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その4「Explosion」

「眠れない」

 あの出来事から三日が経とうとしているが、俺はあれ以来、ろくに夜も眠れない日々を過ごしていた。

 眠ろうとすると勝手にあの日の出来事を思い出してしまって、頭がめてしまう。山のような心配事が脳裏をかすめては答えの出ないまま消えていく。

 八方塞がりだった。

「…………」

 ——しかし、今に至って、妹の蒔苗に特に変わった様子は見られないでいた。

 あれほど感情が高ぶった妹の姿を見るのは初めてだったため、翌日の朝、リビングで顔を合わせたときは少し身構えたりもしたのだが、蒔苗は普通に「おはよー」というだけだった。

 このまま何事もなくかつての日々を取り戻せれば良いと思う反面で、この静けさが逆に不気味さをも感じさせていた。

「嵐の前の静けさ……」

 その呟きに反応するかのように、窓がガタガタと揺れる。

 そうであって欲しくない、欲しいわけがない——。

 実は、俺はこれまで、周囲の女子にあまり関心を抱いてこなかった。

 最近までその理由が自分でもわからなかったが、あの出来事を契機に——俺が初めて女の子を好きになったことを契機に、それを理解した。

 靴箱のラブレターの時も、深層意識の中でそれを感じていたからこそ期待感が生まれたのかもしれない。


 椎名しいな黒羽くれはさん。


 初めて合ったのは、約一ヶ月前。昼休みの食堂だった。

 見た瞬間、心臓の鼓動が高鳴ったことを覚えている。自己紹介くらいしかできなかったんじゃないだろうか。

 その時はそれが何なのか理解できなかった。

 だが今なら——今の俺なら、それがなんだったのかを理解できる。一目惚れだったのだ、と。

「巨乳はいいぞ、壱宮」

 不意に浮かぶクラスメイトの声。

 世間では、巨乳だの、メガネ属性だの、メイド服だの、ミニスカだのと、見てくればかりが注目を浴びているようだ。

 だがしかし、人間そんな見てくればかりが大事ではない。大切なのは『心』だ。

 その点、彼女はとても『澄んだ心』の持ち主だ。

 実直で、清楚で、可憐だ。

 俺は今まで、そんなタイプの女の子と出会ったことがなかった。だからこそ、俺は周囲の女子に関心が持てなかったんだと解る。

 気が付けば彼女の笑顔がまぶたの裏に自然と浮かんできていた。


 俺は彼女に恋をした。


「…………」

 しかし——しかし、だからこそ、これからどうすればいいのか解らないでもいた。

 どうすればいいんだ、俺は。

 椎名さんへの接し方はどうすればいい。妹の行動も気になる。椎名さんに危害は及ばないか? それから隣に住む——

 アレは……ま、いいか。思い出したくもない。


 ガタガタ。


 また窓が揺れる。風でも強いのだろうか?

 頭上の明かりを点け、ベッドから身を起こした俺は、真横にあるカーテンに手を掛けて、開いた。

「あっ。せん——」

 カーテンを閉じる。

「……寝ぼけてるな、俺」

 今一瞬、窓の外に見知った顔を見た気がしたが、勘違いだろう。こんな夜遅くに。

 時計に目を向けてみると、深夜0時07分頃を示していた。

 起きる時間まで、まだ六時間近くあった。

「寝よう」

 横になり、明かりを消し、布団にくるまる。

 暖かい布団のぬくもりに心を預け——


 ガタ。


 また、窓が揺れる。しかし、次はベランダの窓が。

 ガタガタガタ。

 揺れの回数が増える。

 ガタガタガタガタガタガタ。

 さらに増える。


 そして、静かになる。


「…………」

 暖かい布団の温もり。


「——い」


「…………」

 今は深夜。世間は寝静まっている時間だ。こんな時間にお隣さんが家を訪ねてくるはずはない。それも、二階にある俺の部屋に、直接。


「——んぱーい」


 直接——


「せんぱーい」

 

 直——


「せ——」

「ええいっ!」

 跳び起きた俺は部屋の明かりを点けて、たったの数歩でベランダの前へと到達した。

 そして、その勢いでカーテンを開く。

「あっ、先輩……」

 案の定そこにはあかねがいた。

 しかし俺は驚かない。実のところ、茜がこんな風に俺の部屋を訪ねてくるのは初めてではない。小学生の頃にはよくベランダ伝いに遊びに来たりしていた。

 ——但し、それはあくまで子供の頃の話であって、今のように大きくなってからではない。そもそも、こんな夜更けにこんな形で来るのは、いくら幼なじみであっても気分が良いものではない。

 気を害するのは当然だった。

「何しに来たんだ?」

 不躾ぶしつけに聞いた。

「その……聞きたいことが、あって……」

「……?」

 どこか元気のない幼なじみの姿に俺は少し心配になった。

 いつもは、何かにつけてのほほんと構えている茜が、今は意気消沈してしまっている。

 只事ただごとでないことは目に見えていた。

「……待ってろ」

 そう言って、俺は茜を部屋に入れた。


 ベッドに座った茜が口を開いた。

「……聞きたいことが、あるんです」

 俺は勉強机の椅子を引っ張ってきて、背もたれを正面にして体を預けた。

「なんだ?」

 もう不躾ぶしつけにではなく、一人の友人として聞いていた。

「あの時から……ずっと気になってたことがあるんです」

 ……あの時?

「いつの話だ?」

「この前の公園の時です」

 俺はハッとしたと同時に一人の少女が脳裏をぎった。

 ——椎名黒羽さんが。

「先輩……もう、したんですか?」

 俺はこの質問で茜が何を聞きに来たのかを悟った。

 茜は、俺が彼女に告白するのかどうかを聞きに来たのだ、と。

「…………」

 今まで俺は、同性である茜に想いを寄せられていることに嫌悪していた。

 しかし、どうだろう?

 自分の思いを寄せる相手には別の好きな人がいて、それをただ黙って傍観することはできるだろうか?

 決まっている。答えは否だ。

 かつての俺であれば、肯定を述べていたかもしれない。だが、今の俺は違う。初めて人を好きになったことで、茜のその想いがひしひしと伝わってきた。

「……してないよ。ただ——」

 茜が不安げな顔をする。

「……ただ……?」

 そう、いずれは彼女に告白するつもりだ。君が好きです、と。

 俺はその想いを言葉にした。

「近いうちには、必ず……」

「そ、そんな……」

 愕然と肩を落とす茜の瞳に哀しみの感情が宿る。

「茜……ちゃんと言うよ」

「…………」

 もう性別は関係なかった。

「俺には好きな人が——いや、椎名黒羽さんが好きだ。だから、お前とは付き合えない」

「先輩……」

 ……言えた。心の中の闇にようやく光が射し込んだ。

 三日前の体育館裏での出来事が遠い過去のように思えてくる。

 ありがとう、茜。

 お前のあの時の勇気が、俺を成長させてくれたんだ。

 俺はいつの間にか立ち上がっていた。

 そして、茜の腕に手を伸ばす。

「ありがとう……」

「先輩……」

 交わった視線が互いの感情をリンクさせ——


「何、言ってるんですか?」


 …………?

 俺はかぶりを振った。

 茜は今なんて言った? えっと、何言って——

 ……なんだっけ?

「何言ってるんですか? 先輩」

 そうそう、それそれ。

 …………ん?

 え? は?

「椎名さんが好きなことは前に聞きましたよ」

「…………」

 ……そだね。言ったもん。

「『ごめん』とも言われましたし。もう踏ん切りはついてますから、大丈夫ですよ」

 あ、そう……。

「でも、僕は先輩一途ですから、その辺は安心して下さいね」

 ……あ、そうなんだ。

「ただ——」

 うん。

「違うんです……。僕が聞きたいのは……」

 うんうん。

「そ、その……ま、まきちゃんと、一緒に……お風呂……入ったんですか?」


「あ」


 あーあー、そっちかー。それだったかー。

 うんうん、確かに言ってた。お風呂云々(うんぬん)言ってた。覚えてる覚えてる。

 覚えてるぞー……


 ………………


 ——って


「入るかっ!」

 深夜0時34分58秒。

 俺の叫び声が部屋中に響いた。それと同時に俺のリミッターがぶっ壊れる。

「聞きたいことってのはそれかっ!? あ!? それも、こんな深夜に!? ベランダ伝って!? ……ふ、ふざけるなっ!! お前がいつもと雰囲気違うからどれだけ心配したと思ってんだ! た、ただでさえいっぱいいっぱいなんだよ! 男のお前には告白されるわ、蒔苗は何しでかすかわかんねーわ、椎名さんにだって……これから、どう接したらいいか……わ、わかんねーってのに!! 夜も眠れねーんだよ!」

「せ、先輩、落ち着い——」

 ひきつった幼なじみなどには目もくれず、さらに俺の怒号が響く。

「落ち着いてられるか! なあ、教えてくれ……、教えてくれよ! 恋の先輩のお前なら俺の気持ちわかるよな!? 俺はこれからどうすればいい!? どうすればいいんだ!?!?」

 唾を飲み、ぜぇぜぇと肩で息をする。

 俺は膝をついた。

「どうすれば……いいんだよ……」

「先輩……」

 しばらくして茜の腕が俺を包み込んだ。

「先輩、今は一回全部忘れることが大切です。先輩のその想いがあることが大切なんです。大丈夫です。ゆっくりで……ゆっくりでいいんです。ちゃんと先輩なりの答えを見つけて下さい。大丈夫、先輩にならできますから……」

「……茜」

 頭を上げた。

「先輩」

 俺を見下ろす茜の瞳には優しさが溢れていた。


 ガチャ。


 扉が開く。

「ふに〜……ゆーくーん?」

「…………」

 固まる俺。

「ゆーくん……? ぁ——」

 首をきしませながら振り向いた先には、枕をぶら下げた妹の姿があった。その顔に――表情はない。

「なに……?」

 蒔苗の瞳が俺を見つめる。

「いゃ、これは……」

 背中に冷気が走った。

「先輩」

 さらにひっしりと包み込んでくる茜はもう自分の世界に没入してしまっていて、現実世界こちらに戻ってくる気配は当分ない。

 つまり、今のこの状況を正しくとても正確に理解しているのは、俺だけのようだった。 

「ゆーくんの——」

 蒔苗の目頭に涙がにじむ。

「こ、これには深い事じょ——」

「ゆーくんのばかぁっ!!」

 飛んできた枕を境に、俺の意識は消し飛んだ。

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