Act. 11-7
<<<< 朽木side >>>>
まったく……どれだけアホなんだ。聞いちゃいられない。
「体を売るとか、そういった仕事に決まってるだろ。アンタはここまで親身になってくれてる拝島を、たった百万のためにこんな連中に売るのか?」
睨み付けると、青ざめた顔で「う……」とたじろぐ拝島の友人。
その様子は、仕事の内容がどんなものか想像がついた上で拝島に頼み込んだことを示していた。
「自分の身のために友人を犠牲にするか……。いい友達を持ってるな、拝島」
「北村……。そうなのか……?」
「お……俺……。違うんだ拝島、俺…………だ、だめだ。最低だ俺っ」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ! 来るのか、来ねぇのか、どっちなんだ!」
「拝島。そんな奴は放っといて、俺と一緒に帰るんだ。関わり合いにならない方がいい」
北村という男を鋭く一瞥し、拝島に手を差し伸べる。しかし拝島は動かない。
「ありがとう朽木。……でも北村は俺の友達なんだ。放っとけないんだよ」
「友達? こいつが? 裏切られて傷付くだけだぞ!」
偽善者ぶるのもいい加減にしろ!
あまりの愚かさに腹が立ち、自分のことを棚にあげて叫んでいた。しかし。
「傷付かないから友達でいるんじゃないんだ! 関係ないよ、そんなの!」
力強い叫びが、暗い路地を駆け抜け、俺は声を失った。
拝島の目には寸分の迷いもなく、俺の言葉に怒ってさえいたのだ。
「朽木。今はちょっと余裕なくしてるけど、北村は本当は優しくていいヤツなんだ。捨て猫も見捨てられないような奴なんだよ。弱いけど……なんでも抱え込んじゃところは、確かに弱いけど、いい奴なんだよ」
「拝島……。猫…………って小学生だった時の話じゃないか。あんなの覚えて……」
「覚えてるよ。猫の傍で一晩中泣いてた北村。大人たちがみんな北村を探して大変な騒ぎになったよね、あの時は。いつもそうだった。お前は優しすぎるから、色々と断りきれなくて借金することになったんだろうな、ってなんとなく想像ついたよ。でも北村。優しいだけじゃダメなんだ。もっと強くならなきゃ」
泣きそうな顔で言葉を詰まらせる友人の肩を叩き、励ます拝島。
何故そんなことが言えるのだろう。自分を利用しようとした男を、何故友達だと言い切れるのだろう。
「ったく。面倒くせぇな。俺たちゃ金さえ手に入りゃいいんだよ。オトモダチならこいつの金、どうにかしてくれよ、兄ちゃん。まっとうな人間なら借りた金返すのは当然だよな?」
だが二人の友情など、取立人には関係ない。心底面倒くさそうに首を回しながら、リーダー格の男が一歩踏み込んできた。
この男、白いスーツがいかにもという感じだが、頭は悪くなさそうだ。ちゃんと損得勘定のできる人間だと俺は瞬時に判断した。
交渉してみるかと口を開く。だがその前に拝島が動いていた。
「今あるお金はこれだけです。これでとりあえずはもう少し待ってもらえますか?」
そう言って財布を取り出し、白スーツの男に差し出したのだ。しかし次の瞬間、その手を友人の男が掴んで止めた。
「拝島、ごめんっ! 俺、自分でなんとかすっから! マトモに働いて金返すから! だからこの金はしまってくれよっ。これ以上お前に迷惑かけたら、俺……っ」
「え……でも……」
「もらえるモンはもらっとけ、北村。これで一日くらいは待ってやるからよ。さっさと臓器でも売って金作ってくるんだな――」
その瞬間、俺の手は動いていた。
伸ばされた白スーツの男の手を横から掴む。
拝島の財布を奪い取ろうとした男は驚いた顔で俺を振り向いた。
「んだ、てめぇ……っ」
「北村とかいったな、アンタ。素早く答えろ。歳はいくつだ?」
白スーツの男の睨みは無視して拝島の友人に問いかける。
拝島の友人は一瞬びくっとすくみあがった後、かすれた声で答えた。
「じゅっ、十九です」
「親にはこのことは言ったか?」
「言ってません。心配かけると思って、まだ何も……」
「じゃあこの借金は無効だ」
「え?」
「てめぇっ! 余計なこと言うんじゃねぇっ!」
俺の言いたいことに気付き、殴りかかってくる男の腕を取り、足を払って転がす。その肘の関節を背中で固め、動けないように封じてから俺は言葉を続けた。
「未成年の場合はそもそも親の同意なしに借金することは禁止されている。親が一度でも金を払っていない場合は契約を取り消すことが可能だ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、本当だ。財務事務所とか、そういう処理を行ってくれる機関があるから、そこに行って苦情申し立てをするんだな」
ちらりと横目で拝島とその友人を見る。
「借金をチャラにする方法があるんだ! 良かったな北村!」
拝島は友人の肩を叩いて喜んでいる。揺さぶられて初めて男の目に実感の涙が浮かんだ。
「俺……。俺……。拝島。本当にごめん。心配かけて、ごめんな……」
「おいっ! そう簡単にチャラにできるとでも」
「思ってるさ。彼の懐にあるブツを警察に持っていかれるのとどっちがいい?」
俺の足元で喚く男の腕をぎりっと締め上げ、耳元で脅しの言葉を囁く。
「……てめっ」
「彼の懐のアレは俺が預かる。きちんと契約が破棄されるまでな。今後一切彼とその家族、知人には手を出さないことを約束しろ。面倒な話になるのはアンタも御免だろ?」
最後の言葉に男はぴくっと反応した。
値踏みするかのように俺の顔をじっと覗きこむ。
と、急に男の顔色が変わった。
「お、お前……っ! 冬也か!?」
「ん? 俺の名を知ってるのか? この近辺に知り合いはいないと思ってたが……」
「直接アンタとやりあったことはないからな。だが危険なガキだってことでこの界隈じゃ有名だよ。……チッ。アンタとやるとめんどくせぇことになりそうだからな。今回は引いてやるよ」
どうやら俺の中学時代を知ってる奴らしい。
俺に手を出せば黙っていない連中がいることもよく分かっている。
「話の解る奴で助かった。ナイフを抜いてる後ろの二人にも言っといてくれ。今夜は引き上げだってな」
「……チッ。やっぱガキ相手の仕事はつまんねぇな。ろくなコトになりゃしねぇ」
腕を放してやると、男は立ち上がり、つまらなそうな顔で路地の入り口に戻っていった。
もともと気乗りのしない仕事だったのだろう。引き際が拍子抜けなほどあっさりしている。
ともかく、俺達三人の危機はこうして去った。俺にとっては大した危機ではなかったが。
しかし、この事件は俺の心境に大きな変化をもたらしたものとして、俺の記憶に焼きつくことになった。それを自覚したのはこの後だ。
「朽木……ありがとう。凄いんだな、朽木って」
忘れもしない。男達が去り、ほっと息をついたところで、拝島が礼を言い、俺の手をぎゅっと握ったあの瞬間。
「……それほどでも」
ぶっきらぼうに答えてしまったのは照れたからではない。
拝島との僅かな触れ合いに、胸が一瞬高鳴った事実に戸惑いを覚えたからだ。
その後、何度も礼を言ってくる拝島とその友人に背を向け、俺は生まれて初めて芽生えた感情から逃げるかのように家路を急いだ。
その感情が何なのか、この時はまだはっきりとは分からなかった。
だが、拝島の傍にいたいと朧げに思い始めたのは、これがきっかけだったのは間違いない。
ただの獲物だった筈の男は、これ以降さして時間もかからず、俺にとってなくてはならない存在となったのだ。
自分を裏切ろうとした友人をも、簡単に許してしまえる拝島。
そんな友人のために、自分の大事なものを惜しげもなく差し出せる拝島。
何故――それほど優しくなれるのだろう。
こいつの傍にいれば、俺もなれるだろうか。
優しい人間に。父と母を許せる人間に。
弱かった自分を許せる人間になれるだろうか――――
その一ヵ月後。
俺は実に数年ぶりの帰省を果たし、号泣するサエさんに抱きつかれることとなったのだ。
未成年にお金を貸してくれるというところはロクなところではありません。
皆さんも気をつけてね!
次回は水曜日に更新します。