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銀色の帆  作者: 屯田水鏡
3/11

暗黒

二 暗黒

町は暗黒の世界と化した。

一時的なものであろうと、当初はだれもがそう思って、あまり深く気に留めなかった。

ある人には、空一面を分厚い真っ黒な雲が瞬く間に包み込み、覆い隠したかに見えた。

また、ある人には、太陽が自ら輝くことをやめて、消え去ったように見えた。

また、ある人には青空がただ単にしかも急速に、例えば化学反応のようなものによって、その光を失ったように見えた。

見る人、見る場所によってその見え方は一通りではなかった。

人は恐らく、誰もが、自分の目に映る映像が、唯一無二のものであると感じる。

しかし、それは勝手な思い込みである場合が殆どなのだと、やがて気付く。

人はその内なる深遠な、言い換えれば、全くいい加減な感覚に左右されることが十中八九なのであることは、多くの人が感じたことがあるだろう。

我々はそれを受け入れなければならない、偏見と独断は自分の評価を傷つけるだけではなく、正当な意見を述べている善良な他者を貶めることになることに多くの常識人はなかなか気付かない。

夫々の目に映る同一の物体の画像は各人の思想やその人が育った環境のありようによって、また、その人物の生き方や考え方によって、更には、その時の楽しい、悲しい、苦しい、妬ましいと言った心理状態によって大きく左右されるのである。

日蝕なのか?否、そうではない、日食ならば、人々はずっと以前から知らされていて、起こりうる現象は、誰もが予想出来て、その対応策を事前に練ることも可能であったはずである。

では、なぜ暗黒の状態が長い間続くこの事態が予測できなかったのか。

その原因は何なのか、そしていつまで続くのか、誰にもその謎は解けなかった。

前兆はあまりにも微々たるものであった、いや、前兆と言えるものであったのかどうかも疑わしい。

人々は、生まれて初めて経験する不可思議な気味悪い現象に、どう対処したものかと思い惑い、今更ながら空を見上げた。

そこには、相変わらず、邪悪な匂いのする暗黒が強い力で地上の何もかも全てを吸い込むブラックホールのように不気味な暗黒が広がっているばかりであった。

大抵の人が、明るさはそのうち戻ってくると信じて疑わなかった。

今までの経験からこの暗闇がそんなに長く続くとは考えられないからであった。

しかし、人々の希望的憶測は残念ながら完全に裏切られた。

一日たっても、二日たっても、一向に暗闇の世界から抜け出す気配は現れなかった。

その状況に、人々は少しずつ不安を覚え始めた。

暗闇というものは人を必要以上に不安に駆り立て、更に、その原因が分からないときは、恐怖を感じるものらしい。

暗闇は人間の営みに必要なものなのかもしれない。

眠るため、休むため、疲れや体力を回復するためには静寂さや夜の訪れは必要なのであろう。

夜と昼が交互に訪れることが、人間にとって、生きるためのほどよいバランスとなっているように思える。

ならば、人は、暗闇ばかりが続く環境に順応できるのであろうか?

いや、暗闇の生活が長く続いたとき、人は心と体のバランスを失って、不安や焦燥感に苦しめられるのではないだろうか。

まして、その原因の情報が伝達されないとき、人は恐怖を覚えるに違いない。

長々と続く暗闇の息苦しさに耐えられなくなった人々は、町役場の窓口に出向いて尋ねた。

「おい、どうなっているのだ。何日も暗い日々が続いているではないか。その理由は何だ。そして、この事態に町はどの様な手を打っているのだ、住民に分かるように説明しろ」

ところが、期待に反して町の職員の反応は曖昧であった。

「さあ」

「さあ、とは何ごとだ、お前は我々が負担する税金で食っているのだぞ。それならば市民の質問に誠実に答える義務があるはずだ。それなのに町民の質問に対するお前のその態度は何だ。お前では話にならない、町長を呼べ」

また、ある人達は気象台に出かけて原因を問い合わせた。

「これは何かの気象現象に違いない。この原因は、一体何なのだ」

だが、気象観測官からは、納得のいく説明が受けられずに、係官と口論をするしかなかった。

また、自分の心当たりの者を探しては手当たり次第に訪ね、あるいは電話をかけて、理由を尋ねたが、その疑問に明快に答えることのできる者は誰一人として現れなかった。

この怪現象に怯えた人々は、次第に常軌を逸した行動をとるようになった。

仕事を投げ出して、先を争って家路を急ぐ人達で溢れ、交通機関は渋滞を引き起こして麻痺した。

家族へ自分の無事を伝え、また、家族の安否を尋ねる為、人々は電話ボックスに殺到した。

勿論、携帯電話などというものはまだ実用化される以前の出来事である。

屋外で使う電話は全て電話ボックスかあるいは店舗等に設置されたものだけであった。

安否を知らせようとする人、安否を問い合わせる人たちの列が電話ボックスの前から長く伸び、その順番を争って互いに罵りあってあちこちで喧嘩が始まった。

電話回線はすべて話し中で、その他の通信回線も殺到する通信量を捌ききれずに混乱を引き起こして麻痺してしまい、しかも、回線の回復は何時になるか分からず、人々の苛立ちは募った。

気象の専門家達は首をひねって、ただ、空を見上げておろおろと歩き回り、手をこまねいているばかりであった。

気象台のレーダーには、この暗黒の原因となるものは何一つ写ってはいなかったのである。

つまり、気象台に設置された全ての機器が示す、どの情報も、空は雲一つ無い快晴だと指し示していたのである。

一体、これはどうしたことなのだと科学者は皆一様に首をひねった。

いつもであったら、誰かがすぐにその原因を調べて、時を置かず、様々な通信手段や機関を通じて情報の伝達をするのが通常のことであった。

然るに、何日経っても、依然として空は理由の解らない暗黒に覆われていた。

しかも、いつまで経っても、ことの原因となる何らの説明も今後の見通しも一切行われず、人々の忍耐はとうに限界を超えていた。

長い間、豊かで何一つ不自由のない、平和な時代を生きてきた人々にとって、それは我慢のならないことであった。

平和や豊かさは誰かが与えてくれるものだと、だれもが思っていた。

不平不満をまくし立てれば誰かがやってくれるものだという考えが蔓延していた。

自分自身の責任でつかみ取るものだという考えはもはや存在しなくなっていた。

人々は責任者の処罰を口々に叫んだ。

「この際、誰でも良い、誰かに責任を取らせなければ、収まりがつかない」

そう考えた町長は役場の職員の何人かを選んで、免職などの処分を行った。町長は、こう言って彼等を納得させた。

「すまない、君達の所為ではない。だが、この事態の収拾を図るためには、然るべき誰かが先ず責任を取ってくれなければならない。勿論、この私にも責任がある。しかし、私には、事態を治めなければならないという務めがある。その仕事の成果が上がり、結果が出るまで、私は辞任するわけにはいかないのだ。諸君にも当然の事ながらその辺の事情は分かっているはずである。そうだろう?君」

町長は急にその中の一人を指さして語気を荒めた。

指さされた職員は驚いた様子で立ちすくみ、仕方なく頷いた。

町長はその様子を見て満足げに目を閉じながら首をゆっくり縦に振り、自分が正しいことを述べているということを皆が信じてくれているという事実を確かめ、自分自身を勇気づけ、その確信を得るため、さらに、話を続けた。

「しかし、そうはいってもこの際、誰かが責任をとる必要があるのだ。それでなでければ町民は納得しない。そこで、当面、君達が責任を取ってくれないか。悪いようにはしない、分かってくれ。これは、私だけの意見ではない。みんなの意見であり、希望なのだよ。たのむ、この通りだ。勿論、今後のことについては、悪いようには決してしない、分かってくれたね」

そう言って、市長は、深々と頭を下げた。

むろん、責任をとる候補者には、気が優しく、従順な者を選んだ。

彼等は、釈然としないまま、仕方なく町長の命令に従った。

しかし、当然のことながら、それで、事態が好転するはずはなかった。

町の職員は、従順で仕事を誠実に執行する職員の大半が身に覚えのない責任を背負わされて辞職して去っていった。

町長に媚びへつらうものと、彼の言うことを無視し続けてガンとして反抗するものだけが残った。

いつまでも続く暗闇の中の生活に、人々の心は不安と苛立ちで次第に蝕まれていった。

暗黒は、想像以上に人の心を恐怖で満たし、恐怖は、妄想を生み、妄想は悪魔の囁きとなって、人は猜疑心や妬み、憎悪と裏切りに支配されるのだろうか。

平和時には、物分かりのよい柔和で穏やかな人望厚い人達の仮面は、一瞬のうちに剥がれ落ち、むきだしの感情と憎悪を顕わにした。

利己主義に満ち、自己防衛本能という鎧をしっかりとまとった真実の姿を現し始めた。

蝕まれたのは人の心だけではなかった。

柔らかな太陽光をふんだんに浴び、潤沢な水や肥料を与えられて管理され、育てられてきた野菜や果物や穀物は、太陽光を分厚い暗黒に遮られて、瑞々しい緑の葉や茎は徐々に萎れて、その根本は、異常な数の害虫に取り憑かれ、蠢く虫は植物の幹や根を食い尽くした。

物言わぬ植物の断末魔の叫びが、暗闇の中に響き渡り、地鳴りのように聞こえた。

それは、害虫に侵されて、ついには枯れて倒壊する樹木の音であった。

街路樹や、丘の上の林までも、町の植物はその殆どが枯れ果ててしまったのである。そして、植物が枯れ果てると、今度は、餌の無くなった動物が死に始めた。

店舗棚から食料品が消え、町の備蓄食料は底をつき始めた。

この町は、ある大きな河の河口付近にできた三角州の上に位置していたため、町外との行き来はすべて船に頼っていた。

悪魔の来襲ともいえる暗黒の日となって以来、外からの肉や穀物や野菜等、食料の入荷が途絶えた。

町の人々は、慌てて船を仕立て、食物を仕入れに船出した。

だが、食料を満載にして帰ってくるはずの船は、どう言う訳か、何日たっても帰って来なかった。

食料を確保するため、すぐにまた、別の船が出港したが、その船も帰ってこなかった。

何度も船は出ていったが、船は、ただの一隻も帰港することはなかった。

人々は不安と恐怖に怯えた。

にもかかわらず、何時まで経っても、この差し迫った事態の原因究明ははかどらず、しかも、町の責任者は何時まで待っても経過説明をすることを怠った。

人々のいらいらはいやが上にも募り、不安が不安を呼び、恐怖は恐怖を呼んで大きく膨らみ、やがて、苛立ちは、根深い猜疑心となって人々の間に広がり、それらは流言やデマとなって飛び交った。

いつしか、人々は互いに憎しみあうようになっていた。

人々は食物をあさったが、当然、食べるものは何もなかった。

町の家畜は、いつの間にか、姿を消した。

野良犬も、いや、ペットである犬や猫の姿もいつしか見えなくなった。

人間さえもその姿を消していった。人々は枯れ木を食べ始めた。

食べられるものはすべて食べ尽くした。

町は、略奪や強盗殺人が横行した。

それでも食料は手に入らない。

人々は、今や絶望の淵にあった。

「おお、神よ」

絶望のあまり、男は叫んで天に唾をした。そして、自ら銃で頭を撃ち抜いた。倒れた男の屍に飢えた人々が群がった。

弱く心優しい人達は暗黒の日々に耐えきれず、精神に異常をきたして自らの命を絶った。

この暗黒の責任を誰かの所為にすることも、他人から奪うことも、他人を責めることも出来ず、責任の矛先を自分自身に向けることしかできなかった悲しい末路であった。

ついに、町長は、町からの脱出命令を出した。

人々は、先を争って、船に乗り込んだ。

船は、人々を満載して、次々と出港した。


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