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まるで、朽ちかけているコンテナの様な部屋だ。天井は低く、光源と為るものは小さな明り取りの窓が一つあるだけで、薄暗く狭い室内には咽返る程の錆臭が充満していて、否応なく鼻孔の最奥にまで飛び込み、耐え切れない程の嫌悪感を与える。
御多分に漏れず、此の部屋の主と言って良い片肩だけを肌蹴た男は、此の部屋が嫌いで仕方がない。併し、此の環境に馴染んでしまっている己自身が居る事を十二分に理解している。如何な理由があるにせよ、其れに甘んじている自分に嫌気がさしていた。
特に、怨みを込めてねめつけてくる畜獣の眼差しが嫌いなのだ。何かを思い起こさせる怨嗟の瞳が嫌いなのだ。
見詰められると狂気と恐怖が湧く。
男は、沸き立つ狂気と恐怖を断ち切る為に、己が二の腕程も有る大振りの包丁を慈悲すらも見せずに咽喉元に振う。肉がぱっくりと割れると四肢を痙攣させ、軈て床には大きな血だまりが出来る。
錆臭が以前にも増して鼻孔に飛び込んできた。反吐が漏れそうであった。
男は此の部屋が一段と嫌いに為った。
――何時の日か、こんな人生を変えてやる。
男の胸裡に力強い野望が宿った。
◇ ◇ ◇
雒陽と言う城郭は途方も無く広い。聳え立つ城壁の内側には億万の民が起居し、更には内壁によって隔絶された内城には帝國の主導者足る天子が住している。其ればかりか、城壁を囲っている渠の外にも粗末な住居は犇き、内城で寝起きする者を優に凌駕する数の民が城郭を取り囲んでいる。
何進は、此の雒陽と呼ばれる帝都にある肉商、詰りは屠殺を行い、其の獣肉を売り捌いて生計を立てる何翁と言う名の商賈で育てられた。
雒陽を帝都と記すのだから、自ずと時代は知れる。東漢か、若しくは西晋の時代である。それ以前に興国した西周では、飽く迄首長国と言う位置付けであったが為に洛陽を帝都と呼ぶ事は無かった。しかも、態々と『洛』を『雒』と書いて洛陽とするのならば、時代は一つしかない。
何進が育ったのは前者、新代を挟んだ後の漢王朝であり、詰りは東漢の時代、其の更に後期の孝桓皇帝の諡号で知られる劉志の御世だ。
扨、敢えて育ったと書いたのは、何進が何翁の実子では無いからだ。有態に言えば、彼は捨子である。其れ故に何処で生まれたのかは分からないし、朧気な年齢しか分からない。更には実父が誰であるのかを知る事は出来ない事から、正確な氏姓を窺い知ることは出来ない。何翁の店の軒先に捨てられていた所を見兼ねて拾い、其ればかりか何姓を与え、我が子として育てたのだ。
とは言え、一悶着が無かった訳ではない。其れは勿論の事ながら、相続問題であり、何翁には嫡子が居なかった事に端を発している。近しい親族にすれば、何姓を与えられたとは言え、何処の馬の骨とも知れない捨子の何進に身代を呉れてやるのは業腹である。他人から見下げられている屠殺業であっても、何翁は其れなりの財産を蓄えているのだ。家が潰え、一族で分け合えば、充分な潤いを齎してくれる筈なのだ。其れが水泡と帰すとあらば、のんびりと指を咥えて眺めている法は無いのだ。
当主の何翁と何媼は子宝に恵まれず、嫡子が居ないと困るとの周囲からの勧めで妾として囲い入れはしたが、残念ながらその妾との間にも子宝には恵まれなかった。
当然の事ながら、嫡子が無くては家が潰える。その対策の一手段として、親族や昵懇にしている誰かから継子として子供を譲り受けると言う方法があるが、其れも難渋していた。前記の下心が有りはしたものの、抑々、畜獣とは言え、常に殺生を強いられる屠殺と言う忌み嫌われる家業を我が子に継がせようと考える親は中々にいないものだ。喩、仏教が普及していないこの時代であったとしても、人々の持つ感覚と言うものは二十一世紀を迎えている現在とそうは変わるものではなく、やはり、殺生とは野蛮で忌み嫌われるのは、過去であっても現在であっても変わらないものなのだ。
何進が迎え入れられたのはそんな折であったし、そんな事情や背景があったのだ。寧ろ何翁にすれば、渡りに船であったに違いない。
何進が何家に名を連ねた事で、一見は安泰が訪れた様に見えた。が、何進が迎え入れられた事で何家に吹き込む世風が順風満帆に為った訳ではない。親族からの僻目の他にも、何家には人間に訪れる多くの幸不幸が去来したのだ。
何進が迎え入れられ、嫡子が出来たお蔭で家業は安定した。何進は口数が多い方では無かったが、立場を理解していた所為か屠殺と言う家業を嫌う節を殊更には見せなかったし、養父母の言付けは能く聞き入れた。其の褒美と言う訳ではないが、教養を得る為に、近隣の私塾に通わせて貰ってもいて、春秋を中心とした一般教養に加え、文字の読み書きを学んでいて、家業を継ぐ経験と資格を積み重ねている。詰りは、何翁は、何進を嫡子手して定めたと暗に世間に知らせたと言う事だ。
尤も、儒教を学んだ事が後の彼の思考に大きな影響を与えたのは事実だ。其れが幸か不幸かは別の話だが、少なくとも何翁は次代でも家業の安泰を願って教養を授けたかったに違いない。裏目に出るとは考える筈は無かった。
更には、何進が引き取られて三年の後に、妾に女児が生れると言う僥倖を迎えたものの、既に老域に足を踏み入れていた養母の何媼はその一年後に病没している。更に、女児を産んだ妾も産後の肥立ちが芳しく無く、其の三年後に病没している。
幼いながらも何進は義妹に当る何嬢の面倒を見た。併し、女手の無くなった家は不自由なもので、何翁は仕方なく後妻を娶った。数年して後妻との間に男児・何苗が生まれたが、この子が成熟する前にはやはり後妻と為った女は病没している。
老いさらばえた何翁は、娶った妻が三人とも没した事で、もう誰とも婚儀を結ぼうとはせず、軈て何翁も衰弱して病没した。何翁の遺言に依り、実子の何苗を差し置いて何家の当主は何進に決められた。
此の時既に、何進が引き取られて十七年の月日が過ぎていた。
何進が跡目を継いだ事に不満を漏らした者が居なかった訳ではない。抑々、何進は出生がはっきりしていないし、何翁に拾われた以外には、本来、何家とは何の繋がりも無いのだ。その上、間違い無く何翁の血を継いだ何苗がいる事実も有る。
漢代は儒教を国学としていて、年齢の上下よりも血筋、詰りは養子よりは実子が後を襲うのが常識であるのだ。其れが不満で、何家から去った僕人が居ない訳ではない。抑々、何進自身が不満に思っていた位なのだから、其れが数名に留まったのは、内向的で人見知りの有る性格の何苗よりは、寡黙でも聡明さがある何進の方が当主に向いていると思った者の方が多かったからに違いない。
様々な後押しがあったにせよ、不満の有る何進自身が何翁の決定に従ったのは、やはり返せない程の恩があるからだ。
何より、
――俺が家を安定させて、義弟に後を継がせれば良い。
と、視点を変えた事もある。春秋によって世の理と建前と歴史を学んでいる何進らしい考え方と言って良い。周代の呉国の創世記を知る何進にすれば、真先に延陵の季子こと季札の名を思い浮かべたに違いないのだ。
詰りは、何家にこれ以上の波風が立たぬ様に、何進は妻帯せずに家業がある程度の安定を見せた時に何苗に世襲させれば良いと考えたのだ。
◇
何翁の弔いを終え、何進が夜な々々考えている事がある。
勿論、
――家業を安定させるには如何すれば良いか?
と言う事だ。
屠殺を生業とする商賈である事から考えれば、当然ながら顧客を増やす事が手っ取り早い手段である。多くの獣肉を売り捌けるようになれば、商売が大きくなり、何れは今以上の貴人宅への出入りが出来る様に為る可能性がある。貴人は獣肉でも当時の最高級品の羊肉を好み、当然ながら高価である事から利幅も大きくなるのだ。
だが其れだけでは足りないと思った。
何進は其れに加え、無駄を減らす手段を講じた。
御存知の通り、漢代の後期には冷蔵庫などと言った便利な物が存在する筈は無く、生肉の保存法と言えば、風通しの良い日陰で保存するしかなかった。当然、夏冬での保存期間は違い、猛暑や暖冬が訪れれば、痛む確率が高くなし、不衛生である事も事実だ。
当時も今も、商売の敵と言えば風評、とどのつまりは信用と言ってしまって良いのだ。痛んだ肉を売り付ければ悪評が立ち、何れは商売が成り立たなくなる。出来れば、捌いた商品は其の日の内に手元から離す事が出来れば、商売として最上と言って良い。
――ではどうすれば良いのか?
何進は一計を案じ、副業として肉料理を肴にした酒家を営む事を考えた。
酒家とは、酒と食事を提供する場所だと思えば良い。但し、現在との大きな差異は、豊富なメニューを提供していない点だろう。
当時の酒は、漿に麹を溶かして暫く寝かせただけの極めてアルコール度数の低いものであったし、肴等の料理に関しても、煮る、焼く、蒸す程度で品数は豊富では無かったし、種類としても精々一品か二品で、肉か魚、若しくは野菜と言ったものを肴として用意してあれば、寧ろ気の利いている店と言って良い。因みに、獣魚のみを細かく切ると言う意味の鱠、又は膾と言う文字は中国より伝わっている事から、当時は肉や魚を生でも食していたと考えられる。此れならば、生簀さえあれば容易に用意は出来るかも知れないが、魚に関しては漢代である当時から黄濁していた河水に棲む魚では無理であったろうから、江水に住んでいる物に限られただろう。やはり、河水に程近い雒陽では無理な代物であった。
其れは扨置き、宦官や貴族を問わずに丹念に貴家を廻って徐々に顧客を増やして商売の手を広げ始めた何進は、満を持して酒家を立ち上げた。何進が何翁の後を継いで三年目の事であった。
酒家は、雒陽で忽ち話題に上った。
酒代が安い訳ではないが、常に一定の値段で持成す肴が好評版と為った。其れも其の筈、当時は高価で庶民にはとても手が出なかった羊肉が、安価で提供される事があるからだ。勿論、こんな書き方をするのだから、常に羊肉が提供された訳ではない。貴家からの注文の余りが有った時だけで、通常は安価な豚肉であったし、偶に牛肉や羊肉が紛れ込む程度であった。
が、一生に一度でも口に入れる事が出来るかどうか知れない物が食えるかも知れないと言われれば、人ならその魅力に屈してしまうものだろうし、其れは現代でもそうは変わりはない。口にした後の感想は様々だろうが、嗜好が合いさえすればリピーターは必ず居たし、その口端に上って噂は広まるものなのだ。
結果から言えば、直ぐに商売は軌道に乗った。客が引切り無しに訪れる様に為り、何進は直ぐに商売の手を広げる事を決めた。が、人手を集める方が難しい。商売である以上、客の接待をする者は愛想の良い方が良いに決まっているし、客の大半が男ならば、給仕は女の方が良いのは当たり前だ。当然ながら、此の事も現代に当て嵌めれば容易に想像が付く。
其れはそうとして、問題はある。
元が屠殺業なだけに、客としては抵抗が無くとも、従業員に立場を変えた時には敬遠する者が多い。特に若い女人ならば潔癖さが手伝って、其れを嫌うのは当たり前だ。知り合いに口を利いて貰っても結果は違わず、人手は集まらずに何進は直ぐに途方に暮れた。最後の手段に出るのも、
――仕方がない。
背に腹は替えられぬものなのだ、と。
何進は、義妹の何嬢を呼んだ。
「済まぬが、店で働いてくれぬか?」
元服を迎えたばかりで妙齢の何嬢が店に姿を見せれば、同世代の女人の警戒心が薄れるのではないだろうか、と考えたのだ。当然の事ながら、この言葉を口にした何進の貌は心苦しさに酷く歪んでいた。
何翁への恩が有り、義妹と義弟には習い事をさせている。何嬢には、舞曲や楽器、詩歌を、何苗には春秋等を始めとする四経を、と言った具合で、いずれも後々の事まで考えてである。
その方面で生計を立ててくれても構わないが、養父への恩返しの為にも家業を継いで貰いたい思いがある。其の思いが強いが故に、何苗には今の世の常識の下支えとなっている春秋を習わせている。何れは、何苗にも店を手伝わせようと考えているし、経験は何事にも替え難い財産に為ると考えている節が何進には有る。
当然、何嬢には有益な一族と縁を結んでくれればと思っていると言う事であり、代案が無いとは言え、大事な何家の息女を衆目に晒すのは如何にも憚られたのだ。
が、併し、果たして何嬢の返答は、
「諾」
と簡素なものであった。一も二も無く、考える素振りさえ見せずに頷いたのだ。寧ろ、妹ならば、喩、血の繋がりの無い義兄であったとしても援けるのは当然の事なのだ、と考えている。
何進は、額を床に擦りつけて感謝した。出来れば、義妹は世間の垢に塗れる事無く一生を過ごさせてやりたいと考えてはいたのだ。併し、己の力の無さと采配の拙さで其れが叶わなくなってしまい、心苦しいくて仕方がない。其の思いが何進に低頭させたのだ。
但し、何嬢にすれば、何進の苦労は知っているし、先代の何翁が没してからは、義兄が先頭に立って店を繁盛させ、延いては何家を盛り立てている事は能く理解している。彼女は彼女で既に元服を迎えていると言うのに常に庇護されている自身の立場を心苦しく感じていたし、何れは義兄の役に立ちたいとは考えていたのだ。
其れこそがこの時であり、彼女にすれば、正に渡りに船の言葉だった。
何嬢が店に顔を出す様に為ってから、更に客足が繁くなった。肴だけが売りだった酒家に、若い娘が給仕してくれる様に為れば、其れも当然だろう。
其ればかりか、うら若い娘と言うだけでは無い後押しがあったのも事実あり、少々きつめの顔立ちでは有っても、何嬢は誰が見ても美人の部類に入るし、商家に生まれて義兄や父の姿を見詰めて来たのだから、愛想の振り撒き方も心得ている。しかもある程度の教養が具わっていると有れば、誰の相手でも出来ることから、富貴の家の者まで訪れる様にまで為ったのは、何進にとっては計算外だったとしても僥倖であった。
「何進の店には庶民ばかりか貴人までもが訪れている」
そんな噂が広まれば、出世を見込み、下心を持ち合わせた者が娘を働かせようと訪れる様に為る。何嬢が店に出る様に為って一歳が過ぎる頃に為ると、以前とは比べようもない程に何家は栄える様に為った。人生とは、好転さえすれば、時流が変わるまで上手くいくものだ。
月日を経ても、何進の酒家は相変わらず繁盛している。何嬢の御蔭で評判は良くなり、多くの娘が給仕として働く様に為り、腕に覚えのある料理人も雇える様になったおかげで、今では気の利いた料理屋を出店するまでに手を広げている。其れが元で今まで以上に富貴の客が訪れる様に為り、本職の屠殺業の方も、多くの富家の下から注文を受ける様に為り、何進は昼夜を問わずして忙しかった。
倉皇な日々が続き、月日は瞬く間に過ぎ去った。
酒家を開いて数年が経ち、雒陽の何進と言えば、誰もが知る程の商賈へと成長した。何進は一心不乱に働き、大きな財を蓄えたばかりか多くの信頼をも得たのだ。店は大きくなり、屠殺は下働きの者に任せる様に為り、何進は経営者としての責務の方が重たく為っている。
扨、春も酣を迎えたと言うのに、暖かな陽光を厚ぼったい雲が覆い隠すばかりか、雲の合間からは糠の様な雨が零れ落ちてそれが何日も続き、少々肌寒い日々が続いているそんな或る日の事だ。
何時もなら日の高い内から客足が途絶えない酒家も、此の天候のせいか、ここ数日は其れも疎らに為っている。こんな日に限って届け物も無く、何進は手持無沙汰を良い事に、客席に座り込んで何時もは寝科に片付ける帳簿を取り出す始末であった。其れも程無く終わり、今では春雨に霞む大通りに目を向けて、ぼんやりとしている。
其処に、酒の入った椀が置かれる。犯人は何嬢で、自身の前にも椀を置いてから何進の向かいの椅子に腰掛けると、義兄に向けてにっこりと微笑んでくる。目が細められて大きな瞳が瞼の奥に消えると、細面の輪郭が相俟って狐の様な顔に為る。肌が白いので白狐と言った方が似合う。唯、柔和な表情でも、目ばかりか眉も吊り上がっているので、彼女を能く知る者でなければ、此の行為が何を意味するのかは判断に迷うかもしれないし、嫌味に見えてしまうかもしれない。勿論、何進には義妹が何を言いたいのかは直ぐに解った。
其れは、彼女の表情で分かる。長い歳月を共に過ごした義兄なら、当然であろう。
「偶には、こんな日が有っても良いじゃない」
案の定の言葉を、何嬢は微笑みを崩さずに口を開いた。
――勿論だ。
肯きで応じる何進も同じ考えだ。言葉にする事は無かったが、表情が想いを伝えている。客足が何時もこんな状態では不安だが、偶には義妹とのんびりしたいと思う事はある。
が、其れと同時に憂慮も首を擡げる。
何進は、義妹が掛け値なしに美人だと思っている。出来得るなら、其れなりに格式の有る家に婦として嫁がせてやりたいと考えている。其の為に習い事をさせたのだ。今は中断しているが、人手が整った今なら、又、習い事に通っても良いと思っているが、残念ながら、彼女は今の状況の方を好んでいる様で、店に根を生やしてしまっかの様に梃子でも動きそうにない。
勿論、此の事を何進が彼是と考えを巡らせても仕方がない。
義妹は、どんなに条件の良い輿入れであっても気に入らなければ何があっても動きそうにないし、無理矢理にでも事を進めれば、先方から飛び出してしまうだろう。面相と同様、彼女は気が強い性格なのだ。親が違えど二人は長い年月を共にした兄妹である、その程度の事は考えるまでも無く義妹の行動にはあたりが付く。
結局は、思いを溜息に変えるしかないのだが、何嬢も心得たもので、そう言った義兄の行為からは意図的に目を逸らしている。
そんな思いと共に義妹を見詰めていた時だ。
「やあ……、此処は馨しい香りがするぞ」
店先からそんな声が飛び込んでくる。
二人は一斉に声の元に視線を移した。其処には、小奇麗な身形の少年が立っていた。見た目の歳の程は十七か十八と言った所であろうか、但し、明らかに、
――庶民では無い。
と二人は思った。飽く迄も勘の域を超えた訳ではないが、身形だけでは言い表せない富貴が、少年の體から漂ってくるのだ。白い肌、ふくよかな頬から感じる其れは召物ばかりでは感じさせない育ちの良さが窺えるが、少年の所作は其れ以上に優雅さが有り、成り上がりの豪商や士大夫の其れとは一線を画していた。
二人は目を真ん丸にして少年を眺めていたが、軈て口を開いた少年の、
「我に馳走してくれぬか」
と言う言葉を聞くと、今度は音が出そうなくらいな勢いで瞼を瞬たせてお互いの貌を見合った。見た目からしてこんな浮世離れしている人間は珍しいが、こんな世間擦れしていない客はもっと珍しく、正に青天の霹靂と言って良い珍事であったからだ。
もうそろそろ中天に為ろうかと言う時であったから、きっと腹を空かせていたのだろうとは、後々に為って至った思いである。
少年が腰を落ち着けると、直ぐに何嬢が酒肴を運んでくる。少年は、直ぐに箸に手を伸ばして湯気を立てる肴に齧り付いた。
「温かな片食とは、斯様に美味いものであったか」
美味い、美味いと少年は何度も繰り返しながら肉を頬張り、酒で胃の腑へと流し込んだ。何進と何嬢は呆気にとられて眺めていたが、少年は二人を余所目に咀嚼を繰り返している。軈て少年は、丼一杯の肉を全て平らげて人心地を吐いた。随分と気に入ったのか、
「美味かった」
と感想まで添えている。
少年の様子を眺めていた何嬢は、彼が何度、美味い、と言ったかを思い起こしていた。明らかに両掌の指の数だけでは足りない事は判っているだけだ。が、充分に満足であった事は確かだ。
比較的安価で贅沢な肴、何嬢を始めとする若い娘達と、売りが少なく無い此の酒家であっても、此の少年の様に素直に、
「美味い」
との言葉を連発して料理に齧り付く者は少ない。
何進にとって何嬢が可愛い様に、彼女にとっても何進は自慢の義兄なのだ。義兄が成功している事を一番に悦んでいるのは彼女であるし、その義兄が営む酒家の自慢の一つである料理を此れだけ手放しで誉めそやされれば、其れだけで十分な程に満足であった。其の想いは表情に現れ、此れまでに無い程に彼女は柔和な貌に為っていた。唯惜しむらくは、料理ばかりに集中していた少年も、その少年を訝って眺めていた何進も、直ぐ傍に居た彼女の表情を一顧だにしていなかった事だ。尤も、何嬢自身もその事には全く不満は覚えなかった。
扨、満腹になった少年は、
「馳走に為った」
とだけ言い残して立ち去ろうとした。
此の行動は、何進にとっては織り込み済みであった。身形と所作で富貴の者、寧ろ其れ以上の立場の者かもしれないと悟った時から、此の少年には銭の概念が無いかもしれないと感じていた。其れだけに少年の肩を掴んで圧し留めるのに間髪は置かなかった。
「酒肴の銭、二十枚を置いて行け」
と。
唯、残念な事に此の少年の行動は、何進の想い描いていた其れと寸分も変わらなかった。逃れようとしたり、慌てふためけば可愛気が有るものを、ぱちくりと何度も瞬きを繰り返して眺めてくる様子に、何進が盛大に脱力したのは当然であろう。
しかも、
「銭とは何じゃ?」
との言葉まで添えられては、二の句が告げる筈が無いのだ。
再び少年を椅子に落ち着かせ、食い逃げをした者の顛末を聞かせる。性質が悪ければ役所に付き出すし、最低でも仕事をさせて御足を払わせるものだ、と。が、今回に限ってはそうはならなかったのは、何嬢が仲裁に廻ったからだ。
「義兄さん、良いじゃない。今までこんなに美味しいて言って食べてくれた人なんていなかったわ。其れだけでも有り難い事じゃない。何なら、私が立て替えるから」
と。
詰りは、何嬢にすれば彼の言葉は金銭に値するだけの価値があると言う事だが、実際に商売を営んでいる何進にすれば、見解は大いに異なる。料理を出して、
「美味しい」
と言う言葉を客から授かれば、誰でも嬉しいのは当然の事だが、此の常識を弁えない少年がそう言った知恵、寧ろ悪知恵の類を身に付けてしまう事に問題があると考えたのだ。即ち、酒家や食堂で美味しいとさえ言えば、代金を支払わずとも良いと言う狡賢さを覚えられては良くないと思った、と言う事だ。
何進は即座に其の考えを言葉にして義妹を諌めた。義妹も其れを聞いて納得し、言葉を引込めた。唯、何進が少年をきつく罰しようと思わなかったのは、やはり義理では有ってもこの二人が兄妹だからだろう。現実を見る目に多少の差があったとしても、二人の思考は似通っていると言う事だ。
「良いか、酒家に限らず、露店や商賈でものを求めれば、必ず代金がいる。此れは社会の摂理の様なもので、言わば常識と言って良い。朝廟は百姓に安心や安全を保障する代わりに税を徴収しているし、其れを逃れれば、理由の如何を問わずに罰するだろう。何故なら、其れが常識だからだ。国家であれ、一家であれ、世の理は同じなのだ」
何進が言葉と共に少年を見据えると、少年は心苦しさに貌を歪めて神妙に肯いた。その貌は、明らかに無知を恥じているのだ。何進の神妙な貌を理解した少年は、話の続きを促した。
「だから、銭の存在を知らぬからと言って罪が許される訳では無く、其れは単に君の勉強不足と言う事でしかない。だから、代金は必ず貰うが、無い袖を振れと言うのも人情味の無い話だ。知らなかったのなら、知る事で罪を償う事にもなるが、大事な事だけにそれで済ませるのは良くない。其処で、次に此の店の暖簾を潜る時は、必ず銭を持って訪れるのだ。其れまでは、銭二十枚は貸して置く事にする」
と、何進は言葉を続けた。罰を与えられるわけではないと知った少年は笑顔を弾けさせると、
「此度は旨い料理ばかりか、良い勉強をさせて貰い、忝く思う。次には必ず代金を持ってくる」
と言い、手を振って兄妹に別れを告げた。
大通りに消える少年を見ながら、何進は誰にともなく口を開いた。
「もう……、来ぬかもしれぬな……」
と。
何嬢は硬い表情の義兄を見詰め、微笑みながら対応する。
「来るわよ。だって、嘘なんて付けそうになかったじゃない」
「否……、来たくても来れぬ、と言う事だ」
何嬢は不思議な顔をしたが、何進にはある程度の確信があった。
何進は、少年の名を聞いていない。普通なら、子供が悪さをすれば姓名を聞き、罪悪感を与えて悪事を重ねる事を諌めるのが大人の役目である。だが、其れをしなかったのは、或る程度の予測が立ったからだ。成り上がりであろうが由緒正しかろうが、一般の士大夫が銭の存在を知らない筈は無いのだ。詰り、銭の苦労とは全く無縁の所に身分を置く者ではないのかと予想を立てたのだ。そして其れこそが皇帝であるし、若しくはその位置に極限無く近い者だろう。唯、何進は年齢的に天子だろうと判断した。先帝が没し、当時十二歳だった河間王家の劉宏が即位して五年がたっている。年齢としても釣り合うのだ。
少年に姓諱を訪ねれば、
「劉宏である」
と答えるだろうとは、何進にとっては確信であったのだ。
「天子なら、来たくても来れないだろう?」
何嬢は義兄の言葉に目を瞠ったが、否定は出来なかった。やはり、少年の何処かに常人からは掛離れた浮世離れの具合を感じていたのだ。
「たいそうな事を言ってしまったが、朝廟に立つ時の足しに為ってくれれば良い……」
何進は呟くと共に踵を返し、店先に義妹を残して店の奥へと消えて行った。
現在の朝廟は昏迷している。先帝の劉志の時代に宦官に権力を与え過ぎた所為で朝廟内では恣意が蔓延し、政治は混迷を極めている。若い天子には実権が与えられず、天子として推した董太后とその周囲の官人や宦官が専権を握っている。此れは市井に流れる噂だから真実とは限らないが、噂の発信元が定かでは無い上に火の無い所に煙が立つ筈が無い事から考えれば、限りなく事実に近いのだと感じる。
加えて経済状況も悪く、塩や鉄と言った官給品は天井知らずに高騰が続いていて、庶民の生活を圧迫している。其ればかりか、政治の混迷に依り、朝廷の支配力が低下した所為で、北方や南方、西域では異民族の偸盗や略奪が事情茶飯事と化している。
せめてもの救いは、その余波が此の雒陽や中原近辺の庶民の間には届いていない事だが、其れも何時までもつのかは分からないのが実情だ。現実に、河西は既に漢王朝の領土とは言えない状況に有る。地方の民が不幸に為って良いと言う訳ではないが、何進にすれば、先ずは家族を守りたいだけなのだ。
喩、何進が単なる商賈であっても、家人を養わなければならない義務がある。一家の憂慮と国家の其れとでは度合が違っても、やはり同質のものなのだ。その何進が、国家の行末を按じない筈は無いのだ。
◇ ◇ ◇
一方、少年はいきとは逆の手順で城内への侵入を容易に済ませた。
身の回りの世話をする宦官、蹇碩の目を掻い潜って何事も無かった様に太初宮に腰を落ち着け、太尉の橋玄を呼びつけて下問を行っていて、蹇碩からの小言を有耶無耶にしている。
そして晩餐に為り、豪華な食事が此れでもか卓子を埋め尽くしたが、其れを見た少年は溜息を洩らした。
「食事は湯気が立ち上る程に温かなものの方が良いのゥ……」
と。
最後の投降から1年半、果たしてまともな文章が書けるのか……、との思いで投稿を決意。しかも、以前に没にしたものを手直しした程度の為体。
要は、リハビリのようなものなので温かい目で笑覧して頂ければ幸いです。
尚、「飛湍の中」は今後を検討中、『李氏春秋』の修正に関しては今しばらくお待ちください。
此処でのH.N.は違うけど、生臭坊主さんコメント頂いたのに返信しなくて申し訳ない。言い訳が許されるのなら、夜にでも、と思ってました。有態に、御久し振ととても嬉しかった、なのです。