出しちゃったマリナちゃんの表情を見るに、緊張を解きほぐす目標は達成出来たようだね。
それにボトルでのオーダーが入ったのなら、スパークリングワインをメニューに入れた英里奈ちゃんとしても顔が立つと言うものだし、私としても友達冥利に尽きるって物だよ。
「さっすが!それでこそ和歌浦マリナ少佐、話が分かるね!良かったね、英里奈ちゃん!」
こんな風に叫ぶ私の声も、相当に浮わついていたんだろうね。
「その代わり、ボトルの支払いは4人で割り勘だからね。どうせ、3人とも飲むんだろ?なっ、英里?」
マリナちゃんに水を向けられた英里奈ちゃんが、私の隣席で深々と頷いた。
椅子に腰掛けているんだから、首を曲げるだけで済ませても良さそうなのに、律儀にも腰から曲げているとは恐れ入るよ。
まあ、それだけお家の人に口喧しく礼儀作法を叩き込まれたって事だろうけど…
「はい…万一、スパークリングワインの御注文が1件も入らなかった場合には、私が責任を御取りして、買い上げようと考えておりましたので…」
スパークリングワインが好きな英里奈ちゃんとしては、それはそれで悪くはないんだろうな。
仮に在庫を全て買い取るにしても、御実家が名家で、御本人も少佐として給料をたっぷり貰っている英里奈ちゃんなら、大した痛手じゃないね。
私としても、1日も早く少佐に昇格したい物だよ。
今の准佐としての給料だって、そりゃまあ確かに16歳の女子高生としては破格だけど、それでも多いに越した事はないよね。
それに、もう1つ切実な理由があるんだ…
「お京も構わないね?」
「うん!せっかくだから、とことん私も付き合わせて貰うよ!」
マリナちゃんの真横の席で、もう1人のサイドテール遊撃士が、空になったジョッキを軽く持ち上げて応じる。
「吹田千里准佐、貴官も異存はないか?」
私の方に向き直ったマリナちゃんの口調は、作戦行動中を彷彿とさせる、重々しくて厳格な物に転じていた。
この一言で、私の頭の中のスイッチも瞬時に切り替わった。
もう、日常モードの私じゃないよ。
「はっ、和歌浦マリナ少佐!自分も異存は御座いません!自分はただ、貴官の御意向に従わさせて頂くのみであります!」
電気ショックを浴びせられたように椅子から跳ね上がった私は、踵を打ち鳴らせて姿勢を正すと、背中に回したレーザーライフルを手に取った。
そうしてメイド服姿の私が決めたのは、特命遊撃士養成コース時代の基本教練で徹底的に叩き込まれた、捧げ銃の姿勢だった。
一般来場者のお客さん達は一斉に振り向いたものの、かおるちゃんを始めとするメイド役の特命遊撃士や特命機動隊曹士の子達は、チラリと一瞥するだけで特に取り合わない。
マリナちゃんに呼び掛けられたのは自分達じゃなくて私だし、それに私の習性は、第2支局や御子柴高等学校では広く知られているからね。
いや、もしかしたら今この瞬間、第2支局管轄地域の民間人にも広まっちゃったのかも知れないね…
ああ、ヤダヤダ…
我に返った私は、大慌てでレーザーライフルを背負い直したんだ。
「もう…!人が悪いよ、マリナちゃんったら…階級付きでフルネーム呼びされたら、どうしてもこうなっちゃうって、マリナちゃんも知ってるよね?」
そして向かいの席で頬杖をついている上官兼親友に向かって、猛然と抗議するのだった。
「アッハハハ、悪い悪い!ちさの整った敬礼を、何だか無性に見たくなっちゃってさ!そうしたら、まさか捧げ銃の御手本まで披露してくれるんだから!」
言葉とは裏腹に、さも面白そうに笑うマリナちゃんには、ちっとも悪びれている様子はない。
そう、これなんだよ!
私が1日も早く少佐になりたがっている、もう1つの理由は。
正確には、他の3人の階級に追い付きたがっている理由かな。
私達4人のグループのうち、准佐は私ただ1人で、他はみんな少佐なんだ。
普段は慣習でタメ口を利いているけれど、作戦行動中はその限りではないの。
少佐である他の3人には、部下である私への命令権があるんだよね。
そうなると、敬礼や捧げ銃をする機会が、他の同期生や友達よりも自然と増えてくるんだ。
そうしていると、いつの間にやら私には、フルネームに階級を付けた呼び方をされると、作戦行動中じゃない時であっても、自然と敬礼の姿勢を取る習性がついちゃったんだ。
まあ、これだけだったら、人類防衛機構入隊者特有の「防人の乙女あるある」なんだけれど、私の場合だと更に重症でね。
私の症例だと、口調と一人称までもが変わっちゃうんだ。
しかも、こうして誰かに指摘されるか、或いは自分で気付くまで、それがずっと続いちゃうんだよ。
具体的に言うと、普段は「私」って一人称が、「吹田千里准佐」って呼ばれたら「自分」に変わり、語尾にも「あります」がついちゃうんだよ。
そう!ちょうど、ついさっきみたいにね。
私に童顔と幼児体型の傾向があるのは、見ての通りだよね。
それに加えて、ヘアスタイルまでもツインテールにしているから、第三者から見た私には、随分と子供っぽい雰囲気があるんだって。
童顔で幼児体型、オマケにツインテールと、子供っぽい要素が3つも揃った私が、厳めしい軍人口調で最敬礼の姿勢を取ると、普段の仕草や外見とのギャップが凄いみたいだね。
マリナちゃんとかはその辺を面白がって、私の事を平常時でも「吹田千里准佐」って呼んで、私の反応を見て遊ぶんだよ。
どうやら今度は、私が溜め息をつく番みたいだね。
「あーあ、私も早く少佐になりたいよ。そうしたらマリナちゃん達とは、作戦行動中でも対等の関係でいられるから、さっきみたいな事を言われなくても済むんだけどなあ…」
伝染する物なのかな、溜め息って?
「ほらほら、ちさ。溜め息をついたら幸せが逃げるよ。ここは1つ、深呼吸をしたらどうだい?」
さっきまで溜め息をついていた人のセリフじゃないよ、マリナちゃん…
「分かってるよ、マリナちゃん…この深呼吸で、さっき逃がした分の幸せを吸い直しちゃうんだから!」
言い終えた私は、生体強化ナノマシンで強化改造された肺へと、目一杯に空気を吸い込むんだ。
ここで素直に深呼吸をしなかったら、またマリナちゃんに「吹田千里准佐」って呼ばれるんだろうな、きっと。
そうしたら、さっきのやり取りの繰り返しになるだけだからね。
「ほら!大きく息を吸って!吸って!吸って!」
うーん…屋内だから、そんなに新鮮な空気じゃないね。
あれ…?さっきから私、息を吸ってばかりだよ…
この事に気付いた時には、もう遅かったね。
幼児体型の傾向がある私の胸は、吸いまくった空気でそれなりに膨らんでいたし、頬なんかはヒマワリの種を詰め込んだハムスターみたいにパンパンだった。
「ブハッ!吸ってばかりで『吐いて!』がないよ、マリナちゃん!普通の人だったら過呼吸になっちゃうよ、今頃!」
爆発するかのように豪快に息を吐き出した私を見たマリナちゃんが、これまた腹を抱えて、さも面白そうに爆笑するんだよね。
「アッハハハ!どうだい?幸せは取り戻せたかな、ちさ?」
マリナちゃんはまたしても、良いように私をからかって遊んだみたいだね。