第二十五話 ワープと神隠し症候群
「罠か!?」
一輝は咄嗟に身構えた。
無人艦だったから油断した。
侵入者に対しての防御手段は、当然あってしかるべきなのに。
瞬時に、右腕につけた端末に手を伸ばし、明かりをつけようとしたところで……、
「ぁ……、あぁ……いや……」
喘ぐような、ブリジッタの声が聞こえた。
「ブリジッタ?」
思わず目を向けた先、闇に沈んだ廊下から、何かが近づいてくるような気配がして……、
「えっ?」
とすっと、体に軽い衝撃が走った。
大した力ではなかった。
せいぜいが軽く押された程度で……、事実、一輝も一歩足を踏み出すことで衝撃を殺しきることができた……はずだった。
「なっ、なんだ、これ……」
次の瞬間、全身の感覚にノイズが走った。
ぐにゃり、と平衡感覚が歪む。
体が立っているのか、倒れているのか、上か下か、右か左か……。
さながら、宇宙空間に投げ出されてしまったように感覚が不安定になる。
歪みは、聴覚、視覚を侵食していく。
見えないはずの目が、混乱した色彩を描きだし、自分の息遣いすら遠くに、近くに、揺れて聞こえる。
――これは、ワープ酔い? いや、感覚に対する攻撃か?
五感に対する攻撃。それは、相手を戦闘不能にし捕らえるためにはもっとも適した方法だ。
「くそ……」
失われた感覚を取り戻すべく、一輝は自らの体を抱く。
あらゆる感覚の中で、もっともワープ酔いの影響を受けづらいのは触覚だ。
だから、手の平と体に感じる触覚を基準に感覚調整するという、自らの体を抱きしめる姿勢は基本だった。
懸命に、手の平の感覚に意識を集中、数秒後、ゆっくりと感触が戻ってくる。
胸に、ほんのりとした温もりが、手のひらにはぼんやりとした感触が……。
――よし、回復してきた。もう少しだ。
これが罠であった場合、一刻も早く脱出しなければならない。
回復を早めるために、さらに意識を触覚に集中する。形を確かめるように手の平を上下に動かしつつ、感覚調整を続ける。
感じるのは、絹のような、つやつや、すべすべとした感触だった。
宇宙人の技術を取り入れた制服は、確かに手触りという点で文句のない代物ではあるのだが、それにしても、心地の良い手触りだった。
小さく盛り上がった固い感触……、服に付いたボタンにしてはやや大きい。感触からして、一番近いのは骨だろうか。
「……骨、って、どこの……? 肩とかか?」
いまいち、状況が理解できず、微かに混乱する。
「……あ、あの、は、鳩ノ巣司令…………、くっ、くすぐったい、ですわ」
ふいに、聴覚を刺激する、弱々しい声……。
「ブリジッタ……?」
あわてて、閉じていたまぶたを、ゆっくりと開ける。
ゆっくりとピントが合うように、ほのかな光が見えてくる。
淡い魔力の燐光、それをまとった美しい少女の体が……、腕の中にあった。
「…………おや?」
もう一度、手のひらの感触を確かめてみる。
すべすべとした……少女の背中の肌質、ちょこん、と膨らんだ固い部分は、どうやら肩甲骨のようで……、自分はどうやら、年端もいかぬ少女の、むき出しの背中と肩甲骨をなでまわしていたという事実に気が付いたところで……。
腕の中、胸に顔をうずめるようにしていたブリジッタが、ふいに顔を上げた。
淡い光に照らし出されたその顔は、赤く上気していた。ほんのり潤んだ瞳には、戸惑いの色が浮かび、それを見た瞬間、一気に現状認識が追いついた。
「おわっ! ご、ごめん!」
慌てて、腕を外して後退。いったい、なぜ、ブリジッタを抱きしめるなどという状態に陥っていたのか、自問する。
「すまない、えっと、今のは……」
下手をすれば、部下の少女にいかがわしいことをしたとして、軍法会議にかけられかねない状況、だが、それ以上に、ブリジッタに不快な思いを与えてしまったのであれば、まず謝罪をすべきだ、と、一輝は頭を下げようとする。
「あ、い、いえ、気にしなくっても大丈夫ですわ。ワープ酔いの感覚調整ですわよね? そこに、わたくしが割りこんでしまっただけですから……」
ブリジッタは深く息を吐いて、水着の、腕の部分まで落ちてしまっていた肩ひもを右手で直してから立ち上がる。
気まずい、なんとも微妙な空気が漂った。
――っと、いかん。敵の戦艦の中で、なにやってんだ……。
改めて、一輝はあたりを見まわした。ブリジッタが放つ魔法の光以外、辺りを照らすものはない。
今のところ、敵に動きはないようだが……。
「罠かもしれない。ブリジッタ、とりあえず、船に戻ろう」
「……罠?」
きょとりん、と首をかしげるブリジッタに、一輝は頷いて見せる。
「視界を奪った上に、感覚を混乱させるなんらかの攻撃を仕掛けてきた。迂闊に乗り移ったのは、俺の判断ミスだ」
急いで出口へと向かおうとする一輝。その腕を小さな手が掴んだ。
「罠ではありませんわ、鳩ノ巣司令」
「え?」
「ワープ酔いの原因は、わたくしにありますの……」
小さく震える声で、ブリジッタは続けた。
「わたくし……、次元感覚失調症……、神隠し症候群なんですの」
突然のブリジッタの告白に、一輝は目を見開いた。
神隠し症候群――正式名称、次元感覚失調症は、宇宙人との交流が始まってから発見された極めて珍しい感覚器系の病気だ。
いや、はたして、それは病気と言えるものなのか、それすら判断に困る、ある種の身体的な特徴だった。
主な症状としては、この特徴を有する者は、自らが属する次元に対する認識が希薄になるという点があげられる。
人間は、三次元に生きる者だ。三次元世界に縛られていると言っても過言ではない。
いくら望もうとも、人は他の次元に行くことはできないし、特殊な機械を使わなければ超空間や亜空間に行くこともできない。
けれど、次元感覚失調症を発症した者たちは、その限りではない。
彼らは次元潜航を、ある種の方向移動程度の感覚で行えてしまう。
北へ向かうように、西へ向かうように、彼らは次元を潜航する方向へと足を踏み入れる。
普通に道を歩いていたつもりが、いつの間にやら他の次元に、ということが年に数回ながらも観測されていた。
それは、古くは神隠しのおとぎ話に見られる現象だった。
年端もいかない子どもが行方不明になり、数日後に信じられないほど遠くで発見されるという、アレである。
次元潜航式超光速航法、いわゆるワープの存在が知られるようになった時、神隠しに、一つの科学的な見解が与えられた。
すなわち、あれはある種の短距離ワープなのではないか、と。
同様に、誰もいない閉鎖された街に迷い込む、というような近年の都市伝説に対しても一定の見解が示されるようになった。すなわち、神隠しのような大規模な移動が伴うものは、超次元への潜航によって起こったもの、閉鎖空間の方は亜空間への次元潜航によって起こったもの、というのだ。
「わたくしは、そのせいで親に捨てられましたの」
つぶやくようにそう言うと、ブリジッタは、きゅっと、小さな手のひらを握りしめた。
ワープ航法みたいな最新技術とおとぎ話とか、神話の組み合わせって燃えますよね?