第十話 みんなで朝ごはんを食べよう!
食堂にはすでに、第七艦隊の全員が集まっていた。紗代から話を聞いているのか、その顔からは一様に緊張が見て取れた。
「あの、鳩ノ巣司令……」
どこか、ピンと張りつめた空気の中、最初に話しかけてきたのは、制服に着替えたブリジッタだった。磨きこまれた黒い革靴、細いふくらはぎを覆うのは白のハイソックスだった。
白く華奢な太ももの上、きっちりと折り目がついたスカートが揺れる。
凛々しく制服を着込んだその姿は、中学受験に臨む小学生のようで、なんとなく微笑ましい。
一輝は、小さく笑みを浮かべながら声をかける。
「やあ、ブリジッタ。おはよう」
「あっ、はい、おはようございます、ですわ」
頭を下げてから、ブリジッタはもじもじと恥ずかしそうに体をよじった。
「ん? どうかした?」
「あの、先ほど、その、失礼いたしましたわ」
そわそわ、スカートの裾を握ったり離したりしつつ、上目づかいに言う。
「ああ、別に大丈夫だよ。あれぐらい。けど、よくあるのかい?」
「よっ、よくはありませんわ! 時々ですわ! ごく稀にですわ!」
ちょこんと可愛らしい耳が、その先っぽの方まで赤く染まる。
「そっか。うん、まぁ、鍵をかけ忘れていた俺も悪かったわけだし、そんなに気にしないで」
そう言うと、なぜだろう、ブリジッタは、ほんの少しだけ気まずげな顔をした。
「うん、どうかした?」
「恐らくですが……、司令はきちんとカギを閉められていたと思いますわ」
「ん……? それってどういう……」」
「あの、一輝さん! そろそろ……」
まるで、ブリジッタの声を遮るかのように、紗代が言った。どうやら、なにか事情があるらしい。
気にはなったが、気軽に話せる内容ではないようなので、一輝は気持ちを切り替える。
「そうだね、本題に入ろうか。でも、その前に、各自、朝食の用意をして来てくれ」
「…………え?」
その提案に、紗代をはじめ、全員がぽかん、と口を開けた。
「堅苦しい話は苦手でね、昨日の歓迎会みたいに楽しい空気の中でみんなと話がしたいんだ」
そう言ってから、一輝は率先して調理室へと向かった。
机の上に、パンやスープ、サラダが並ぶ。
それは、日本人である一輝の想像する一般的な朝食と、大きく変わるものではなかった。
補給船の調理マシンは、レシピを選べばなんでも出てくる優れものだ。
そのメニューは、地球上のあらゆる地域のものをフォローしており、選ぼうと思えば、自分が生まれ育った地域と遠く離れた場所の食事を食べることも可能だ。
けれど、だからと言って、自分の文化圏とかけ離れた食事を選ぶかと言われると、そんなことはない。
そもそも、このマシンの一番の目的は、乗務員の「慣れ親しんだ生活」を維持することで、宇宙空間でのストレスを軽減することにある。
宇宙ステーションになぜ、重力が必要か、考えたことがあるだろうか?
重力というのは、言ってしまえば人間を縛る枷だ。これがあるために、重たい荷物を運ぶことは困難になるし、人の行動は著しく制限される。
普通に考えれば、こんなもの無くても構わないと思えるのに、あらゆる知的生命体の船には、人工の重力発生装置か、それに類するものが必ず搭載されている。
負荷の軽減による筋力低下やさまざまな健康問題、無重力の弊害は数あれど、総合的な視点で見ると、それは「齟齬をなくすための措置」と、一言でまとめることができる。
星の上で生活するように設計された人間、言い換えるならば宇宙空間では生きるようには設計されていない人間を、宇宙空間で生活させた時に生まれる齟齬をなくすための措置である。
その齟齬を解消するための方法は、大まかに言って二つ、宇宙空間で生活できるよう人間が変わるか、人間が生活できるよう宇宙空間を変えるか、である。言うまでもなく、宇宙船やステーションは後者の考え方だ。
少し話が大きくなってしまったが、食事に関しても、考え方の根本は同じことだ。慣れ親しんだ、地球上と同じ食生活を行わせることで、乗務員の体調を維持しているのだ。
全員の食事が机の上に並んだところで、一輝は小さく手を打って言った。
「さ、じゃあ食べようか。いただきます」
食事がひと段落したところで、一輝は改めて口を開く。
「で、正直、俺は、子どもが兵器開発に関わるのが良いこととは思えない。だから、とっとと潰しちまえ、と中佐に進言しようと思ったんだけど、紗代に止められてね」
「はぁ、あの、それをわたくしたちに言って、どうするつもりですの?」
半ば呆れたような口調で、口火を切ったのはブリジッタだった。
「うん、君たちの協力を得たいと思ってるんだ」
「それは無理ですわ。だって、紗代の言うとおり、わたくしたちは、第七艦隊がなくなったら、行き場を失うのですのよ?」
ミシュリと里香も、ブリジッタの小さくうなずいている。
「なるほど、つまり逆説的に言うなら、君たちの居場所を用意できれば、艦隊を解体してしまっても良いということだよね。軍以外の場所に居場所が用意できたなら、退役してもらっても構わないということだ」
「それは……、そうかも知れませんけれど……」
「じゃあ、どうすれば、ここよりマシな君たちの居場所を用意できるのか、ということなんだけど……」
一度、言葉を切って、一輝は全員の顔を見つめてから。
「君たちには、出世してもらおうと思う」
「……ぇ?」
その小さな疑問の声は、はたして誰のものだっただろうか。
突然の言葉に、きょとんと瞳を瞬かせる少女たちに構うことなく、一輝は続ける。
「君たちは今、俺と同じ少尉だ。三階級上げると佐官になる。そうしたら、全員に退役してもらって、第七艦隊は晴れて解体だ」
「三階級上げるって……、それで、どうなるんですか?」
意味がわからない、と怪訝そうに眉根を寄せる紗代。そんな彼女に、一輝は笑みを返して、
「お金が出るようになる」
実に夢のないことを言った。
「お金、ですか……?」
「そ。佐官になるとね、勤続年数に関係なく軍人年金が出るんだよ。それと退職金も、尉官の時とは比べ物にならないぐらいにもらえるんだ。あ、勘違いしてもらいたくないんだけど、お金ですべてが解決する、なんて思わないようにね。そいつは金持ちの傲慢だ」
相手は子どもだ。きちんと、教育的配慮も欠かさない。
世界の問題がすべてお金で解決するなんてことは、一輝だって思っていないし、それは真実ではない。
「ただ、君たちの問題を解決するために一番、必要なのは、やっぱりお金だからね」
地球の統一政府がつぶれない限り振り込まれる年金と退職金。
そのお金で、彼女たちに居場所を作ってもらう。
もちろん、それは最低限の保険であり、ベストなのは、誰か里親に引きとってもらうことだ。
けれど、それが叶わなかったとしても、お金さえあれば自分たちで建物を買うなりして、生きていく居場所を作ってもらうことだってできる。
好ましくない仕事に関わることなく、生活に必要な賃金を得られる環境を整えることができるのだ。
それが、一輝としての、最低限の妥協可能なラインだった。
少女たちを少佐まで出世させる。それも、できるだけ短い期間、一年、長くても二年間で、だ。
「さて、それじゃあ、長期的な目標はそれとして、今週の目標は……」
なんだか、小学校の教員になれたような気がして、ちょっとだけ嬉しい一輝だった。