第二話 魔法戦艦と小さな魔女
地球人類史上初の統一宇宙軍の総司令部をどこに置くのか。
それは、当時の人々にとって、極めて深刻な問題だった。
なにしろ、地球の統一武力、それも、今までとは一線を画す規模の戦力の司令部なのだ。
もたらされる名誉と、利益とは、想像もできない。
各国で熾烈な誘致合戦が行われ、場合によっては武力衝突も起こりかねないほどの騒動を経て、結果的には地球外の場所、すなわち宇宙空間に建設することに決まった。
ムーンステーションⅢ――直径二〇キロにも及ぶ超巨大人工天体こそ、宇宙艦隊全軍の指揮中枢である。
その、ムーンステーションⅢの廊下に追い出された鳩ノ巣一輝は、混乱の渦中にあった。
詳しいことは、紗代に聞け、と言われて部屋を追い出されてしまった彼は、ただただ困惑するのみだった。
――いったいどうなってるんだ……
あらためて、目の前、廊下に立つ紗代を見る。
身長は、恐らく一四〇cm台。一輝とは頭一つ半ほども違う。
床を踏みしめる軍支給のブーツ、ぴっちりと肌に張り付くそれは、少女の幼いふくらはぎから、膝小僧までを覆っていた。ほんの少しだけ覗くすべすべの太ももは、見ていると罪悪感を覚えるほどに細く、華奢だった。
その上、太ももから上を覆うのは、宇宙軍の制服には珍しいスカートだった。折り目がきっちりと付いたスカートは、さながらマーチングバンドの衣装のように、少女を可愛らしく彩っていた。
上半身に羽織ったジャケットの方は、正規の軍服と同じデザインながら、幼い彼女が着ていると、私立小学校の制服のように見えた。
ほっそりとした首筋、すっとした顎のラインは、彼女が将来、美しい女性に育つであろうことを窺わせた。
――言われるまでもなく完全に子どもだよな……。どうして、こんな子どもが迎えなんだ?
「あの?」
不思議そうに首を傾げる紗代。
――っと、いかん。あんまり黙ってるとおかしく思われるな。
一輝は慌てて笑みを浮かべて、
「ああ、えっと、ごめん。改めて、よろしく。鳩ノ巣一輝だ」
「あっ、はい。紗代・ラックハートです。よろしくお願いします、鳩ノ巣司令」
かしこまった態度で姿勢を正す紗代に、一輝は思わず苦笑する。
「とりあえず、行こうか。案内してくれるんだよね」
「はい、そうですね。行きましょう」
踵を返した紗代を追い、廊下を歩きだす。
「ところで、同じ少尉で、君の方が先任だから、敬語を使うべきかな?」
「いえ、少尉といっても特務少尉ですから。それに鳩ノ巣司令は艦隊司令ですから。呼ぶ時も名前で呼んでいただいて構いません」
ちらり、と振り返って、紗代は言った。
「そっか。じゃあ、俺も名前の方で呼んでもらっていいかな?」
それを聞き、紗代はびっくりしたように瞳を見開いた。
「えっ……でも……」
「頼むよ。なにしろ、宇宙軍には鳩ノ巣がいっぱいいるからね」
皮肉な笑みを浮かべる一輝に、紗代は不思議そうな顔をしてから、
「そう、なんですか? では……、えっと、一輝……さん、まいりましょうか」
歯切れが悪く言った。
生活区画から乗船区画に。
士官や兵士の詰め所が並ぶ生活区画は、いわば会社のオフィスのような作りの場所だ。それに対して、乗船区画は、数多の宇宙船を係留している、さながら空港のロビーのような場所だった。
ベンチの並んだ待合室や、売店を横目に搭乗ゲートを抜けると、一気に視界が開ける。
宇宙線を遮る特殊加工が施された強化ガラスの向こう側に、いくつもの宇宙船が見えてきた。
船とステーションとをつなぐのは、薄っすらと輝く透明なチューブだ。その中を通り、クルーが出入りするのが見て取れる。
宇宙艦隊の総司令部だけあって、中には軍用宇宙船の姿もチラホラ見てとれる。
もっとも数が多いのは、統一宇宙軍の主力戦艦であるエクスカリバー級戦艦である。
その形状は、名前のとおり、西洋剣のような形状をしている。
前方に長く伸びた刀身のような船体、後方、柄の部分には艦橋が突き出すようにして立っている。
波長を変えた三重のエネルギーシールドと、表面に施されたナノマシン装甲により、この船は、極めて強固な防御力を誇る優秀な戦艦だ。
だが……、
「確か、新型戦艦が配備された部隊だって聞いたけど」
「はい、そうですね。私たちの船は、あれです」
すっと綺麗に伸ばされた細い腕、美しい指先が指すその方向に、その戦艦はあった。
エクスカリバー級の、およそ半分程度の大きさ。船体の両端に、鋭角的なウィングが四枚伸びている。
「あれは、発電用のパネルかい?」
「ええ、補助動力は太陽光発電なので」
そう言って、紗代は搭乗チューブの中に身を躍らせた。
「あ、搭乗チューブの中は無重力になっているので気を付けてくださいね」
「おっ、ととっ……」
急な浮遊感、壁に取り付けられた手すりに掴まり、なんとか、体勢を整える。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね」
そう答えたものの、心配したのか、紗代がこちらに近づいてくる。
さすがに、慣れているのか、特に慌てる様子もなく、まるで泳ぐように優雅に。
その動きに合わせて、ふわふわと揺れるスカートの裾、ちらちら見え隠れする太ももの雪のような白さに、思わず目を逸らす。
「どうかしましたか?」
「いや、無重力空間でスカートってどうなんだろう、って思ってね」
「? ああ、これですか」
紗代は小さく微笑んでから、スカートの裾をちょこん、と指でつまみ、そのまま持ち上げて見せた。輝くほどにすべすべの太もも、その上の微かに覗いた白い逆三角形に、一輝は慌てて眼を逸らす。
「ちょっ……おわっ」
焦った拍子に、バランスを崩して、体が回転しそうになる。
それを見て、ちょっと困ったような笑みを浮かべて、紗代は言った。
「別に平気です、これ、下着じゃないので」
「えっ?」
なんとか、姿勢を立て直しつつ、紗代の方に視線を転じる。
「どちらかというと、水着みたいなものなので」
「あー、なるほど、そうなのか」
確かに、よくよく見てみると、白い布地は、彼女の幼いお腹から上までも覆っているようだった。
「でも、どうして、そんな格好を……」
問いかけて、ふいに……、一輝は、重大なことに気づく。
年端もいかない少女に自分からスカートを持ち上げさせ、なおかつ、その中を凝視するというのは、例え中身が水着姿だろうが、問題なのではないか、と……。
「あー、とりあえず、戻してくれる」
「あっ、はい、わかりました」
紗代も気づいたのか、少し恥ずかしそうにスカートを戻した。スカートの裾を下に引っぱり、形を整えてから、
「えと、それで、この格好をしてる理由、ですよね。ちなみに、鳩ノ巣司令は、第七艦隊のこと、何か聞いていますか?」
「いや、新型戦艦が配備された部隊だというのは聞いてるけど」
「そうですか……」
紗代は少しうつむいて、何か考えこんでから、
「その説明は、ブリッジに行くまで待ってもらえますか。たぶん、お見せするのが一番早いと思うので」
話しているうちに、船のすぐそばについた。白く美しい船体に、紗代の小さな手が触れる。
瞬間、紗代の体が微かに光を帯びる。薄緑色の輝きに、一輝は思わず目を見張った。
「それは……」
「魔法です」
音もなく外装の一部が開く。その向こうに続く、ぼんやり輝く通路を背に、
「この船の名前は、マナライダー。魔法戦艦試作一号艦マナライダー。そして」
紗代は薄く開いた瞳に妖しげな笑みを浮かべて、
「私が艦橋魔女を務める紗代・ラックハート特務少尉です」