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花曇り  作者: 伊藤むねお
11/16

恋とは

 学生時代は休みで帰省する都度一色家を訪れた。ごく自然な成り行きだった。三年生の夏に訪れたときは両親が帰国していたが、洗練された物腰のふたりで、さながら息子を迎えるように私を歓迎してくれた。

 沙織さんは愛車を駆って私の家にも何度か遊びに来てくれた。

 父と母の喜びようは私が驚くほどだった。沙織さんは中近世の農政を専攻していた。そのこともあってか、高校で歴史を教えていた父などは沙織さんに尋常ならざる好意を持ったようである。

 私の家は旧い家だったため、中門や白壁造りの土蔵などがまだ残っていた。沙織さんがその構造や成り立ちなどを質問すると、父は、沙織さんが恐縮するのも構わずに壁の一部をツルハシで壊してみせた。(いいんです。どうせすぐに壊すんですから)などといいながら。


 沙織さんは修士課程を卒業するとそのまま大学に残り、まもなく県の博物館の学芸員を兼務するようになった。後に夫となった前田修三さんは先任の学芸員だった。

 一方、私は大学を卒業すると外資系のコンピュータ・メーカーに入りSEの道を歩むことになった。猛烈社員がもてはやされた時代とあって、私も同僚と残業時間を競うように働いたものである。

 そんな中でも、東京と仙台で二ヶ月に一度くらいのペースで手紙や電話でのやりとりがあり、年に一、二度はお互いの休暇を遣り繰りしてあちこちを旅した。行くところは古代や中世の史跡が主だったが、沙織さんはもちろん最高のガイドだった。


「みんな日帰りじゃないわよね」

「鎌倉、静岡の登呂、群馬の岩宿などのときは、沙織さんは東京のお父さんの実家に泊まったし、こっちの方に来たときは、ぼくは仙台の昔の下宿に泊めてもらった」

「亀ケ岡遺跡にも行ったんでしょう?」

「行ったけど夜行で仙台に帰ったよ」

「ええー。なんかうまく逃げられたような気がするわね」

「信じなさい」


 入社して五年ほどしたとき、私は福岡支店に転勤になり、そこでひとつの部署を任された。そのために一層多忙となり、距離が遠くなったこととも相まって、さすがに沙織さんとの逢瀬も絶えてしまった。そうこうしている内に、私はもうひとつの運命と出会ったのである。


「出会い、そして結婚した。七つ年下で博多美人の麻子おば様と」

「美人じゃないが、そうだ」

「母には相談しなかったのね」

「ああ・・・」

 そうだ。しなかったのだ。

「運命の出会いといったくせに」

 ドクはやはり聞き逃してはいなかった。

 麻子と結婚の約束をしたその日、私は二通の手紙を書いた。両親と沙織さん宛てのものである。

 ――沙織さん。笑わないでくださいね。このたび思いがけなくも結婚することになりました――

 すぐに返事がきた。

 ――もちろん、笑いません。おめでとう。東午さん――


 ドクの鳶色の瞳が金色になった。

「絶句! それってレポートじゃない。母も母だわ」

 ご再考ねがいます。私ではいけないのでしょうか。

 どうして、そう書かなかったのかなあ・・・わからない。

 ドクは空を仰ぐと、首を何度か左右に振った。

「母は一色沙織を演じる方を選んだのね。おじ様もひどいわ」

 思いがけなく、金色の瞳に薄い虹がさしたのを見て私は狼狽えた。

「仕方がないんだ。恋をしたんだ」

「恋! 母には恋をしてなかったということ?」

「恋の定義は単純じゃないよ」

「簡単よ」

「どういう定義?」

「ヤリたいかヤラセてもいいかでしょう?」

「おいおい、ドク。それはあんまりだ」

「あんまりでも、わかり易い」

「いやあ」

「母とセックスはしたくなかったのね」

「それは、いや・・・それは・・・」

「なあに? ご返事ははっきりとね」

「いったじゃないか。お皿ごとどこかに行ってしまったんだって」

「それって少し怪しいわ」

「だったらドク。ヘルプだ。ぼくにはこれ以上は無理だよ」

「わかったわ。それじゃ、私から質問するわね。南東午は一色沙織と性的関係がありましたか」

「あるはずがないじゃないか。でなければ、お父さんと結婚したあの家に、のこのこと顔なんかだせないよ」

「ニアミスもなし?」

「腕を組んで歩いた。それが一番の接触だった」

「ふふふーん。そうだとは思っていたけど」

 えらいもんだな。

 ドクは感嘆に耐えず、というように首を振った。

「性的関係を持ちたいと思ったことは」

「あったと思うよ。いや、あったね」

「でも、母がそれを拒んだ? その隙を与えなかった?」

「そういう記憶は特にないな。与えられた方も与えられなかった方もだ」

「そうすると、残る答えは、おじ様に意気地がなかったということになるわ」

「ドク」

「なあに?」

「意気地がないのは認めるが、それを唯一の答えというのは乱暴だ」

「でも、他になにがあるの」

「成り行きというのもあるじゃないか」

「ナリユキ? 例えばこういうこと? あそこの家でおじ様と母がいいムードになったその時、祖父が帰ってきてしまい、慌てて手をひっこめざるを得なかったとか。デートの前に今日こそはと思ってスキンまで用意していたら、また風邪をひいてしまったとか」

 私は苦笑した。

「まさか。そんな」

「おじ様。私真剣なのよ」

「わかってる。でも例えばというのなら、そういうこともナリユキのひとつの説明ではある。でも」

「でも?」

「ちがうなあ」

 ちがう。そうではない。

「なあにー。それじゃ私、ちっともわからない。そうそう。母の方が二歳年上だったということは?」

「最初のころはあった。でもすぐに感じなくなった。沙織さんがそう振る舞ってくれたからだろうな。それに、沙織さんは僕の妹にみられるほど若々しかった」

「アグリー。でも、ずっと姉と弟という愛情で結ばれていたなんていわないでね。私、そういうの信じないから」

「それは、信じなくてもいい」

 そう思うには沙織さんは魅力があり過ぎた。そのことは並んで歩くとよくわかった。すれちがう男性のほとんどが沙織さんに無遠慮な視線を投げてくる。得意な気がする一方、不快でもあった。

「ならば結婚すればどうたったのかしら。いやが応でもセックスするじゃない? できるじゃない?」

「そうならなかったのだから仕方がないじゃないか」

「びんびんのお皿が、遠くの花より手近の花を選ばせた。母に封じ込まれた、またはおじ様が封じ込んだ性的欲求不満が麻子おば様にドーンと向かってしまった・・・ん?」


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