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Act. 10-4

<<<< 朽木side >>>>

 

「は?」

 

 なに?

 

 思わず目を見開いてグリコの横顔を見る。

 

 今の――――普通の女のような泣き声は――――

 

 驚きのあまり手を緩めてしまう。途端、グリコの顔がさぁっと朱色に染まった。

 

「ばっ、ばっきゃろぉぉぉ!!」

 

 そして次の瞬間、強烈な肘打ちがやってきた。油断していた俺はそれをもろに食らい、

 

「ぐっ!」

 

 鳩尾を押さえ、うずくまるはめになったのだ。

 

 なんだ? 何が起こったんだ?

 

 状況が掴めない俺に向かって、次にグリコがしたことは、枕を叩きつけるという伝統的な反撃だった。

 

「このばかっ! 変態っ! なにすんだホモ野郎ぉぉぉっ!!」

 

 いつのまにベッドを降りたのか。床に立ち、振りかぶるグリコの攻撃を、俺は堪らず腕でガードした。

 

 視界が枕で遮られ、ぼふっという音とグリコの怒声が耳に響く。腕にかかる負担は足に伝わり、忘れていた痛みを呼び起こした。

 

「まっ、待てグリコ! そもそもお前が……」

 

「もう謝ったじゃん! それをいつまでもネチネチとネチネチと……この根暗ゲイ! こういうのは拝島さんとやれ!」

 

 ね……根暗ゲイ!?

 

 何故俺がそこまで罵られなきゃいけないんだ!

 

「自分が先に犯罪すれすれの事をやっておいていい度胸だな! さっきの声、しっかりと録音しておいたから、どうなるかわかって」

 

「鬼畜退散――――っ!!」

 

 ばこんっ!

 

 なっ。

 

 言葉が遮られる。息が詰まった。信じられん。

 

 強烈な一撃が俺の顔に直撃し、俺の時間を止めてしまったのだ。

 

 更にグリコは俺が怯んだ瞬間を見逃さなかった。俺の手からボイスレコーダーを奪い取り、

 

「脅しには脅しで応えちゃる! 目に物みせてくれぇぇ――ん!!」

 

 ターボでも付いてるかと思うような素早さで部屋を走り出ていく。

 

 俺は震撼した。聞き捨てならない台詞に。

 

 あいつはやると言ったらやる。どんな恐ろしいことが待ち受けているのか想像もつかない。

 

「こら待てグリコっ!」

 

 ベッドから降り、痛む足を引き摺りつつ後を追いかけた。

 

 一体何をする気なんだ!?

 

 速度は捻挫というハンデを負っている俺のほうが断然遅い。

 

 リビングに到達した時にはもう、バタンと扉を閉める音が玄関に続く廊下から響き、俺の不安を増大させた。

 

 重い玄関の扉の音ではない。

 

「どこだ!?」

 

 急いで駆けつけ、グリコの姿を探す。

 

 廊下に設置された扉はふたつある。ひとつは浴室に続く脱衣場。もうひとつは個室のトイレ。

 

「ここだー!」

 

 声が響いたのはトイレの扉の向こうだった。何故そんなところに!?

 

 扉を開けようとしたが、予想通り中から鍵がかかっている。

 

「こらっ! 出て来い!」

 

「全力で断るっ! あたしに嫌がらせした罪は重いよ、朽木さんっ! 今からこのトイレを破壊してやるもんねっ!」

 

 破壊だとっ!?

 

 戦慄せずにはいられなかった。

 

 トイレを壊されたら、用を足すために、わざわざ外出せねばならないことになる。

 

 この俺が、トイレを借りに、近所の店に駆け込むなど…………できるわけがない。

 

「ちょっと待て! 落ち着けグリコ! 大体どうやって破壊する気だ!? ハンマーでもなければ無理だろう!」

 

「……パイプを折り曲げて、水を流れなくしちゃおっかな〜♪」

 

 とんでもないことをさらりと言う。

 

 女の力でそう簡単に折れるわけがないとは分かっていても、こいつならなんとかしそうなところが怖い。

 

「分かった! もうセクハラはしない! これでいいだろう?」

 

「ダメ。絶対に許さん! やられたら倍にしてやり返すのがあたしの主義だ!」

 

 蹴られたりどつかれたりは平気なくせに、セクハラは駄目とは融通のきかない奴だ。

 

 俺は考えた。なんとかしてグリコを引き摺りだす方法はないものかと。

 

 壊すのは不可能だとしても、このままトイレに篭城されっぱなしも困る。非常に困る。

 

「……どうしても壊したいのか?」

 

「一度、何か思いっきり壊してみたかったんだよね〜」

 

「じゃあ勝手にしろ。せっかくカレーを作ってやったのに。そんな恩知らずにくれてやる義理はないな」

 

 試しに冷たく切り捨ててみると。

 

「えっ。カレー?」

 

 ヤツの興味を少し引いたようだ。興奮気味だった声が少し弱まる。

 

 食べ物に釣られるとは単純な奴め。

 

 俺は更に効果を上げるべく言葉をたたみかけた。

 

「考え直すなら今のうちだぞ。スパイスをたっぷり加えた俺の特製カレーは絶品なんだがな」

 

「うっ……」

 

「残念だったな。お前はゆっくりそこで無駄な労力でも費やしてろ」

 

「ううっ」

 

 迷っている様子が扉越しに伝わってくる。

 

 あと一押しだ。

 

 俺は扉に背を向けて言った。

 

「ったく、どこぞのストーカーのおかげで汗だくだ。シャワーでも浴びてから食事にするか」

 

「えっ」

 

 ゆっくりとその場を去り、隣の脱衣場に移動する。扉を閉め、一分ほど待ってから浴室に入り、シャワーのコックを捻る。

 

 シャァァ――――

 

 流水音と、水が床を叩く音が響く中、脱衣場の扉の端、蝶番側に立って息を潜めた俺は、獲物がやってくるのを静かに待った。

 

 ほどなくして、隣のトイレから物音が聞こえてくる。

 

 まず慎重に鍵を開け、足音を忍ばせながらこちらに移動してくる様子はこそ泥以外の何者でもない。

 

 ギィ――

 

 俺の目の前で扉が開き、そろそろと中を覗き込むバカが、とうとう一歩足を踏み入れた。

 

 瞬間、俺は扉の影からバカの腕を掴み、一気に引きずり込んだ。

 

「捕まえたぞ!」

 

「むぎゃーっ! ずるいーっ!」

 

 必死に抵抗するグリコに足払いをかけ、床に転がした後、素早く両手を捻りあげる。

 

「ずるいもクソもあるか! このストーカー!」

 

「騙すにしてもせめてセミヌード〜〜」

 

「やかましい! 素っ裸にして氷風呂に突っ込むぞ!」

 

 この期に及んでもまだ己の欲を主張する変態女の顔を足で踏みつけると、

 

「あだだっ! すみませんでした。氷風呂はカンベンしてください」

 

 ようやく反省の色を見せだした。同時に抵抗も止む。

  

 俺は息をひとつつき、油断なくグリコの手を取ったまま床に座り込んだ。

  

 こいつはこれほど凶暴なくせに、手首の細さは、やはり女のそれだ。しかもどちらかというと華奢な方だろう。

 

 つい力で捻じ伏せ、セクハラ行為でお灸を据えてしまったが、それはやりすぎだったかもしれないと思えてくるのは、あまりにこいつが子供っぽいからだろうか。

 

 少年のようでありつつも、やはりこいつは女なのだ。怖がらせた――のかもしれない。

 

 

 もしかしたらこいつは――――

 

 

「朽木さん、あたしお腹すいたー」

 

「……どれだけ面の皮が厚いんだお前は。食べさせてもらえるとでも思ってるのか?」

 

「もう充分反省したからカレーちょうだい」

 

「…………。本当に呆れた奴だよ」

 

 俺はため息を落とした。まったくこいつは。

 

 白い床の上に転がされたままの状態で、小動物のように丸っこい目を瞬かせ、頭上の俺を見上げている。

 

 こういう姿は可愛いと言えなくもないんだが――

 

 って、いやいやいや。何を考えてるんだ俺は!

 

 今一瞬、父親の気持ちになりかけた。危険だ。こいつのとんでもない言動に慣らされてきている。

 

「今回だけは許してやるからさっさと起きろ! 食べたら掃除の続きをしろよ!」

 

 言いながら手を緩めてやると、すぐさま身を起こすグリコ。顔には満面のいつもの笑み。

 

 どうかしている。

 

「うん、分かった! だからカレー大盛りで頼むね、朽木さん♪」

 

 まったく遠慮のない楽しげな口調で敬礼ポーズ。

 

 俺も立ち上がり、拳骨で「調子に乗るな」と軽く頭を小突いてやった。

 

 本当にどうかしている。

 

 こいつのそんな顔を見てホッとするなど。

 

 こんなやり取りが楽しいと思うなど――――

 

 

 

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