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銀色の帆  作者: 屯田水鏡
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絶望

四 絶望


 港に到着した少年は、安堵のためか体中の力が抜けそうであった。

次々とあかりを灯した大小の船が港を離れて行く、これ以上積めない程の人々を満載にして、左右にゆっくりと傾き揺れながら。

やっとたどり着いたが、ここに着くまでに、沢山の屍を乗り越えてきた、いや、討ち捨てて来た。

助けることのできる命は無かったのであろうか、もっと優しく親切にすれば、あの老人は、助かったのかも知れない。

だが自分は、彼を路傍に見捨てた、果して、あれで良かったのであろうか。

少年は振り返った。歩いてきた道が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。

あの明るさは、港までたどり着けずに力尽きた人々の屍から沁み出す燐が燃える灯なのだ。

無念の思いを抱きながらも、彼らは命の灯を燃やして、港までの道を指し示してくれた。

そして、挫けそうな自分を励まし、元気付けてくれた。

自分は何としても生き延びて、彼らの優しさと思いを語り継ぎ、供養せねばならない。

少年は、燃え尽きて消えようとするその明かりの一つ一つに向かって、深々と頭を下げて、心に深く誓うのであった。

貴方たちのことを決して忘れない、身の置き所が決まって一段落したら、きっとあなたたちの元へ帰ってきますと。

桟橋を船に向かって走った。

一隻の船がいま、まさに出航しようとする寸前であった。

岸壁の端までたどり着いて、桟橋から差し渡された乗船のための板に乗り移ろうとした時であった。

誰かがその板を取り外して海に投げ込んだ。

「何をするのですか、私を船に乗せて下さい」

少年は叫ぶ、それは最後の船である、その船を逃すと脱出の機会を失う。

「もう、乗れない」

誰かが言った。

船は人々で溢れださんばかりであった。

船上で鈴なりの人々は、互いに、自分の居場所を確保するため激しく罵りあっていた。

「なぜ、乗せてくれないのです」

少年の声に耳を傾ける者は誰もいない。

船には、もう、だれ一人として乗船できる余裕はない、俺たちの危険を犠牲にしてまで、お前を乗船させるわけにはいかない。

とっくに定員はオーバーしているのだ、お前を乗せれば船が転覆する危険がますます増えるではないか、そんな簡単な理屈が分からないのか、小僧。

岸壁で助けを求める少年を、船上からじろりと見る人々の目は冷たかった。

自分が生き延びるためには、見も知らぬ者のことなど構ってはおられない。

俺たちは身内のものさえ、俺自身が助かるために、打ち捨てて来たのだ、お前などがこの船に乗る資格など無い、遅れて来たお前が悪いのだ、子どもだから助けて欲しいなどと都合の良いことを考えても無駄なのだ。

諦めてこの町で死ぬ、それが、弱きもの、つまり、お前の運命なのだ。

お前は、どうせ生きられない、じたばたせずに、楽に死ねる方法を考えたらどうだ。

そんな心の声が聞こえて来る。

当然といえば、当然の言いぐさである。

極限の状況下で自分よりも他人の幸せを優先する人間は少ない。

 他人を蹴落としてでも自分だけは生き残る、そんな非情になり切れる者の方が強い。

文句があるなら、誰かを引きずり降ろして居場所を確保したらどうだ。

強いものが生き残る、それが自然の摂理というものなのだ。

お前などが生き延びることが出来るほど平和な時ではないのだ、お前には生きる資格がないのだ。

人々の目はそう語っていた。

「乗せてやったらどうだ」

たまりかねたように、誰かが声を上げた。

「死ぬには、まだ若い、助けてやれよ」

船上が、ざわざわと、騒がしくなった。

「あなた、詰まらないこと言わないで、黙って」

その妻が男の手を取ってその言動を制した。

まわりの人々が殺気立っているのを察知したためである。

「良いじゃないか」

男の言動に周りで不穏な空気が流れ始め、船上で押し合いが始まった。無言で男に対して周りから圧力がかかる。

「何をするのだ、俺を押すな」

男が大声を出す、しかし、みんなが男に迫る。

「やめろ」

男が足を滑らして悲鳴を上げて、海に転落した。

「あなた」

そう叫んで手を差し伸べた妻も続いて暗い海に水しぶきを上げて暗い海に落ちた。

「助けてくれ、お願いだ」

海の中でもがきながら二人は叫び続けた。

だが、誰も助けようとしない。

ただ無言で眺めているだけであった。

「恥を知れ、人非人どもめ、神の罰を受けろ」

彼らは、海の中から船上の人々に激しく呪いの言葉を浴びせながら海底に消えた。

船上の人々は無言のまま、沈みゆく二人を、眺めていた。

そして船は暗闇の中に白い航跡を残して出ていった。

少年は、岸壁にうずくまり、暗闇の中に白い船体が鈴なりの人々の重みに耐えて左右にゆっくりと傾きながら航行する姿が見えなくなるまでじっと佇んでいた。

もしかしたら、何らかの事情でもう一人ぐらいなら乗船できる空間が出来て、自分を迎えに引き返してくれるかもしれないという淡い期待をどこかに抱いていた。

だが、そんな期待が成就することは無かった。

やがて少年はゆっくりと立ち上がってまわりを見渡した。

少年は、自分のために、船上でいさかいを起こした夫婦のことを気の毒に思った。

普通の常識をそのまま口にすることが認められず、口にすれば、それを封じられ、命さえ奪われる異常な精神状況に人々は陥っている。そして、生きている人達は、みな、去って行った。

もはや、この町は死の町と化した。

生きているものは、人も動物もいない。植物も大方は枯れ果てた。

そして、自分ももうすぐ死ぬのか。

そう思うと、少年の心は、どこまでも重く深く沈みこんだ。

死ぬことが怖いわけではない、ただ、誰に気付かれることも無くこのまま、飢えて死んでゆくと考えた時、例えようもない寂しさと寒さに襲われて少年はぶるぶると震えた。

少年は、かつて、町の中心部であった場所へ向かった。

そこに行けば、誰かが少しで良い、空腹を満たせるものを残していったかもしれない。

何とか生き延びて自分を港まで導いてくれた名も無き屍たちの思いに答えることは出来ない。

絶望という名の恐怖がとぼとぼと歩く少年の肩に重く圧し掛かって生きる勇気をそいでゆく

その時であった。どこからともなく少年の足下に一匹の子犬が駆け寄ってきて足下にじゃれついた。

子犬は少年の右足のすねのところに前足をかけて、ワンワンと二度ほど吠えて首を少し傾けた。

ああ神様、この町に、まだ生きているものがいました。

少年の中のどこかに生きる勇気が、少しではあるが、目覚めた気がした。

同時に、空腹を覚えた。

子犬を抱き上げた。

白い子犬であった。

子犬を食料にするとしばらくは生き続けることが出来る。

少年は一瞬、そう考えた。


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