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銀色の帆  作者: 屯田水鏡
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災害について

                    

 未曽有の悲劇的災害が発生する際には、必ず、それなりの気配があって、注意深く観察すれば、その兆候を、事前に観測できると、あなたは考えてはいないだろうか。

 例えば普段とは少し異なる空の色、雲の流れ、山々の様子、木々のざわめき、海鳴り、あるいは昆虫や哺乳動物の異常な行動等々、因果関係を窺わせる自然現象や予感めいたものが現れるのではないか、否、きっとだれもが感じ取ることの出来るもっと明確な前兆が知覚され、目撃されるに違いないと、全ての人が、いや、全てとは言わないまでも、人々の殆どが考えているのではないだろうか。

 大空を鋭く切り裂く電光と雷鳴の轟き、大地を揺るがす鳴山と空を覆わんばかりの火山の噴煙など、海や空や大地の怒りの声が聞き取れ、その現象が現れるのだと勝手に思ってはいないだろうか。

だが、そんなものは何一つ無い。 

 もしもあると信じているならば、それは大きな錯覚であり、大変な思い違いである。

 それは、過去の経験に照らしてみても明らかである、人は好い加減に、悲劇はあらかじめ察知できるという何の根拠もない幻想から解き放たれるべきである。

「いや、そんなはずはない、現に、人間の五感が感じる以前に、昆虫や小動物、あるいは哺乳類の類は感じ取ることが出来る、それを注意深く観察し分析すれば、何らかの手掛かりが得られるのではないか」

 そんなことを主張する人々がいる。だが、それは人間が感じる数分、あるいは数十秒前にすぎない。

 小動物が人間に比べて少しばかり感覚が敏感であるだけに過ぎない。

 人類が今までに経験した悲劇で、どんな兆しが感知され、観察されたのであろうか。

 大きな悲劇的災害や事件の時を思い出して見るが良い。それらしい前兆が何処に会ったであろう、確かに、あとで思うと、ああ、あれがそうであったのかと思いつくことがあったとしても、事前にはとても気付かないサイン、人間には感じられない、もしかしたら、神にすら知覚することが難しい微弱な警告でしかなかったに違いない。

 何れにしろ、災害の兆しを事前に知覚したという事実は聞いたことが無い。

学者やその道の専門家といわれる人たちの怠慢のせいなのであろうか、勿論そうであろう。それとも事前の準備を怠った政府の責任なのであろうか、勿論そうである。彼等は大きな災害があるといつも決まって言う。

「この被害は想定外の事であった。この災害は数百年に一度しか発生しない未曾有のものである」

 災害は、時として続けて発生することがある、では、数百年に一度の災害が二年続けてなぜ発生したのかと問うと、

「第一回目の災害は数百年の最後の年に発生したものであって第二回目に発生した翌年の災害は次の数百年の最初の年に発生したものなのだ」

 といった弁明などは笑止と言う他無い。まして、想定外という言い訳を持ち出すことは卑怯極まりない言い逃れでしかない。

「科学技術の進歩という、人間の英知が、災害を事前予知し、しかも、それを回避する手段を獲得する日はそう遠くない」

 などと言った虚言を信じてはいけない。

 自然現象の発生を前もって予測することは有史以来、為政者にとって永遠の命題であった。

 しかし、世界のどの国の歴史を紐解いても過去一度としてその予測が的を射て功を奏したという記述はない。

 甚大な被害を前にして、人間の思い上がりを戒める神の御手によるものだと言って諦めるしかないのであろうか、だが、そんな神は必要ない。

 人類は自分たちが作り上げた世の中の景気の動向さえ予測できないのである。

 過去、多くの経済評論家が、

「景気はますます上向くであろう」

 と予言した途端に景気は低迷してしぼみ、果てには恐慌となったことは何度もある。

 人間の作り出したシステムでさえその当事者である人間の思い通りにはならず、どうにも制御できないのが常である。

 まして、自然現象が予測不可能なことは推して知るべし、なのである。

 つまり、事前に災害を予測して的確な予防対策を練ることは至難の業なのであって、自然を制御できるなどという思いあがりは悲劇を増幅する、いや、災害の拡大を人間の思い上がりの結果であるとすれば、その被害にあった罪もない心優しき魂の悲しみはあまりにも深い。

人は悲劇に遭遇した時には逃げることしかできない。そして、恐らくその方法が最善なのであろう。

 時として発生する悲劇は、或は自然に敬意を払わない人々に対する神の啓示であるのかもしれない。

 ならば人は自然の大きくて残酷な力の前に全く無力なのであろうか。あるいはそうなのかもしれない。

 だが、人には希望がある。だからどんな状況下でも生きていける。

 例えば、嵐の中で、どこかの物陰で微かに灯された蝋燭の火のように、弱弱しい命の灯であっても、希望があれば生きていける。

 この話の中で、けなげに生きて行こうとする小さな命の輝きを話したいと思う。

 優しさも勇気も誠実な心も持ち合わせていない私が、自分にはとても出来ない、そういった生き方をする一人の少年のことを何となく話してみたいと言ったならば不遜であろうか・・・。


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