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銀色の帆  作者: 屯田水鏡
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銀色の帆

十 銀色の帆


娘からの長い手紙を読み終えた時、年老いた夫婦は、落ち着かない様子で、周りを見渡した。

しかし娘がすぐ近くまで来ているという兆しは何も感じなかった。

「母さん、あの娘はいまどこにいるのだろう。本当に帰ってくるのだろうか」

「あなた、何を気の弱いことをいっているのですか。そんなに慌てないで、私たちは、あの娘が戻って来るのを、もう何年も待っているのよ。長い間耐えて、待ち続けているのよ。あと少し待つぐらい、何ともないじゃないの。あなたったら、おやつを待ちきれない子どもみたいね、しっかりして下さいな」

「そうだね、母さん、今まで待ったのだ。あの子がもうじき帰ってくる、あの子を信じて待とう」

二人は互いの体を支え、相手を愛おしむように助け合って立ち上がった。

二人が家の入り口のドアに手をかけた時、妻は何かの声を聞いた気がして後ろを振り返った。

そして、玄関ドアを開けて家の中に入ろうとした夫の背中を、妻は悲鳴を上げて、力一杯叩いた。

「どうしたのだ、痛いじゃないか、母さん」

「あなた、あれを見て」

妻は東方の空を震える声でゆびさした。

連なる山々の中腹近くにあるこの家からはどこまでも遠くを見渡すことが出来た。

連なる山々と林、そして、眼下には緑の平野が広がっていた。

更に、その向こうには、果てしなく続く青い海原が見渡せた。

その海原の青い水平線の向うから白いマストがゆっくりと姿を現したのである。

まるで冬の厳しい寒さに長い間耐え忍んで、春の訪れを心待ちにしていた、ツクシの芽がようやく時を得て急速に芽吹くように。

風をいっぱいに孕んだ帆が、水平線の向こうからゆっくり上って来るのが分かった。

やがて、水平線の彼方から、ピカピカに磨いた鏡のような朝日が昇り始めた。

その時、年老いた父と母は、青く輝く蒼穹が見る見る希望の光に輝きはじめるのを見ていた。

そこから美しい歌声が古の昔から時空を超えて聞こえて来るように響いた。

その、心に染みるような懐かしい旋律は、悲しみと苦しみと絶望の中で毎日祈り続けた、彼らに対する神の祝福の声のようであった。

天からか、山の上からか、海の深みからか、地の底からか、それとも、彼らの内なる深淵からか、妙なる鐘の音が響くように聞こえて来る気がしたのである。

それは、単なる風の音であったのかも知れない。

あるいは、森の中で木こりたちが斧を振るっている音なのかもしれない。

あるいは、近くのポプラ並木を渡る風の音であったのかも知れない。

だが二人には、神の福音に聞こえたのである。

「ああ、母さん」

「あなた、私たちのあの娘が帰ってくる」

「わしらは、一度は神を恨んだ。しかし、私たちの祈りは通じていたのだ、母さん」

遥かな海の向こうに白い船の姿が見えた。

白い羽を広げた鶴の形をした見事な帆船であった。

空と海の間をまるで滑るようになめらかなスピードで風に乗ってこちらへ向かって真っすぐにやって来ている。

まさに、金色こんじきの眩い光の中を純白の船体に神の翼のように輝く「銀色の帆」をいっぱいに広げて、孕めるだけの風を包んで山の麓の港に向かって、まっしぐらに進んでいた。


                         完


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