前編第7章 「友情のファーストオーダー」
B組の2人もオーダーを決めた事だし、私達も急がないと。
「私達も注文を決めちゃおうか、英里奈ちゃん。」
私がこうやって促すと、英里奈ちゃんは妙に難しい顔をするんだよね。
「でしたら、千里さん…こちらをオーダーしては頂けないでしょうか?私も同じ物をオーダー致しますので…」
こう言って英里奈ちゃんが指差したお品書きの箇所には、イングリッシュ・スパークリングワインの名前が記されていたの。
チャペルダウン・バッカス…
あまり聞き慣れない銘柄だけど、「熟した果実の香りとフレッシュで爽やかな酸味。この、一見すると相反するような2つの個性が織り成す独特の風味は、まさしく奇跡ですよ。」って、英里奈ちゃんが誉めていたな。
「ああ…そう言えば、このスパークリングワインって、つつじ祭開会の放送があってから今に至るまで、誰も注文していないんじゃない?」
私の問い掛けに、英里奈ちゃんは気まずそうに頷いたの。
普段の内気さと自信のなさが、今はより一層顕著に現れているね。
「英国産ワインというだけで、敬遠されてしまうのかも知れません…品質は折り紙付きなのですが…」
このスパークリングワインをメニューに入れたのは、英里奈ちゃんなんだよね。
英里奈ちゃんはワインが好きで、その中でも特にお気に入りなのがスパークリングワインなの。
でも、自分がラインナップに加えたメニューが誰からも注文されなかったら、確かに立場がないよね。
例え、周りから一言も咎められなかったとしてもだよ。
そう言えば英里奈ちゃんには、メンツや世間体を気にする所があるんだよね。
家名を重んじる旧家の生まれだからなのか、内気で気弱な性格からなのか。
はたまた、その両方なのか。
気持ちは分かるけど、あんまり気にし過ぎると身が保たないからね。
私なりに力を貸してあげるから、もう少しぐらい気楽になりなよ。
何と言っても今日は、第25回つつじ祭の初日なんだからさ。
「分かったよ、英里奈ちゃん。私、一肌脱ぐよ。私も英里奈ちゃんオススメの、チャペルダウン・バッカスにさせて頂くよ。」
今気付いた事だけど、既にボトルキープの件で京花ちゃんに一肌脱いでいる訳だから、諸肌脱ぎのトップレス状態になっちゃっているんじゃないかな、この場合の私って。
「本当ですか!?ありがとうございます、千里さん!」
まあ、英里奈ちゃん達が喜んでくれるなら、それでいいけどね。
こんな私の肌でも良かったら、一肌や二肌と言わず、幾らでも脱いであげるよ。
この言い草だと、露出魔みたいだけど…
「この注文が呼び水になって、オーダーが増えるといいね、英里奈ちゃん。」
「ええ、千里さん!」
そう!そうして屈託なく笑っている方が、よっぽど素敵だよ、英里奈ちゃん。
「よし、これで飲み物は全員決まったね!後はツマミだけど…」
こうしてお品書きを繰るマリナちゃんだったけど、「イギリスらしくて、おつまみになりそうな軽食メニュー」という条件を付けると、消去法でフィッシュアンドチップスになっちゃったんだ。
ケーキやスコーンだとおツマミにならないし、サンドイッチやピザトーストだと、今一つイギリス感が薄いからね。
つつじ祭実行委員会に企画を提出する前の段階では、イギリス料理をもっと色々出そうという意見もあったんだけど、準備や後片付けの手間を考えるとね…
このフィッシュアンドチップスだって、フィッシュフライは電子レンジで調理する冷凍食品だし、ポテトチップスに至っては市販品だからね。
それに、変に手の込んだ物を作ろうとして食中毒を起こしでもしたら、洒落にならないからね。
「お待たせ致しました、御主人様。ローランドの炭酸割りにダークエール、チャペルダウン・バッカスのハウスボトルに、お料理のフィッシュアンドチップスでございます。」
京花ちゃんのアドバイスを参考にしたのか、或いは開き直ったのか。
そこまでは定かではないけれど、無口なツンデレメイドに徹している淡路かおる少佐は、なかなか様になっていたよ。
「さて、アルコールメニューも軽食も届いた事だし…第25回つつじ祭の盛況と無事を祈って…乾杯!」
こういう時に乾杯の音頭を取るのは、私達のグループだと大抵はマリナちゃんの役割なんだよね。
「乾杯!」
「乾杯っ!」
「乾杯、ですね…」
遊撃服を着たサイドテールコンビはジョッキ、メイド服姿の私と英里奈ちゃんはワイングラス。
いい具合にバラけた私達は、手にしたアルコール飲料を高々と掲げたんだ。
まあ、乾杯の時にワイングラスを鳴らすのはマナー違反だから、グラスを互いに打ち付け合ったのはB組の2人だけだけどね。
「ちさ、英里、そっちはどんな感じだい?知り合いの人とか、誰か来てくれたの?」
ダークエールが半分まで減ったグラスを片手に、マリナちゃんが訊ねてくる。
いつもの事だけど、マリナちゃんはビールのピッチが早いね。
それとも、つつじ祭の受け持ち箇所で疲れる事でもあったのかな。
「ええ、そうですね…マリナさんと京花さんの御2人が来られる以前ですと、現国の松ノ浜先生が来て下さいましたよ。」
自分で選んだスパークリングワインのグラスを、さも美味しそうに空けながら、メイド姿の英里奈ちゃんが応じる。
堺県立御子柴高等学校で1年生の現代国語を受け持っている松ノ浜先生は、私や英里奈ちゃんの在籍している1年A組の担任でもあるんだ。
女の人の年齢を詮索するのは御法度だけど、先週から教育実習生として御子柴高1年生古文を担当している鹿鳴館大学の女子大生が、教職課程時代の松ノ浜先生の後輩だと言う事実と照合させると、松ノ浜先生の年齢は、大体20代半ばと推測出来るね。
私やマリナちゃんに比較的近い黒髪をセミロングにしていて、割と細身で細面の先生なんだ。
まあまあ悪くない顔立ちをしているし、明るくて優しいから人気はそれなりにあるんだけど、浮いた話はまだ聞かないんだよね。
まあ、小学校高学年から大学卒業までの多感な時期を、女所帯で過ごしたんだから、恋愛事情に疎いのも無理はないかも知れないな。
何しろ松ノ浜先生は、特命遊撃士のOGだからね。
確か、現役時代の個人兵装は、軍刀だったと聞いた事があるよ。
退役されて、現在では予備将校扱いだから、現役の私達だけでは手が足りない場合には、召集される可能性があるんだよね。
まあ、その前に、養成コース修了直後の研修生の子達が動員されるのが順序なんだけどさ。
思い起こしてみれば、私達の初陣である「サイバー恐竜事件」も、研修期間中に発生した事件だったね。
まあ、そうした特命遊撃士OGという立場上、特命遊撃士特有の微妙なニュアンスや感覚もよく分かるから、私達みたいな現役の特命遊撃士や特命機動隊曹士の子達の受けもいいんだよね。
「ねえ、英里奈ちゃん。松ノ浜先生に売り込みはかけなかったの?担任の先生だったら、教え子のオススメメニューを頼んでくれるんじゃない?」
京花ちゃんのもっともな質問に、華奢な細首を軽く横に振る事で、英里奈ちゃんは応じたんだ。
「私も同じ事を考えたのですが、やんわりとお断りされてしまいました…『生駒さんの御気持ちは有難いけれど、他にも回らなければいけない所があるのよ。』とおっしゃって、レモンを落としたセイロンティーとスコーンのセットを注文されて…」
「ありゃりゃ…」
その返答は間抜け過ぎるよ、京花ちゃん。
キャラ的には、私がやった方がしっくり来そうだね。
「お京、それは無理もないよ。松ノ浜先生は受け持ち生徒の様子を見に来ている訳で、言うなれば教師としての立場で来ているんだ。無闇にアルコールを飲む訳にもいかないだろう。」
おっしゃる通りだよ、マリナちゃん。
「養成コースや人類防衛機構付属校の先生なら、付き合ってくれるのに。その辺、共学校の先生も大変だよね。」
マリナちゃんのたしなめるような声に素直に応じた京花ちゃんは、ジョッキの中身を一気に喉へ流し込むと、形の良い鼻から酒臭い息をフッと吐いたの。
まだ16歳の誕生日も迎えていない女子高生がやるには、あまり可愛くない仕草だね。ゲップをするよりはよっぽど良いけど。
「あと、A組の一般生徒の子達も来てくれたよ。『思っていたより様になっているね、吹田さん。』って茶化されちゃったけど。」
一般生徒の子達は、私のメイド服姿をどんな風に想像していたんだろうね。
「一般生徒相手じゃ、アルコールは出せないな。私達みたいな人類防衛機構側の人間か、民間人でも成人の知り合いに売り込むしかないかもね。」
ダークエールの肴に白身魚のフライをつつきながら、マリナちゃんが私に応じる。私もそう思うよ、マリナちゃん。
そうそう。人類防衛機構に所属する私達が、未成年でありながら飲酒が出来るのは、部分的成人擬制が法律で制定されているからなんだ。
部分的成人擬制の対象ではない民間人の子達は、くれぐれも真似をしたらダメだからね。