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花曇り  作者: 伊藤むねお
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花曇り

 父は三年前に世を去ったが、母は米寿を迎えてなお健在である。明るい縁側の小さな籐椅子に収まって本を読むのを日課にしていた。

 沙織さんが亡くなったことを告げると母は激しく顔を歪めた。皺だらけの瞼の下からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、背を丸め、傍らからティッシュを摘みあげては何度も涙を拭いた。

「沙織さんが、沙織さんが・・・」

 お父さん、沙織さんが・・・

 そう呟き、また泣いた。

 私は母の涙を見るに忍びず、外に出て裏庭に回ってみた。かつて父がツルハシを揮った土蔵はすでにない。草むす中に平たい礎石のみが残っている。

 もしも麻子が死んだら、母は果たしてあのように泣いてくれるのだろうか。私は父と母の沙織さんに対する深い思いを改めて知り、体が地に沈み込むような哀しみに襲われた。



 埼玉にもどると、ピアノの音が止み、玄関口まで麻子が出迎えてくれた。珍しいことである。

「お疲れさま」

「うん」

「ドクちゃん、大丈夫だった?」

「ああ。しっかりしたもんだ」

「でも、ひとりで寂しくないのかしら。もう近い親戚もいないんでしょう?」

「旦那さんが海外に単身赴任して一人暮らしをしている友だちがいて、その人がずっと来てくれているそうだ。ぼくがいった時はいなかったけど」

「なら、安心ね。いざというときはあなたもいるし。博多とちがって仙台は近いから」

 そういった麻子の言葉にはいつもながらなんの含みもない。

「四十九日が過ぎたら、こっちのお寺に納骨するそうだが、その時うちに寄ると言ってたから」

「わかったわ。鳴子のお母さんにも会ってきたのね」

「うん。元気だったよ」

 母の涙のことはいわなかった。

 大きな足音をさせて竜が出てきた。

「来ていたのか」

「出張。ドク、へこんでなかった?」

「いや、パンとしてたよ。きつかったはずだがね」

「そう。電話してみるかな。いいよね」

「ああ、喜ぶと思うよ」

 それから、もしやと思っていたことを麻子に聞いてみた。ドクのとって置きの遊びだったのではないかという一抹の危惧があったからである。しかし麻子は三十年前の赤毛の女医の名前をよく覚えていた。

 サイジマサイコさんよ。語呂のいい名前だったから覚えているわ。

 麻子はそういい、それがどうしたとも聞かず自室に引き揚げていった。

 それから一週間ほどたち、ドクから二つメールがきた。



 南東午様

  麻子様

 病院に復帰し、休暇中のカルテなどを毎日深夜までかかって漸くチェックを終えたところです。おじ様に早速おいで頂いたこと、また親しくお相手をして頂いたこと、母と共に厚く厚く御礼を申し上げます。おじ様にはいつもながら甘えて無礼なことばかりを申し上げましたが、母を失った娘の乱心と思し召してなにとぞご寛恕のほどお願い申し上げます。さらに、まことに身の程知らずの申しようではありますが、母が長年頂戴したご厚誼を引き続きこの愚娘にも賜りますよう、このこと重ねてお願い申し上げます。一色志保。


 ――PS①:一昨日、鳴子のお母様より懇篤なるお手紙と御香典を頂戴いたしました。拝読、死ぬかと思うほど泣かされました。仕返し方々(訂正・御礼方々)このGWにお訪ねさせていただこうと思います。折りあらばおじ様からもよしなに申し上げておいてください――

 ――PS②:竜のヤツも懇篤なる電話をくれました。”竜ちゃん、私とっても寂しい”と、精一杯シオらしく応じましたら、”おれシンセー包茎でサ。ドク、オペやってくれないか”ですって。なんてステキなお兄様なんでしょう――


(親展)

 東午おじ様

 決めました。当分は今のまま花曇りでいい、ということにさせていただきます。私は正面からしっかりと見ることにします。眠っている父と生きている父。ふたりの父の方がずっとオトクですもの。それに、母が(おそらくは父も)秘密にしたかったことを暴くのはやはりよろしくない。と思うのです。賛成していただけますわね。とてもロマンチックなドクより。

                                  了


読了。ありがとうございました。ロマンチックなわたし。

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