インフルエンザ
「白いカカト? なあに」
「白い靴を履いてたんじゃないかな」
「そうじゃなくて、カカトなんかみてどうするのってことよ」
「視線を上げられなかったんだと思うよ」
「でも、性欲のお皿はもうあったんでしょう?」
「あったよ。でも、使い方がわからなかったのじゃないかな。変に落とすとパクリと割れるかもしれないし」
「お、はははは。示唆に富む比喩ということにしておくわ。それじゃ、母のプロポーションの良さが認識できたのはいつごろなの」
「四、五年あとだね。大学を卒業するころだと思う」
「千グラムの未熟児なみね。よくも育ったもんだ」
保母たちに引率された幼稚園児がにぎやかにとおりすぎていく。
(半年ぶりね)
沙織さんは席に座ると、私が差し出した鉛筆を受け取りながらそういった。
(はい。それくらいです)
沙織さんは不思議な力を持っていた。私の心になにかを送りこんでくれたらしい。そのおかげで、私は眩しい思いをしながらも沙織さんの顔をしっかりと見ることができた。口元の左にゴマつぶのようなホクロがあるのもそのときに発見した。
(私を覚えていてくれたのね)
沙織さんは嬉しそうに微笑んだ。もちろんですとも、とは、もちろんいえない。その代わりに疑問が口に出た。
「あの。家はどこですか」
「送信所の近くよ」
えっと思った。私の利用する停留所のふたつほど奥にすぎないから。
「でも一度もバスで会わなかったですね」
「大学には車で通っているの」
「あ、そうなんですか」
「中古のワーゲンよ。自己紹介するわ」
沙織さんは赤い財布を出し開いてみせた。一色沙織。昭和十四年五月十日生。東北大学の学生証だったが、そのことは胸につけた小さな徽章で最初からわかっていた。
「イッシキサオリよ」
沙織さんはいった。そうするものかと思い私も予備校の身分証をだした。
「ミナミトウゴです」
「落ちちゃったのね」
「はい。理学部を受けたんですが」
「意外だわ」
沙織さんはちょっと首をかしげてくれた。
「イッシキさんは東京の人ですか」
「どうして?」
「言葉が」
「そう? 私が大学に入った年に一家でこっちに引っ越してきたの」
「そうなんですか」
「うん」
沙織さんは首を振ってにこっと笑った。
「南さんのお母様。素敵ね。学校の先生でしょう」
「え? 母のこと知っていたんですか」
「観察力よ。あたったのね」
沙織さんは少し得意そうに笑った。
「はい。小学校の教師です」
「私の観察力では、東午さんは絶対に合格するとみたんだけどなあ」
東午さん。
私はぶるるっと震えた。異性からそのように呼ばれたことがなかったからである。そして、それが四十年の間一度も変わることのない呼び方となった。南さんにも南君にも東午君にもならず、私の家族のようにトゴちゃんと呼ぶこともなかった。
変えないこと。
それは沙織さんの畢生の美学だったのかもしれない。
「進学担当からはそういわれてました」
「やっぱりね」
「でも、試験の前の日にインフルエンザにやられたんです。四十度の熱が出て受験番号を書いただけで終わりました」
そういう弁解は好まなかったのだが、沙織さんの観察力を否定したくない気持ちからそのことを率直に語った。試験のひと月ほど前から全国的にインフルエンザが流行っており、仙台でもそうだった。私はそれを案じていた。なぜなら私はどういうわけか肝心なときに風邪を引くというやっかいな体質を持っていたから。高校入試のときもそうだったし、期末試験や学芸会、運動会、修学旅行のときもそうだった。
しかしその時だけは様子がちがっていた。友人たちがやられても不思議と私は平気だったのである。本当に気持ちが集中していると罹らないものなんだ。そう思ったりしていた。
「それなのに試験前日にやられて・・・しかもインフルエンザに・・・」
「そうだったの。先に引いておけばよかったのかもね」