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透明人間の手記  作者: 宝積 佐知
電気羊の夢
30/68

⑶後は闇の中

 故郷の友達との話が盛り上がっているようだったので、葵は和輝を連れて霖雨の部屋を出た。

 時刻は午前零時を迎える。眠るには少し早いように思うが、和輝は何度も欠伸を噛み殺していた。


 もう寝よう。

 自分から首を突っ込んだ癖に、結末を見届けずに寝ようというのも無責任ではないだろうか。しかも、和輝は結局、何もしていない。

 葵は呆れてしまったが、当たり前のように自室へ戻ろうとする和輝を引き留める理由も無かったので、放って置いた。


 和輝は怠そうに背骨を伸ばしながら、部屋の扉の前で立ち止まった。

 何かを思い出したような、そんな動作だった。




「俺って、死んだことあるの?」




 如何いう質問だ。

 とはいえ、葵にはその意味が解る。先程の会話で、引っ掛かったのだろう。

 こんなことを追求されたって、葵には答えようもない。それくらい、和輝なら解りそうなものだ。


 葵が黙っていると、和輝は困ったように笑った。




「難しいことは解らないけど、俺が此処で生きているのは、きっと、葵や霖雨のお蔭なんだよな」




 単純な思考回路で、何よりだ。

 葵は答えなかった。藪蛇になるくらいなら、何も言わない方が良い。




「ありがとう」

「ーー別に」




 もう、終わったことだ。

 葵はそっぽを向いた。


 このヒーローが命を懸けても出来ないことがあっただなんて、どれだけ足掻いても助けられないものがあっただなんて、知らなくて良い。


 ふと思い出して、葵は問い掛けた。




「あの本、読み終わった?」

「今、二回目を読んでいるところ」




 白い歯を見せて、和輝が笑った。

 あの本ーーアンドロイドと人間を題材にしたSF小説の金字塔だ。偶々葵がリビングで読んでいて、読み終わったタイミングに和輝が居合わせたので、貸したのだ。

 昼過ぎから猛烈な勢いで読んでいたと思ったが、二回目に差し掛かったらしい。




「心って、何だろうと思った。考えるだけなら、機械にだって出来る」

「共感能力の有無だよ。機械は、感情移入しない」

「じゃあ、共感しない人間には、心が無いの? 心が無いのなら、それは人間ではないの?」

「お前、人間には心があるという前提で話しているだろう。世界には、心の無い人間もいる」




 和輝は思考が柔軟に見えて、実際、かなり頭が固いと思う。理解出来ないものがあるということを、理解しようとしない。


 異常犯罪を起こすようなサイコパスにも、何か事情があったのではないかと理由を付けようとする。それは葵にとっては意味の無い思考で、それこそ理解出来ないことだった。


 和輝は自分の物差しで、他人を測ろうとする。しかし、その物差しはまだ未熟なのだ。だから、付け込まれるのだと思う。


 けれど、それを口に出して咎めはしない。諸刃の剣だからだ。




「全ての人と解り合えるとは思わないよ。でも、何か一つでも良いから、理解出来ることがあるかも知れない」

「無いよ。そういう人間もいる」

「結論を出すには、まだ早いよ」

「お前の言う結論って、何時出るの?」

「人類永遠の課題だ」

「理解出来ない」




 葵が言うと、和輝はやはり、笑った。




「理解出来ないことを、理解しようとすることこそが、共感能力なんじゃないかな」




 おやすみ。

 そう言って、和輝は扉の向こうに消えて行った。


 霖雨の部屋からは、まだ話し声が聞こえている。盛り上がっている。この分なら、朝まで話しているのかも知れない。

 これまでの沈黙を埋めるようにして、足りないものを補うようにして。


 葵は超常現象やオカルトの類が嫌いだ。曖昧なことを科学だと宣って研究する人間も嫌いだ。壮大な時間の無駄だと思う。


 しかし、去年の夏、葵は超常現象に遭遇した。


 和輝が国際的な過激派犯罪組織のテロを防ぐ為に、命を落としたのだ。爆弾の仕掛けられた旅客機の乗員乗客二百人以上を救い、その代償として都心の高層ビルから転落死した。

 その時に、春馬がやって来た。


 乗員乗客は助からない運命だった。それを覆したことによって、エラーが発生したのだと言った。


 葵と霖雨は、和輝を救い、代償として乗員乗客を死なせなければならなかった。その手段が、次元を渡ることだった。


 結果、葵と霖雨は和輝を救出し、乗員乗客を死なせた。エラーは正された。世界には結果だけが残った。

 次元を超えた葵と霖雨には、異世界の記憶が残った。しかし、和輝はそれを知らない。


 自分が死んだことも、助かった代わりに二百人以上の人間が死んだことも、何も知らない。知らせることは許されなかった。そのルールを破れば、再びエラーが起こる可能性すらあった。


 こんなことは非科学的だ。証明の手段すら無い。だから、それは夢だったのだろうと結論付けた。思考放棄は怠惰なのかも知れないが、これは価値観の問題だ。


 並行世界の有無については、肯定している。否定する方が難しい悪魔の証明になるからだ。


 並行世界は異なる次元に存在するから、知覚することが出来ない。だが、仮にその異なる次元を渡る術があるとする。春馬は、それを時の扉と呼んでいた。


 そういった力が存在するとして、人間に操作出来るとは思わない。思わないが、もしも、この仮定が真実だとすると、ーー霖雨は時の扉を、操ることが出来たということになる。


 エラーのある世界にいた霖雨は、何らかの方法で次元を超えた。だから、異世界の記憶を持っているのだ。


 だが、恐らくはそれこそがエラーだった。

 次元を渡る術を持つべきだったのは、霖雨ではなく、春馬だった。


 エラーは正された。つまり、次元を渡る術は、本来持つべき者へ受け渡された。


 何の根拠も無い、辻褄合わせの推測だ。


 この仮定を考えた時に、葵の胸の中には疑念という小さな棘が残った。

 それは毒のようにじわじわと侵食し、生命を死に至らしめるのかも知れない。


 自分の生きている世界は、エラーではないのか?

 両親が死んだことも、兄が殺されたことも、友達がいなくなったことも、全ては正常なのか?


 葵は、春馬に訊きたかった。

 だが、それを寸でのところで呑み込んだ。隣に、小さなヒーローがいて、葵の服の袖を握っていたからだ。

 衝動に流されそうな思考は、碇のように繋ぎ留められていた。


 春馬の答えが肯定でも否定でも、納得出来る訳じゃない。全ては闇の中だ。それで良いのだろう。


 その時、部屋の扉が叩かれた。時刻を確認すると午前一時を過ぎていたので、訪れる人間は特定された。


 葵は一人掛けのソファから立ち上がり、扉を開けた。闇の中、ぼうっと浮かび上がるようにして、霖雨が立っていた。




「お前、幽霊みたいだな」

「存在感の希薄さはお前の専売特許だろ」




 そんな特許を申請した覚えはない。

 葵が黙っていると、霖雨は部屋の前に立ったまま頬を掻いた。




「さっきは、ありがとう」

「別に」




 別に、霖雨の為に言った訳じゃない。自分が思ったことをそのまま口にしただけだ。全部、自分の為だ。


 だが、そうとは受け止めなかったらしい霖雨は何故か照れ臭そうに笑っていた。


 用件はそれだけだったらしい。

 おやすみ、と勝手に言い置いて、霖雨は扉を閉めた。


 葵は、部屋の電気を消した。

 闇に包まれた部屋の中、時計の秒針の音が響いている。







 電気羊の夢

 ⑶後は闇の中






『あの二人のこと、よく見ていてあげるんだよ』




 通話した日、最後に春馬が囁くように言った。内緒話をするような後ろ暗さに、霖雨は面食らった。

 春馬の指す二人とは、葵と和輝のことだった。

 言われなくても、よく見ている。どちらも放って置くと大変な事になるからだ。


 だが、春馬の言葉の意味は違った。




『彼等は崖の淵にいるんだよ。もしも一方が落ちれば、一緒に何処までも落ちて行くような気がする』

「運命共同体?」

『或いはね。彼等には一方が落ちそうな時に、手を離すという選択肢が無い。それはね、すごく怖いことなんだよ』




 霖雨には、よく解らなかった。

 春馬は、霖雨の理解の程には構わずに言い聞かせた。




『もし、お前が二人を大切な友達だと思うのなら、よく見ていてあげることだ。一方を取り零せば、もう一方も転落してしまうから』




 霖雨の頭の中には、身を切るような冷たい風の吹き付ける崖が浮かんだ。崖の下は闇に染まり、何も見えない。風の吹き抜ける不吉な音だけが響いている。


 葵と和輝が、其処に立っている。風が吹き付ければ落ちてしまいそうな位置で、遠くを見ている。足元の崖になんて、まるで気付いていないみたいに。


 もしも一方が落ちれば、もう一方も落ちる。どちらかが足を滑らせたとしたら、もう一方は手を伸ばす。そして、彼等は自分が転落すると解っていても、その手を離しはしないのだろう。


 危ういな、と思う。

 だからこそ、春馬は警鐘を鳴らすのだろう。




『二人なら転落しても、三人なら、別の方法があるかも知れない』




 霖雨は、しかと頷いた。


 見ているだけではなくて、手を繋ごうと思う。闇の中に沈んでしまいそうな葵と、光の中に消えてしまいそうな和輝が、何処にもいなくならないで済むように。


 彼等に手を離すなんて選択肢が無いみたいに、霖雨にも、彼等を見放すなんて選択肢は端から存在すらしていないのだ。


 それから三日程して、自宅に小包が届いた。

 母国からの荷物だった。中にはレトルトの食料や衣服が入っていた。そして、荷物の一番下には胃腸薬が詰め込まれていた。


 自分が胃腸炎に罹っていたことは、春馬には言っていない。


 以心伝心だな、と苦笑して、有り難く受け取った。


 胃腸薬が効いたのか、痛みは少しずつ引いて行った。ストレスの原因が一つ解消された為だろう。


 しかし、霖雨が快復しても、食卓には病人食が並んだ。

 凝っているのかも知れない。バリエーション豊かなので飽きることは無いから構わないけれど。


 朝食に粥を煮る和輝を見て、そういえば、感謝の言葉を伝えられていないことを思い出した。




「あの時は、ありがとな。お前のお蔭で、一歩を踏み出せたよ」

「どういたしまして? 俺は霖雨の兄貴に叱られていただけだけどな」




 確かに。

 和輝は、何もしていない。ちょっと無責任なくらい、何もしていなかった。


 けれど、社交辞令としては感謝しても良いだろう。




「葵にも、感謝してる。背中を押してくれたのは、葵だったから」




 すると、和輝は鍋から目も上げずに言った。




「感謝よりもまず、謝罪した方が良い」

「迷惑掛けたもんな」

「迷惑掛けたんじゃない。掛けているんだ」




 如何いう意味だろう。

 霖雨が首を捻っていると、扉の軋む音がした。気配も無く現れた透明人間が、相変わらず景気の悪い顔をしている。




「霖雨の胃腸炎、ウイルス性だっただろう」




 和輝が、意味深なことを言う。同時に葵が恨めしそうに睨め付けたので、霖雨ははっとした。


 和輝が、機械みたいな抑揚の無い声で、ばっさりと切り落とす。




「一人の為に、毎日病人食を出す筈無いだろ」




 ああ、感染していたのか。

 胃を押さえる葵が、何かを言おうと口を開く。


 其処から飛び出す猛烈な罵倒を想像して、霖雨は、快復した筈の胃が再びきりきりと痛むような気がした。

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