第十一話 黒髪の文学少女
「うーむ……、ローザ・キャバリエーレとラブラドールはいまいち、挙動が安定しないな」
補給艦、さつまさんの中央接舷通路に、弱々しい声が漏れた。
鳩ノ巣一輝が第七艦隊に赴任してから一週間が経った。
少女たちを一刻も早く佐官にして退役させるという、風変りな目標を掲げてはいるものの、当面、すべきことは通常の実験運用艦隊と、そう変わることはない。
訓練によって安定した運用法を確立することと、新戦術を考案することの二つだ。
「とりあえずは性能を把握するのが先決、かな」
そんな判断から一輝は、ここ一週間、毎日、四隻の魔法戦艦に移乗しては、宇宙を飛び回っていた。
現在行っているのは、指定したポイントでワープアウトし、その後、中継地点を回って、基地に戻ってくる、というものだった。
ワープアウトの正確性、通常空間の航行技術や速力などを見るためのものだったが……、
「ちょっと、司令、大丈夫ですの?」
へたり込んだ一輝の顔を覗きこんできたのは、二番艦、ローザ・キャバリエーレの艦橋魔女、ブリジッタだった。
豪奢な黄金色の髪は、操縦槽から上がったばかりだから、しっとりと湿り、幼い首筋に張り付いていた。
白人の少女特有の白く美しい肌、幼く繊細な肌の上には、バラのように赤く輝く魔法の刺青が浮かんでいる。
ほっそりとした首筋、綺麗に浮かび上がった鎖骨を経由して、光の刺青は胸元へ。膨らみのほとんど見られないそこを覆うのは、刺青と同じような色合いの赤いビキニだった。
トップスの下から、微かにアバラの浮いた脇腹を経由して下腹部に、赤い刺青は続いている。魔力の通り道である魔力回路は、人それぞれだという。ブリジッタの場合、その形状は、ところどころで円を描く、まさしく魔法陣と言った形をしていた。
パンツの下に伸びた刺青は、くるくると、渦巻きのような模様を、細い太ももの内側に描いている。さらに、そこから、すべすべとした幼い膝を経由して、ブーツに隠されたふくらはぎへと続いていた。
ちなみに、彼女が軍支給の制服ではなく、上下に分かれたビキニを着ているのは、別に、洗うのが間に合わない、とかそう言うわけではない。
単純に可愛い水着を着たいから、だそうだ。通販で買ったものの、さすがに補給艦の中にプールはないため、着る機会がなかったのだという。
「前の司令の時には、そんな自由なかったから、着れて嬉しいですわ」
そう微笑むブリジッタのたくましさに感心しつつも、一輝は弱々しい声で答える。
「あんまり、大丈夫じゃ、ないかも……」
この一週間で把握したこと、それは、魔法戦艦が想定以上に乗り手の性格に左右される代物だということだ。
一輝に気を使ってか、紗代は比較的、丁寧な操船をするのに対して、ブリジッタとミシュリに関しては、全体的に運転が荒い。
特にブリジッタについては、そもそも二番艦の設計コンセプトからして、おかしい。
二番艦、ローザ・キャバリエーレの設計コンセプトは、ずばり突撃艦。
前方にシールドを分厚く張り、敵の戦列に突貫、体当たりで陣形を崩すことが、この戦艦、最強の攻撃なのだ。
何が悲しくて、宇宙に進出してまで、体当たりなどという前時代的な攻撃をしなければならないのかはわからないが、ともかく、そんな仕様だから彼女は小惑星帯に突っ込んでも避けない。速度を緩めたりもしない。むしろ、速度を上げて、突撃していくのだ。
艦が壊れるようなことはもちろんないものの、衝撃緩衝機能にも限界はある。
結果、一輝は超空間酔いだけでなく、通常空間でも船酔いをするという、二重の、平衡感覚への暴力に耐えなければならなかった。
――船の性能なのか、ブリジッタの性格に問題があるのか……。
「体調がすぐれないようでしたら、医務室にお連れいたしますけど」
――悪い子、ではないんだけどな……。
わずかに心配げな顔をするブリジッタに、笑って首を振り、一輝は顔を上げた。
多少、腹の底からこみあげてくるものがないではなかったが(主に、朝食のパンなどが喉の辺りまでせり上がって来ていたが)、我慢できないほどではない。
「少し休めば大丈夫だよ。さ、みんなのところに戻ろうか」
現在のところ、第七艦隊に決まった日常のルーチンは存在しない。
何時から訓練、何時から警備任務、何時から休養など、軍隊なら当然あってしかるべきの任務やスケジュールが存在していないからだ。
だから、一輝は、魔法戦艦の性能テストとともに、少女たちの日常生活の方にも手を加えることにした。
彼女たちは全員が十一歳。となれば、参考にすべきは、そう、小学校の時間割、である。
戦艦の性能試験をするのは一人ずつにして、ひとコマずつでローテーション。その間、ほかのメンバーは勉強をすることにさせているのだ。
現在、艦内時刻は12時を少し回ったところ。ちょうど、四時間目の半ばと言ったところだった。
教室がわりに、と指定したブリーフィングルームでは、少女たちが教科書代わりの端末を前に眉根を寄せていた。
「あっ、おかえりなさい、一輝さん」
一番に、笑顔で出迎えてくれたのは、優等生の紗代だった。
学級委員長気質な彼女は、いつでも、少女たちのリーダー役で、与えられた課題にも、常に模範的に取り組んでいる。
今も彼女は、隣の席のミシュリに、教えてあげているところだったらしい。
「ただいま、紗代。みんな真面目にやってたかな?」
そう言って、覗いてみると、紗代の端末には、すでに与えられた課題に、すべて解答が書きいれられていた。
正答率は八割と言ったところ。今の時間は算数だが、ほかの科目も大体このぐらいの成績だ。
まさに、模範的な生徒と言えるだろう。
「ミシュリは、どう?」
声をかけると、ミシュリは、わずかにふてくされた様子で、ぷいっと顔を背けた。
燃えるような赤い髪が、ふわりと揺れ、甘ったるいシャンプーの香りがほんのり鼻をくすぐった。
「すみません。掛け算が少し難しいみたいで……」
「こんなのできなくっても、別に困らないもん」
よく聞く子どもっぽい返事に、思わず一輝は苦笑する。
――やっぱりドリルの問題をやらせるだけじゃなくって、その内、授業みたいなこともやんないとだめだろうな。
そんなことを思いながら、彼は最後の一人、古里理香の方に目を向けた。
「理香は……」
一番、端の席に座っていた彼女は、静かに手に持った端末に目を落としていた。
後ろから覗きこんでみると、どうやら、小説らしい。
長いまつげの奥、黒く澄んだ瞳が上から下へ、熱心に文字を追っていた。
「課題はもう終わったのかい?」
声をかけると、ようやく、一輝の存在に気が付いたのか、びく、っと小さな体がはねた。
それから、恐る恐ると言った具合で、一輝の方を振り向いて、小さくうなずく。
「そっか。ところで、今はなにを読んでたの?」
尋ねると、なぜか、瞳をスッと逸らして、それからこわごわ、画面を見せてくる。
「……哲学者のバイオリン、か……」
思わぬタイトルに、軽くのけ反る。
確か、先日、某文学賞を取った小説ではなかっただろうか。
一輝も挑戦してみようとは思っていたが、あまりにも難解な文章に、はじめの数ページでリタイアしたものだった。
自分が読み切れなかった本を、幼い女の子が読んでいるというのは、なんとなく複雑な気分だった。
「……すみません」
と、唐突に理香が口にした。
「え? っと、なんで謝るの?」
「……無駄なもの、ですから」
どこか、怯えたような口調でそう言うと、理香は端末を課題のページに戻してしまった。
ここから、理香にクローズアップした話が続く、予定です。