Act. 10-2
<<<< 朽木side >>>>
「だって、ずっと欲しかったんだもん。そんなに怒んないでよ朽木さぁ〜ん」
頭を擦りながら謝ってくるグリコの目はさすがに涙目だった。
「もういい。とっとと帰れ」
俺は首で玄関を示し、ぶすっとして言った。
「そんな冷たいこと言わないでさ〜。今、冬コミ用の原稿書いてるもんで、デッサンの参考にしたかったのよ」
「じゃあ最初から俺んちに来るとか言わずにそっちを優先すりゃいいじゃないか。口約束ほど始末の悪いものはないぞ」
「いやホント、今日は真面目に朽木さんちの雑用やったげるのが最優先だったんだよ? 本屋を通りがかったらつい我慢できなくなっちゃっただけで」
忍耐力の問題じゃない。「つい」で六時間待たせる人間がどこにいる?
「人として最低だお前は!」
俺は怒りのあまりへこんでしまった雑誌をグリコに投げつけながら吐き捨てた。
くそっ。なんで俺がこんな女に振り回されなきゃいけないんだ!
怪我を負わせた罪滅ぼしじゃなかったのか? 同人誌探しの方が大事だと?
所詮、腐女子に人並みの常識やいじらしさを求めたのが間違いだった。こいつが俺を好きなどということは天地がひっくり返ってもあり得ない。万が一あり得たとしても絶対に優しくなどしてやるものか!
「ちゃんとお掃除くらいはするからさ。とりあえず今は怒りを鎮めて、これでも一緒に観ようよ」
俺の服の裾を引っ張りながら、グリコは潤んだ瞳で俺を見上げて言った。潤んでるのは投げつけた雑誌が第一打と同じ箇所を直撃したからだが。
「なんだ? DVDか? BLだったらしばくぞ」
先手をひとつ打っておいてブラウン管に目を向ける。さっきからDVDプレイヤーになにやらガサゴソやってたので、「これ」と言うのがDVDであることは容易に察しがついた。
「BL差別はんたーい。ほらほら見てこのジャケ。なんか、拝島さんっぽくない?」
しばくと言ってるのに堂々と再生ボタンを押すこいつの神経はどうなってるんだ。
グリコが寄越す箱に目をやり、ため息を吐きだした。
「二次元と三次元じゃ全く違う。髪型が似てるだけでこんなのは拝島じゃない」
「そう? 同じ天然受けキャラだし言葉遣いも結構似てるよ」
ジャケットを飾るアニメ画の男は中性的で線が細すぎ、とても拝島には見えなかった。辛うじて柔和な雰囲気が共通している、ぐらいにしか思えない。
そもそも俺は、現実の人間を漫画化したものが好きじゃない。どう贔屓目に見ても別人だからだ。
「残念ながら攻めは朽木さんと似てないけどさ。こっちの受けキャラ、声も少し拝島さんと似てるんだよ」
画面にグリコの言うキャラが映った。グリコはリモコンをいじり、サーチしながらストーリーを解説してくれるが、全く興味のない俺は全面的に聞き流した。
そんなことより、俺としてはそろそろ夕食の準備に取り掛かりたいのだ。適当に掃除でも何でもして、とっととこの腐女子には帰ってほしい。
と、
『毛利さん! 一緒に帰りませんか?』
画面から聞こえる声の響きに俺は驚いて振り返った。
今の声――確かに拝島の声と似ている。
「ね? 似てるっしょ?」
つい画面を食い入るように見つめていると、横からグリコに言われ、ハッと我に返る。悪戯な笑みを浮かべた悪魔の申し子と視線が合う。途端、癪な気分になった。
「ほんの少しだけな」
「機嫌なおった?」
「なおるか! こんなのでお前の大幅遅刻が帳消しになるわけないだろ!」
「ちぇー」
画面が更に早送りされる。よくよく見てみれば、確かに細かな仕草ひとつひとつが拝島に似ている部分がある。
「せっかく朽木さんの淋しい夜のお供にどうかと思って持ってきてあげたのに。もっと喜んでよ」
「あのな。何度も言ってるだろ。俺は写真やビデオで興奮する性質じゃないんだ」
「それで本物に触れることもできないんじゃ溜まる一方でしょ。こういうので普段からテンション上げてた方が、いざって時に押し倒せるよ」
『言葉もない』とはこのことだ。
画面からは絡み合う男達の怪しい喘ぎ声が聞こえてくる。
男の部屋に二人きりというこの状況で、18禁のアニメを見せて、下な話題をふるということがどういう事態を招くのか分かってるのだろうか、こいつは。
相手の男に何かされても文句は言えまい。まぁこいつ相手にその気になる男がいるかどうかは甚だ疑問だが。こいつは自身は色香の欠片も秘めてはいないのだ。
ブラウン管の中で睦みあう男達を冷めた目で見やり、俺はため息をついた。拝島と少し声が似ているだけにあまり愉快な気分じゃない。
しかし現実的ではない痴態のおかげで拝島のイメージは遠のき、怒りは最小限に抑えられた。つまり、少々ムカつく程度ですんでいる。いや、ムカつきは通り越しているな。今は呆れているだけだ。
「普通の男ならこんな女じみた喘ぎ声は出さないだろう。それにネコの体が細すぎる。タチは異常に肩幅が広い。あり得なさすぎだな」
「朽木さん、キビシーッ! 乙女の妄想の産物なんだから大目に見たげてよ……って、ネコとタチってなに?」
「お前の言う受けと攻めのことだ」
「なるほど。『ネコ』が『受け』で『タチ』が『攻め』なんだ。あははは、確かに腰が細すぎるねー拝島さんモドキ!」
「モドキとか言うなっ! 完全に別人だ! これっぽっちも似てない!」
腹立ちのあまり、俺はリモコンをグリコから取りあげ、テレビのスイッチを切った。
「それより、家の雑用をやるんだろ? 掃除機がけぐらいは許してやるからとっととやって帰れ」
「うわエラソー。せめて『家のことやってくれてありがとう』くらいの言葉は頂戴よ」
「やってから言え。ただし、余計なことはするなよ。何かを壊しでもしたら即刻追い帰すからな」
「むむ。それは保証できない」
「なら今すぐ帰れ! 二度と来るな!」
思わずDVDの空箱を投げつけた。
それを顔面直前でキャッチしたグリコが、「ぶう」と空箱から顔半分を覗かせてぶうたれる。
「怒りんぼー。ちょっとしたアメリカンジョークだって。料理はちょっと苦手だけど、それ以外のことなら家でもやってるから平気だよ」
「『ちょっと』ってレベルか? あれは」
この間のキッチン破壊事件はまだ記憶に新しい。割られた皿の数三枚は決して少ない数字じゃない。
「あれでも海行った時に作ったお弁当の時よりマシだったんだから。あの朝、天ぷら鍋から火柱があがったりしてね。後はよろしくって家をでたんだけど、市兄ちゃん、泣いてたなー」
「いばって言うことじゃないだろが!」
再び丸めた雑誌を脳天にめりこませ、俺は床に沈んだ悪魔の背中を健康な方の足で蹴りつけた。
「いいからさっさとやってこい!」
市兄ちゃんとやらには深く同情する。