その2「好きな人」
さて、ちゃんとした紹介が遅れたが、俺は今年で高2の壱宮優介、17歳だ。
俺にはひとつ年下の妹がいる。名前は蒔苗。
身長は俺より少し低い。見た目は、特にこれといった特徴はないが——強いて上げるなら、ちょっとつり目ぎみなのと小顔、それから、ツインテールくらい、だろうか。
兄の俺が言うのもなんだが、かわいい部類には入るだろう。その証拠に、これまでに蒔苗が異性から告白を受けた回数は二桁に上る。具体的な数は——本人に聞かないとわからないが、ただ、適当な性格だから「おぼえてない」とか言われるのがオチだろうとは思う。
…………。
まあ、それはともかくとして、不思議に思うことが一つある。
それだけの数の告白を受けているのに、これまでただの一度も誰とも付き合ったことがないという事実だ。
——何故だろう?
常々感じていたこの疑問を、俺は一度だけ訪ねたことがある。なんで誰とも付き合わないんだ、と。
すると、蒔苗はこう答えた。
「ずっと、心に決めてる人がいるんだぁ」
俺はそれ以上深くは追求しなかった。
無理に追求する必要もなかったし、追求しすぎて嫌われるのも嫌だったからだ。
しかし、この答えを、知って後悔した答えを——
俺は、ついさっき……知った。
「ゆーくんは、あ・た・し・の、なのっ」
妹の想い人が兄であるはずの『俺』だったのだ、ということを——
体育館裏での事件からほとんど間がないにもかかわらず、さすがは幼なじみというべきか、二人は俺について話を弾ませていた。正直、非常に、迷惑だが……。
「ぼ、僕だってまだ希望は持ってるさ。だって、まだ、『ごめん』、って言われてないんだから」
「ん〜、わっかんないかなぁ〜。あたしは、ゆーくんと一つ屋根の下で暮らしてるんだよ? だから、あ・た・し・の、なんだよ」
「き、兄妹だから当然じゃないかっ!」
「そんなことないよ〜。生まれたときから一つ屋根の下だよ? もうこれは運命だよ」
空に夜の兆しが見え始めていた。一番星も輝いている。
「そ、そこまで言うなら、僕だって……ほら、先輩のこんな写真まで持ってるんだからっ」
…………。
「……え、うそ……」
「羨ましいだろ」
「うぁ、寝顔っ」
「苦労したなぁ。ま、ガサツなまきちゃんじゃ取れないショットだね」
「わぁ、生着替え!」
「望遠レンズ使用さ」
「か、買った! 千円!」
「お金じゃないんだよ、お金じゃ」
へぇ、これくらいの時間から街頭が点き始めるのか。街頭が点き始める町並みってのも結構幻想的なもんだ。
「ご、五千円!」
「わっかんないかなぁ〜」
「くぅ……」
「ふふん」
「ぐっ…………い、いいもん」
「なんだ? 言い返してみなよ」
「き、今日、久しぶりにゆーくんと一緒にお風呂入るんだから」
…………。
「なっ……」
「あたし、ゆーくんになら……捧げられる、もんっ」
「なっ……」
「ねっ、ゆーくんっ」
右腕が重い。いろいろと。
「そ、そんなこと……先輩。僕を——僕を、裏切りませんよね!?」
左腕がめっちゃ重い。いろいろと。
「ゆーくんっ!」
「先輩!」
今、俺は家に向かっている。帰るところだ。
帰ってしたいことは、明確に決まっている。
『一人』で風呂に入って、飯食って、部屋中のありとあらゆる『鍵』閉めて、『カーテン』閉じて、電気消して、寝る、ことだな。……あ、宿題があったな。
「ゆーぐんーーー」
「ぜんばいーーー」
体がめちゃくちゃ重い。かなり、いろいろと。
「はぁ……」
「どうしたの? ゆーくんっ」
「どうしたんですか? 先輩っ」
三角公園の入り口が見える。無邪気な子供の頃が懐かしい。
「俺、死のうかな」
「じゃああたしもっ」
「僕もお供しますっ」
…………。
「やっぱ、やめとこ」
「じゃああたしもっ」
「僕もやめますっ」
砂場か。トンネル掘ったら違う世界に行けるんだろうか。
「誰か、勇者召還してくれねーかな」
「じゃああたし魔法使いっ」
「僕もお供しますっ」
…………。
「やっぱ、やめとこ」
「じゃああたしもっ」
「僕もやめますっ」
シーソーか。俺の相手は誰だ……?
………………
…………
「……ぁ」
俺の中に一人の――
……そうか……
――ただ一人の少女の姿が浮かび上がる。
そう……だったのか……
「俺……好きな子、いる……」
「あたしだねっ」
「もうっ、先輩。それならそうと言ってくださいよ」
そう、だったのか……。今、気付いた。いや、二人に気付かされた。
「……椎名さん……」
「……へ?」
「……え?」
人のいない公園に佇む俺たちを、夕闇と静寂が包み込んでいく。
「て、転……校生……、の?」
「……ああ」
信じられない、という表情の蒔苗の問いかけに、俺は首を縦に振った。横を見てみると、茜にも動揺の表情が浮かんでいた。
「いつ……から?」
「初めて見たとき。多分……一目惚れ、だったんだろうな」
蒔苗の問いに答えながら、自分でもその時の感情を再確認する。
「やっぱり、そう……だったんだ」
蒔苗が呟いた。
「……?」
そして、蒔苗を視界に入れた瞬間——
「あたってた……」
予感が走る——悪い、予感が。
「わたさないもんっ!」
感情の燃えさかる蒔苗の瞳が、その予感を確信に導いた。
しまった——
ドロップキックに吹っ飛ばされる茜の姿がまざまざと脳裏に甦る。
あれは、茜だったから良かったものの――、ものの――、ものの――?
あれ? 良かったのか?
「…………」
ま、いっか……。
本題に戻ろう。
つまり、俺に想いを寄せる人物に対して、蒔苗は容赦しないということが、今日のあの出来事によって証明されたわけだ。
となると――逆に、俺が想いを寄せる子にも同様……いや、場合によってはそれ以上の被害が及ぶ可能性がある、という事にはならないだろうか……
「……くっ……」
時間の経過とともに後悔の念がますます深まっていく。
……しかし、もう誤魔化しようがない……
絶体絶命。危機的状況。そんな言葉を使うとしたら、今しかないんじゃないだろうか……
どうする、どうすればいい、壱宮優介——!?
俺が操舵不能に陥っている最中、不意に聞こえた茜の声。
「先輩……」
俺は無意識に答えていた。
「ごめん」
「……はぅ」