Act. 9-14
<<<< 栗子side >>>>
しょ、祥子……?
この声の冷たさ。間違いなく祥子だ。
でも今までこれほど温度を下げた声は聞いたことがない。さしものあたしも、こんな声を向けられたら恐怖のあまりちびっちゃうかもって程の冷たさだ。
「しょ、祥子ちゃん、俺なら気にしてないから……」
オロオロしながら宥める高地さんを完全スルーしてバカギャル達に向き直る。
「ああ……そうね。いるわね、そういう輩。自分の能力の低さを棚に上げて、他人に点数つけるのに夢中になる輩」
目線を地面に落とし、ふっと冷笑を浮かべる祥子。
「そのくせ、自分が評価されるのは怖くて耳を塞ぐ。しかもそういう輩に限って集団を作りたがるのよね」
一歩、ギャル達の方へ歩を進め、棘だらけの言葉を吐き出す。
思わず足を止めたあたし達三人を置いて、祥子はゆっくりギャル達に歩み寄っていった。
ギャル達はその迫力に圧倒され、顔面蒼白になって身を退いた。道の端に寄り、怯えた顔で縮こまる。
「反撃されるのは嫌だから集団に紛れて他人を見下す……。いいんじゃない? 自分は蓑に隠れて言いたい放題。さぞや爽快でしょうね。私もやってみたいわ」
祥子から平手の一発でも飛びそうな雰囲気だった。
だが祥子は、ギャル達など素知らぬ風に地面に視線を落としたまま、その横をただ通り過ぎるのみ。
なんだ。何事も起こらなさそうだ。
と思った瞬間、祥子が足を止めた。横目でギロッとギャル達を睨みつけ、
「人を見下して喜ぶような女の点数は、何点なんだろうね。私が教えてやろうか?」
静かな怒りに満ちた声で言った。
怖いぃぃ〜〜〜〜〜〜っ!!
氷の女王がグレードアップしてもう地球寒冷化現象を引き起こしそうです!
秋なのに凍死の危険。お願いなんとかして高地さん……。
「祥子ちゃん! もういいから! 俺、ああいうの言われ慣れてるし、ホントに気にしてなんかないから!」
おぉっ! 救いの神よ……っ!
金縛りから解けた高地さんが、氷の女王を追いかけ、その肩を叩いてフォローしてくれたのだ。
「……バカ地」
「でも祥子ちゃんがそこまで怒ってくれるなんて滅茶苦茶嬉しいよ。俺のために。俺のこと少しは気にかけて……」
「うるさい」
ごきんっ
ア、アッパーが。
ここはイチャイチャ夫婦漫才が始まる場面なんじゃないの? ってところで、キレイにアッパーがきまりました――――っ!!
「い、いてててて……」
顎を押さえてうずくまる高地さん。その上から目の座った祥子が腕を組みながら、
「アンタ、優勝する気はあるの?」
冷たく問いかけ、
「へ? そりゃもちろん、できたら優勝したいけど」
「じゃあチンタラしてないでさっさと行くわよ! 私が手伝ってる以上、優勝するのが当然でしょ! 負けたら許さないからね!」
ギンッ、と迫力の睨みを付け加え、語気も鋭く言い放った。
「は、はいぃぃっ!! ぜんっりょくで勝ち進みたいと思いますっ!」
反射的に立ち上がった高地さん、ビシッと姿勢を正し、敬礼して応える。まさに下僕状態。
厳しくしかめられた女王様の顔は、次にあたしを正面から見据えた。思わずびくっと竦みあがってしまう。
「悪いわねグリコ。ここからは先に行かせてもらうわ。私達、優勝を狙うことにするから」
そう宣言すると、あたしの横をすり抜ける祥子。返事を返す暇もない。高地さんを従え、足早に歩き去ってしまったのだった――
残されたあたし達はしばし呆然と二人を見送ってたけど。
遠ざかる背中の意味が遅れて理解できたあたしは、いの一番に正気を取り戻した。
「ああっ! ちょっと祥子っ! 高地さんっ! いきなりやる気出すなんてズルイ――っ!!」
今まで四人仲良く行動してたのに。
突然、決別するとゆー急展開に一瞬対応が遅れてしまった。あたしとした事が。まさか二人がライバルになるなんて。
「ホラ、あたし達も行くよ朽木さん! 二人に負けてらんないよ!」
背後の朽木さんを振り返って叱咤激励すれど。
「優勝させてやればいいだろ。なんで俺が張り合わなきゃいけないんだ」
ちっともやる気を見せませんこの男。
殺す。貞子ばりに呪い殺す。
怨念オーラを漂わせるあたし。その背後で、更に神経を逆撫でする黄色い声が再びあがった。
「なにあの女〜。朽木さんに妙に馴れ馴れしくない?」
「全然釣り合ってないくせに生意気〜」
「あれならあたし達の方がマシだよね」
石化したバカギャル共とはまた違う集団が現れやがったのだ。
ナニ? こういう女共ってみんなこんな感じなの? どっかの工場で大量生産されてんの?
「それに、見るからに頭悪そうじゃないあのコ?」
「朽木さんの何なの一体!?」
「ただの後輩だって言ってたわよ」
「後輩のくせに態度でかすぎない? 朽木さん、困ってるじゃん」
なんだとコラ。
困ってるのはあたしだ。やる気出さないこの男に手を焼かされてるのはあたしなんだぞコラ。
噂の的になってる当の朽木さんは、女達に絡まれるのが嫌なのか、我関せずと涼しい顔で歩き出す。
あたしの険しい視線も完全無視して横を通り過ぎていった。
「ぷっ。あのコ、全然相手にされてないじゃん」
「そうよね〜。パートナーとしては役不足なカンジだしね〜」
「朽木さん一人なら優勝は楽勝だったのに、足引っ張られて可哀想〜朽木さん」
ぷっつん。
こんのグルーピーどもがぁぁぁっ!!
ドタマにきていた。もう限界だった。
あたしは口さがないバカギャル共に鼻息も荒く振り返った。そして、
「やかましいわっ!! 存在すら無視されてるアンタらよかマシだっ、このアメーバ集団っ!! なんなのその個性のなさは!? 核生成からやり直してこいっ!!」
大声で怒鳴りつけてやったのだ。
「きゃっ!」
「な、なにあの女っ!?」
なにあの女、はこっちのセリフだ!
「集団で陰口叩くしかできないキャラは一生ちょい役だからね! 役不足の使いどころすら間違ってる脳みそであたしのことどうこう言えた分際かっ! 目くそ鼻くそを笑っていい気になってんじゃねぇぞコラ!」
ぐわっと牙を剥いてまくしたてると、女共はたじっと後退った。
それ以上バカ女の相手をしても仕方がない。
あたしは全速力で朽木さんの後を追いかけ、追い抜き間際に、振りかぶったバッグを思いっきりその後頭部にぶち当ててやった。
「っ!!」
顔を見るのもムカつくので、一切振り返らず走って逃げる。目指す電子実験室に向かい、ひたすら足を動かした。
「グリコッ!」
誰が返事なんてしてやるか。
もう朽木さんなんて知ったこっちゃない。
あたしは一人でレースを続けてやる!
さっき覚えた工学部方面へと道を左に曲がり、人通りの少ない細い道に入る。一度通ればあたしだって道くらい覚えられるのだ。
「グリコ! レースは二人じゃなきゃ駄目だって言われただろ!」
ちっ。もう追いつかれたか。
後ろから腕をとられ、足止めを余儀なくされたあたしは、憤怒の形相で朽木さんを振り返った。
「パートナーチェンジだよ! もう朽木さんには頼まない!」
腕を振り払いつつ叫ぶ。
ムッと顔をしかめる朽木さん。
「それは助かる。なら俺は帰らせてもらってもいいんだな?」
ふーんだ。あたしは思いっきりすました顔で答えてやった。
「どーぞご自由に。やる気のない男なんてノーセンキューです」
いつまでもあたしが下手に出てると思うなよ。
冷たい目で見ると、朽木さんの顔が、さらにしかめられた。
「人を無理矢理参加させといていい度胸だなお前」
「はいはい。人選ミスでしたー」
両手を残念そうに広げてみせた。ため息と共に続ける。
「あ〜あ、あたしも高地さんにしとけば良かった。やる気のない誰かさんとより、よっぽど楽しくレースできただろうになー」
「お前と高地の頭じゃ優勝どころかレース完走すら怪しいだろ」
ぐ。そ、それは確かに。
「でも選択クイズだからアタリが出るまで走ってりゃ先に進めるもん。体力勝負でもあたしと高地さんならなんとかなったよきっと。それに高地さんもそんなにバカじゃないし、たまに頼りになるし、なにより性格は断然朽木さんよりいいと思うし」
「お前が言うか?」
「あたしだって朽木さんほど屈折してないもーん。朽木さん、昔神童とか言われちゃって、ちょっといい気になってるんじゃない? 本気になればこんなレースちょちょいのちょいだけど、本気になるのはくだらないってか? 思い上がりも甚だしいよ」
ぷっと鼻で笑ってやると、朽木さんの眉間にしわが寄った。
「実は本気出しても勝てないのが怖いんじゃない? こんなレースですら勝てなかったらショックだもんね〜。あ〜あ、失敗した。こんなヘタレ、誘うんじゃなかったな〜」
「なんだと」
ぐっと胸倉を掴まれる。でも怯まず真正面から睨み返す。
「凄んだって怖くないよ。ヘタレに負けるあたしじゃないもん。そんなんじゃ、拝島さん一人オトせないのも無理ないよ」
「口の利き方に気をつけろよ。一生子供の生めない体にしてやってもいいんだぞ」
「できるものならやってみろっての!」
言ってやると、朽木さんの目が見開いた。
「拝島さんに嫌われるのが怖いんでしょ!? だから手が出せないんでしょ!? 拝島さんを失ったら生きていけないって思ってるんでしょ、このヘタレ攻め男っ!」
「……っ! お前に何がわかるっ!」
途端、掴まれた胸倉を勢いよく引っ張られた。建物の壁に叩きつけられ、腕を一本上に捕られる。
続いて朽木さんの顔が迫り、体が密着する。朽木さんの右手がぎゅっとあたしの胸を鷲掴みにした。
一瞬、背筋に悪寒が走った。
「その生意気な口を二度と叩けないよう、今ここでやってやろうか」
危険な光を帯びた朽木さんの目があたしを至近距離から覗き込む。潰さんとばかりに揉み上げられる左胸が痛い。
本気で殴られたら、多分、声も出せなくなるだろう。
でも、負けるもんか。
「できないね。こんなところで。目立つのがイヤなんだもんね」
「っ!」
怯む瞳から動揺が伝わってくる。
「お父さんが怖いんだもんね。捕まるのが怖いんだもんね」
「グリ――」
「逃げ切る自信がないんだもんね! 屈しちゃうって思ってんだもんねっ!! そんなヘタレ、こんなレースにも勝てるわけないよっ! お父さんの影に一生怯えてろこの負け犬っ!!」
「――っ!」
本能が察してた。
それが朽木さんにとって、一番言われたくないことだって。
手首に一層力が籠められる。
激しい怒気がびりびりと空気を震わせる。
朽木さんの顔が怒りで歪むのを、どこか冷めた気持ちで見守った。
「――グリコッ!!」
胸を掴んでた手が離れる。あたしを殴ろうと、握られた拳が振り上げられる。
そうだ。もっと怒れ。もっと熱くなれ。
殴られたって構わない。
あたしの目を見ろ。
あたしの声を聴け。
本気の朽木さんを――――見せてみろっ!!
「――――お、まえ、は」
掠れた声を絞り出し、憎々しげに睨みつけてくる朽木さん。
真っ直ぐ見返すと、その瞳の奥に、微かな戸惑いが生まれた。
「おまえは――どこまで――」
一本向こうの道から、誰かの笑い声が聞こえてくる。
人気の少ないこの道より、大きな通り。そこから届く、楽しげで場違いな笑い声。やけに白々しく響く。
それを聞いてか、朽木さんの迷いは更に増したようだったけど、その時、既にあたしは確信していた。
「〜〜〜〜っ。くそっ」
朽木さんがここで終わる筈がない。
あたしに言われっぱなしですませる筈がない。
だからあたしは、ただ見据えていた。朽木さんの瞳を真っ直ぐに、ちらとも逸らさずに。
そして上げられた拳が徐々に下がっていくのを、静かに見守った。
静かに。一言も発さず。
やがてやってくる静寂。散っていく緊迫感。
目を閉じ、ゆっくりと息をひとつ吐き出して、また目を開ける。
「――言ってくれるな」
ようやく冷静さを取り戻した朽木さんの瞳が真っ直ぐあたしを見た。
「言いましたとも。朽木さんムカつくんだもん」
ツーンと澄ました顔で言ってやると、その端正な顔が引き攣った。
「どっちがだ。ヘタレだなんだと散々罵ってくれたな。父親の影に怯える俺じゃこんなレースにすら勝てないだと?」
「そうだよ。勝てないね」
「本気になって負けるのが怖いだと?」
「そうだよ。結局無駄だったって思うのが怖いんでしょ?」
「お前な……」
「高地さんにすら勝てないねそれじゃ」
「俺が高地に劣ると言いたいのか?」
「そのとーりです」
ムッとする朽木さんにきっぱり言い切った後。
にやり、と笑みを付け足した。
「今のままじゃね」
意味深な視線を投げかける。
応えるかのように、朽木さんの目も笑った。
「まったく……そこまであからさまな挑発に乗る俺だと思ってるのか?」
「別に乗んなくてもいいんだけど?」
「わかった。乗ってやるよ。乗って欲しいんだろ?」
すっと身を引く朽木さん。さらりと風になびく黒髪の下は不敵な笑みを浮かべてた。
「いいだろう。こんなレース、さっさと終わらせてやる」
踵を返し、一歩足を踏み出す。けれどその一歩で動きはピタッと止まり、
「……乱暴して悪かったな」
あたしに背を向けたまま、ぽそりと呟いた。
うへっ。朽木さんに謝られるのってなんか変な感じ。
「ぜーんぜん! 優勝する姿、見せてくれるんでしょ?」
ずれたブラを直しながら、いつも通りに返すあたし。結構痛かったし、少し怖かったけどそんなことは教えてあげない。
と、
「当たり前だ!」
一瞬あたしを振り返り、偉そうに怒鳴る朽木さん。それから突然走り出したのだ。
「早く来い! ぐずぐずするな!」
ちょっ。
慌ててさっき落ちたバッグを拾い上げる。紐を頭に通しながら足を動かす。
いきなり走りださないでよズルイじゃん!
急いで後を追いかけた。
「朽木さん、エンジンかかるの遅いくせにエラソー!」
「お前が煽ったんだろ! へたったら置いてくぞ!」
くっ。調子に乗んなよこの攻め男!
あたしもエンジンフル回転。なんとか背中に追いついた。
「誰がっ! あたしの根性舐めないでよね!」
そうだ。本気の朽木さんに負けるつもりはない。
置いてかれても絶対追いつく! それがあたし!
おぉ〜〜〜〜〜〜っし! 燃えてきたぞぉぉぉ〜〜〜〜!
全力で地面を蹴り進む。
待ってろよ〜祥子! 高地さん!
こっからがレース本番。くすぶってたパワーを見せつけてやる!
捲き返すぞぉ――――――っ!!