その3「不安」
あたしのクラスに転校生がやってきた。
「初めまして、椎名黒羽です。よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をしてにっこりする転校生の椎名さん。
「う——」
ぅおぉぉぉぉ……
クラス中——とくに男子——がざわめいた。
「めっちゃタイプ」
「友達になれるかな?」
「黒髪ロング最高」
「かわいい」
えとせとら、えとせとら。
男女関係なくクラス中からいろんな声が聞こえてくる。
そんな中であたしは頬杖をして椎名さんを見つめていた。
「なんか——」
ヤだな。
椎名さんに抱いた最初の印象だった。
長い黒髪はとっても綺麗で、背はあたしと同じくらい。物腰はやわらかくてやさしそうだし、特におかしなところはない。なのに、なんでかあたしはそんな風に思ってしまった。
「椎名さん、席はあそこよ」
「はい、先生」
担任に言われて椎名さんが席に向かう。うっとりする男子どもの横を通りぬけて、窓側のいちばん後ろの席に着いた。一番前のかどっこの席に座るあたしとは対角線で正反対の席だ。
お昼になった。
食堂は人がいっぱいで食券を買うだけでもとても苦労した。
「お、蒔苗。今日はラーメンか」
後ろから声がした。振り向いてみると、そこに、あたしのゆーくん——あ、最初はこういう言い方ダメなんだった。言い直すね。
そこにあたしのお兄ちゃんがいたの。
お兄ちゃんは背が高くて、頭も良くて、物知りで、目がカッコよくて、優しくて——
とにかくっ。とってもカッコいいのっ。
「あ、ゆーくんっ」
あたしはうれしくて知らないうちに笑顔になっていた。
「ゆーくんは……」
「俺か? 今から食券買いに行くとこだ。場所は適当に取っといてくれ、すぐ行くから」
「うん、わかった」
あたしはお盆を持ちながらあっちにうろうろ、こっちにうろうろ。だけど、どこも人でいっぱいで座れそうにない。
「う〜ん、どうしよう……」
えっと、こういうのを『立ち王道』っていうんだっけ?
「まきちゃん、こっちこっち」
また後ろから声がした。
「あ、茜っ」
振り向くと茜が手招きしていた。あ、茜っていうのはあたしの幼なじみなの。女の子みたいに細くて、顔も女の子みたいに綺麗。小さい頃なんかよくあたしの服を着させて遊んでたんだ。とっても、似合うんだよ。
「席取っといたよ」
「うん、ありがとう」
行ってみると、ちゃんと四人席があった。
あたしは茜の前に座った。
「先輩、まだかな?」
茜が言った時、
「おまたせ」
ゆーくんがやってきた。
「あ、先輩っ」
「ゆーくんっ」
「なんだ、茜もラーメンか」
言って、ゆーくんがあたしの横に座る。
「はい……」
突然元気のなくなる茜——。
前から思ってたけど、茜って……
…………。
……う、ううん。まさかねっ。なんでもないっ。
「……って、ゆーくんもラーメンだ」
ゆーくんのお盆にもラーメンが乗っていた。食堂って実はラーメン屋さんなのかな?(笑)
「まあな。蒔苗のラーメン見たら食べたくなったんだ」
やっぱりあたしのゆーくんだっ。
「あ、転校生がきたんだよ。さっきもみんなに囲まれて大変そうだった」
ラーメンを半分くらい食べたところであたしが言った。
「知ってる。女の子、だよね? 今その話題でうちのクラスも持ちきりだよ」
茜のラーメンも半分くらいだ。
「へぇ」
とっくに食べ終わったゆーくんは組んだ両腕をテーブルに乗せてる。やっぱり、カッコいい。
「あんまり、興味ありませんか?」
「まあな」
茜の質問にゆーくんの答え。
「そうですかっ」
上機嫌だね、茜……あ、気のせい気のせい。
「ほんとに興味ないの?」
あたしはゆーくんの袖をひっぱった。
「ないよ」
その答えにあたしはちょっと不安になる。
ゆーくんは実はあんまり女の子に興味がないみたいで、ベッドの下とか、机の奥とか、本棚の上とか、ゆーくんの部屋のどこを探しても、『本』がないんだ。
あたしだってゆーくんの好みの女の子とか研究したいのに。ほんと残念……。
「黒髪ロングの美少女だって、みんな言ってましたよ。興味、ありませんか?」
「だから、ないって」
「そうですかっ」
ますます声が大きくなる茜。
……う〜ん……
「あ、あの」
突然横から声がした。
「わっ」
あたしはびっくりしてお箸を落としそうになる。
「……あれ?」
茜が首を横にたおした。
「もしかして、転校生の……えっと……」
「椎名さん?」
茜の言葉を、あたしが付け足した。
「あ、はい」
「ど、どうしたの?」
お盆を持って立つ椎名さんに聞く。
「えっと、その……ここ、空いてますか?」
椎名さんはそう言って、茜の隣の席を指さした。
「あ、うん、空いてるよ。座る?」
茜が言うと椎名さんは小さくうなずいて座った。
「えっと、ど、どうしたの? みんなは?」
さっきまでみんなに囲まれて大変そうだった椎名さんが目の前にいるのがよくわからなかった。
「職員室に用があって……。それで、お昼食べようと思って一人で食堂に来たんですけど、見渡してたら——、えっと……」
椎名さんの言葉が止まった。
それからちょっとして、椎名さんがあたしを見ているのに気がつく。
「え、あたし?」
自分を指さしてみると椎名さんがうなずいた。
「い、壱宮っ」
あたしは早口に自分の名前を言って、椎名さんの「壱宮……さん?」という言葉にコクコクうなずいた。
それから椎名さんは一言あやまって続きを話した。
「そ、それで、見渡してたら壱宮さんが見えたので、つい……」
「ここに来たんだ」
茜が言った。
「よく、覚えてたね……あたしの顔」
あたしは休み時間にも椎名さんのところには行かなかった。最初の印象からなんとなく近づきにくかったからだ。
それなのに、なんでだろ……?
その時、あたしの心の中のもやもやに答えるみたいに椎名さんが話し始めた。
「最初に教室に入って壱宮さんを見た時、かわいい子だなぁって思って。それで」
あたしは顔が真っ赤になった。
「まきちゃんって、10回以上告白されたことあるん——うっ」
いらないことを言う茜をあたしはギッとにらんだ。
「わぁ、すごいですね」
胸の前で手を合わせて驚く椎名さん。
「——あっ、ほらっ、ご飯冷めちゃうよっ」
あたしはごまかすのでせいいっぱいだった。
「あっ、そうですね」
顔がまだあついよ。
食器を片づけたころには食堂にはほとんど人がいなくなっていた。
予鈴がなった。
「今日はありがとうございました」
廊下に出たところで、椎名さんが朝の自己紹介の時みたいに丁寧にお辞儀をする。
椎名さんもう――
「もう友達だから、そんなことしなくていいんだよ」
茜があたしの思っていたことを言った。
一緒にご飯を食べていろいろ話せて、あたしは椎名さんをもう友達だと思っていた。
初めて見た時なんであんな風に思ったんだろ……?
「そうだよ、もう友達だよ」
あたしも言った。
「そ、そうですか?」
顔を上げておどおどする椎名さんに、あたしは「そうだよ」ともう一度言った。
「友達……」
うつむいてつぶやく椎名さん。
あたしは指をぴんっと立てた。
「そ、友達」
「……はい」
椎名さんのその返事を聞いて、あたしはもう一つ思っていたことを言う。
「……それからね」
「は、はい……?」
「友達は敬語禁止。わかった?」
「はい……あ。う、うん。わかった」
「にひひ」
「ふふふ」
口をイの字にして笑うあたしを見て、椎名さんも笑った。
あたしは横にいるゆーくんの方を振り向いた。
「ねぇ、ゆーくんっ。紹介しますっ。あたしの友達……ううん、親友の椎名さんだよっ」
あたしは……そう言えた自分がうれしかった。
「い、壱宮さん……し、親友って……?」
だけど、またおどおどの椎名さん。
あたしは言った。
「蒔苗、だよ」
「え……?」
「あたしの下の名前。蒔苗」
「蒔苗……さん」
「親友は『さん』付け禁止」
「う、うん。わかった。……えっと、ま——」
「ま?」
「ま……蒔苗っ」
一生懸命に言う椎名さんはとってもかわいかった。
「……っていうことは、僕もまきちゃんにとって親友っていうこと?」
腕を組んでいた茜が首を曲げて突然そんなことを言った。
「え? 茜は――」
「ぼ、僕は……?」
茜がゴクリと唾を飲む。
「う〜ん……ただの幼なじみ?」
そう言ってあたしは首をひねった。
「な、なんだよそれ〜」
茜の声が裏がえる。
「まあいいじゃん」
「良くないよっ」
あたしたちの会話を聞いていた椎名さんが笑った。
「あ、そういえば。椎名さんの下の名前なんて言ったっけ?」
「あっ。くれは。黒い羽って書いて、黒羽っていうの」
それを聞いてあたしは何回かその名前を呟いた。
「黒羽っ。かっこいい名前だね」
「え……あ……。うん、ありがとうっ」
黒羽の目はうるうるしていた。
キーンコーン——
本鈴がなった。
「わぁっ!? 急がないと!」
茜の高い声が廊下にひびいた。
「い、急ごうっ。黒羽っ」
「う、うん」
あたしは黒羽の手をとって廊下を走る。
少し走ってゆーくんがついてきてないことに気づいた。
「ゆーーくーんっ。急がないと——」
……ゆーくん?
ゆーくんを見て——なんでかあたしは胸がギュッとなった。
「せんぱーいっ、急ぎましょう!」
茜が遠くから叫んだ。
その声を聞いて、ゆーくんがやっと動く。
「あ、ああ、ごめん……急ごう」
走るゆーくんはあっという間にあたしの横まで来た。
「蒔苗。行くぞ……」
あたしの名前。
走っていくゆーくん。
だけど——
黒羽を見てた……?