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その5「窮屈」

 鼻ににぶい痛みが残っていた。

 パンをかじると同時に顔がゆがむ。

「痛むのか?」

「ああ……」

 校舎の中庭にあるベンチに腰掛けた俺の横には、昼食を誘ってきた隣のクラスの水島みずしま隆春たかはるがいた。

「壱宮蒔苗か?」

「まあな……」

 その名が、俺の記憶に眠る『目前に迫る枕』を呼び覚ました。

 知らぬ間に、その残像に回避行動をとってしまう。いわゆる『トラウマ』というやつだ……。

「大変だな、お前も……」

 水島が俺のそんな様子を見て言った。

「ああ、まあな……」

 食べきったパンの袋をくしゃくしゃに握りつぶし、近くのゴミ箱へシュート――

 外れる。

 舌打ちがてら立ち上がり、落ちた袋をゴミ箱に放り込んだ。

「壱宮蒔苗、やはりあなどれんやつだな」

 その言葉を背中で受け取った俺は、息を吐いた。

「お前な」

 水島は剣道部副部長をしている。

 高校からの知り合いだから詳しくは知らないが、中学では全国トップ8に名を連ねたほどらしく、今も3年の部長を遙かに上回る実力を持っているという話だ。高校での試合会場に何度か足を運んだことがあるが、確かに水島は強い。

 ――ただ、だからこそ、と言うべきか。水島は男女関係なく『強いやつ』には独特のものさしを持っていた。

 紙パックの牛乳を飲みながら切れ長の目をさらに細める水島に、俺は再び息を吐いた。

「壱宮、蒔苗……」

「…………」

 ……あ、そうだ。それそれ。

 俺には以前より疑問があった。

「なあ」

「なんだ?」

「前から思ってたんだが、なんで俺の妹はフルネームなんだ?」

 俺のその問いに水島は首をかしげた。

「強いからに決まってるだろう。尊敬のあかしだ」

 あの暴力を『強さ』と受け取るのかお前は……。

 あたりまえの用に言い放つ水島に、俺は無言で首を縦に振った。

 何度も。何度も。


 昼休み終了の予鈴がなった頃、俺たちは教室に向かっていた。

「なあ、壱宮」

「ん?」

「今度の日曜、暇か?」

「ん……あー、そうだな。まあ、大丈夫だが」

「そうか。なら、付き合ってくれ」

 俺は立ち止まった。

「どうした?」

 立ち止まった俺を見て、水島が不思議そうな顔をする。

 水島は知らない。俺がここ最近どんな状況に置かれていたのかを。『付き合う』という言葉の中にどれだけの重みがあるのかを。

「い、いや、なんでもない」

「そうか」

 単純で短髪な水島は、俺のそんな思いには全く気付かず、あっさりと納得して歩きだす。――あ、短髪は関係ないな。

「じゃあ、決定でいいな?」

「ぶ――」

 部活は大丈夫なのか、と聞きかけて、俺は口をつぐんだ。そろそろ試験期間に入るため、全ての部活が活動休止になることを思い出したためだ。

 俺は了承の返事をした。

「わかった、いいぞ」

「助かる」

 助かる……?

 ……あ、そういうことか。

 てっきり遊びの誘いかと思っていたが、そうだ、試験前なんだ。と言うことはいつものアレだろう。

「勉強会か……」

「……そういうことだ」

 どうやら友人の為に一肌ひとはだ脱いでやる必要があるらしい。


 休日に一人で外出するのはいつ以来だろう。

 俺はショルダーバッグを肩に引っ掛けて、待ち合わせ場所の駅に向かっていた。慣れたはずの道が、今は何故か余所余所よそよそしく、いつもはうるさくて仕方がないあの二人の会話が懐かしく思えていた。

 蒔苗の様子は結局変わっていない。

 茜だって、会えばいつも通り接してくれている。

「…………」

 それなのに俺は……。

 近頃の昼休みだってそうだ。俺が蒔苗を、茜を、――椎名さんを、避けてしまっている。

 頭の中に渦巻く混沌としたものをぬぐい去りたい。

 茜は言った、まずは忘れることが大切だと、今は想いがあるだけでいいんだと。

 確かにその通りなのかもしれない。

 しかし、その『想い』こそが重荷となって忘却を阻害しているのもまた事実だった――。

「…………」

 結局、あの出来事から大きく変わってしまったのは俺だけなんじゃないだろうか。

 地面に向けた目に横断歩道の白線が映る。顔を上げてみると、駅前の信号機が視界に入った。

 赤信号。足を止める。

 俺は一体、いつまで止まってるんだ……?


「おー、壱宮ー」


 前の方から俺を呼ぶかすかな声。目を凝らしてみるとそこに水島がいた。

 信号が青になり、待ち合わせ場所の駅前に到着する。

「すまん、遅れたか?」

「いや、まだ5分前だ」

 腕時計を見てみると、たしかにまだ8時55分だった。

「いつもすまんな。勉強みてもらって」

 俺は首を振った。

「俺で役に立つならいつでも言ってくれ」

「そう言ってもらえると助かる」

「いや……」

 助かったのはこっちの方だと言いたかった。

 あのまま家に閉じもっていては、気がどうにかなっていたかもしれない。

 水島がリュックサックをかつぎ直す。

「いくか」

「ああ」

 肯首した俺は水島の後を追った。

 電車に揺られ、3駅先を目指す。目的地は、その駅から歩いて15分くらいのファミレスだ。


「高校で壱宮に出会えて本当によかった」

 数学を最も苦手とする水島に累乗根るいじょうこんの問題を教えている時、水島がそんなことを言った。

「な、なんか照れるな……」

「まあ謙遜けんそんするな」

 屈託くったくのない笑顔を見せる水島に、俺はひとつ咳払いをして休憩を提案した。

「そろそろ飯にしないか?」

「ああ、そうだな。腹が減っては戦はできぬ、だな」

「ま、まあ、そういうことだ」

 日曜の昼時であるにも関わらず、店内は閑散かんさんとしていた。このファミレスは、全国的に展開している有名チェーンだが、立地が悪いためなのか客足は多くはなかった。

 ただ、だからこそいつもここを勉強場所として選んでいる俺たちにとって、それはとてもありがたいことでもあった。

 適当に注文を済ませ。店員に、空になっていたカップに先に紅茶を注いでもらう。

 熱い紅茶に、それぞれ思い思いの分量で砂糖とミルクを入れた。

「でも、なんで弟に教えてもらわないんだ?」

 紅茶をかき混ぜながら聞いてみた。

 水島には一卵性の双子の弟がいる。名前は隆秋たかあき。クラスは俺と同じだが、俺なんかよりずっと優秀な成績を収めている。たしか、前回の試験では学年2位の総合得点を叩き出していたはずだ。

「兄弟ではうまくいかないこともある」

 水島は首を振ってそう言うと、もう一つ砂糖を入れた。

「あ……」

 その一言は今の俺にはひどく重かった。

「……まあ、そうだよな」

 俺は力無く答え、紅茶を一含みした。

 その時、水島が今時珍しく手を打つ。

「ああ、そうだ。アキから伝言だ」

「ん? なんだ?」

「贈り物があるとか言ってたぞ」

「贈り物?」

「この前壱宮の家に遊びに行ったとき、部屋のある場所に隠しておいた、とかなんとか」

 この前?

 そう言われて思いつくのは……三ヶ月以上前だった。

「あいつ……」

 三ヶ月以上前の贈り物を今言うのか、と思うが、あいつならやりかねないな、とも思った。

 水島隆秋という男は、今目の前にいる兄と顔は当然瓜二つだが、その性格と本質は全くの真逆だった。

 本質の面では、兄を武官とするなら、弟は文官ということになるのだろうが、性格の面では、兄の隆春が堅実な性格をしている反面で、弟の隆秋は非常に適当な性格をしていた。

「ある場所って?」

「えーっと……それも言っていたな……ちょっと待ってくれ、今思い出す」

 しかし、三ヶ月もの間、その部屋のぬしに見つからない場所とはどこだろう、と試行錯誤してみるも――まったく見当がつかないので、諦めて水島が思い出すのを待った。

「えーっと……。あ、そうだ。思い出した思い出した」

 俺は固唾を飲んだ。

「ベッドの下だ。ベッドの下」

「……はぁ?」

 ベッドの下?

 俺は男だが部屋を汚くすることはない。布団だって定期的に干しているし、勉強机だってたまに拭いている。それから、一番無視されがちなベッドの下のほこりもモップで頻繁に掃除している。

 当然、この三ヶ月間でそんな贈り物らしきものは見た覚えがなかった。

 ――それなのに、そのベッドの下に隠した?

「な、何かの間違いじゃないのか?」

「いや、たしかにそう言っていたぞ」

 俺は腕を組んだ。

 水島は嘘をつくような奴ではない。となると、隆秋が嘘をついたということになるが、何故わざわざそんな意味もない嘘をつくのか……。

 帰って確認する必要があるようだ。

「お待たせいたしました」

 注文した料理がやってきた。

「まずは、飯だな」

 俺は目の前に置かれたステーキを切った。


「いつもおごって貰って悪いな」

「何を言う。当然の礼だろう」

 二人だけの勉強会を終えて、俺たちは帰宅のため駅に向かっていた。

「いけそうか?」

「ああ。壱宮のおかげで、欠点と言うことにはならなさそうだ」

「それはよかった」

 水島のその答えに俺は微笑した。

 少しをあけて水島が口を開く。

「壱宮は、将来は指導者になるといいぞ」

 突然のことに俺は目を丸くした。

「えっと、つまり……先生ってことか?」

「そうだ。壱宮に向いている」

「そ、そうか……?」

 水島のその断定的な発言に俺はとまどった。というのも――


 その時、俺の視界に一人の人物が飛び込んできた。


「み、水島、ストップ! ストーップ!」

 俺は先を行こうとする水島の腕を慌てて掴み、強制的に停止させた。

「ど、どうしたんだ?」

 俺の突然の行動に驚いた水島が、こちらを振り向く。

「いや、その、なんていうか……」

 なんと説明したらいいものか俺は悩む。

 何故なら、今俺が見ている人物と言うのが――

「ん。あの美少女か」

 しかし、悩んでいる内に、俺の視線の先を追っていた水島がその対象を認識してしまっていた。

「いや、その……」

 俺は何も言えなくなった。

「気になる子なのか?」

「……それは……」

 ますます何も言えなくなった。

「図星、だな」

「…………」

 口が窮屈きゅうくつたまらない。

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