Act. 7-7
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熱で半ば朦朧とした頭を必死に動かした。
おせっかいな腐女子が連れてきた章は、その無意味に強気な口車に乗せられ、章らしからぬ言動に出た。
罵られるのは一向に構わない。殴られるのも構わない。俺はそれだけのことを章にしたのだ。
なのに、どうして章は俺を責めない!?
俺の傍にいれば、更に傷付いてくだけなのに。どうして離れようとしない!?
そして何故――何故俺が、章の人生をどうこう言わないといけないんだ!?
ただ逃げながら生きてるだけの俺が――
苛立っていた。思考が半ば麻痺していた。
気付けば、とどめとも言える最低の言葉を吐きかけていた。これで終わりだ。今度こそ章は離れていく。ほっとしつつも、どこか空虚な気持ちが胸に広がる。
『僕は両親の期待に応えられない……』
最初は鬱陶しかった。
人付き合いを広げるつもりはなかったのに、家族の話を聞かされ、いつのまにか気になる存在になっていた。
『誰かを守る仕事は魅力的ですよね……』
自分に言い聞かせるように。呟く章の顔は、しかし楽しそうには見えなかった。
親の言葉に縛られて。自分の生きたい道が見えていない。
親に振り回されて――
俺と、同じだ。
そう感じた時、章を追い払う気はなくなった。
章自身を見てみると、法廷に立つ気概などとてもあるようには見えなくて。
優しい章は、人が喜んでくれるのを見るのが好きだった。
だからこそ親の気落ちした顔を見るのが辛い。そんな章に俺がしてやれることはあるだろうか?
『法律関係以外で、何かやりたい事はないのか?』
『やりたい事……? あ、それなら僕、先輩の力になれる事がしたいです!』
『俺の?』
『ええ。僕、先輩に凄くお世話になってるから。僕にできることがあれば何でも言ってくださいね』
『そういうことを言ってるんじゃないんだけどな……。まぁ気持ちだけもらっておく』
『僕にできることはあんまりないけど……。例えば、誰かに話を聞いて欲しい時、僕でよければ聞きますし、誰かに傍にいて欲しい時、僕が傍にいますから』
そう言って屈託なく笑う。その笑顔がどこか拝島と似ていて。
傍にいると、優しい気持ちになれるような、心が温かくなるような、そんなところがどこか拝島と似ていて。
こいつは拝島じゃない。
拝島に抱く感情を、こいつに感じることはない。抱けばお互い傷付くだけだと、分かっていた筈なのに。
なのに――俺は己の欲望に負けた。
そんな俺の煮え切らない態度の結果がこれだと、頭を殴られた気がした。
もっと早くに離れてれば良かったのか?
出会った時から拒絶してれば良かったのか?
俺がいると章はますます自分を押し殺す。
だけど結局どうあっても、俺は章を傷付けることしかできない――
間に合わないと頭の隅で分かっていても、命を絶とうとする章に手を伸ばさずにはいられなかった。
章――――!
絶望が頭をよぎる。視界を闇が覆っていく。
だが、もう駄目かと思ったその状況の中。
俺にできないことを、やってのける奴がいた。
「だぁぁぁ――――っ!!」
状況に不釣合いな雄叫びと共に、章に飛び掛かるオレンジの制服。お節介焼きな腐女子。
お前、バイトはどうした?
いくらなんでもその恰好で大立ち回りはないだろ。
などという疑問が湧いたのは、もちろん事が終わってからだ。
とにかく横から章に飛び掛ったグリコは、章ともつれるように倒れこんだ。
衝撃でナイフが章の手から離れる。
上に放り投げられる形となったソレは、宙を一回転し、重力に従い、落下する。
床に倒れゆくグリコの頭へとめがけ――――
「っ!!」
だがグリコの悪運は並大抵のものではなかった。
刃先はグリコの顔面すれすれを通過し、そのまま床に突き当たったのだ。
カンッ
とはいえど、映画みたいにザクッと突き立つことはない。
床に弾かれ、小さな金属音を立てながらナイフは転がった。
「わひゃぅっ!」
――なんでこいつの悲鳴はこうも気が抜けるようなものばかりなんだ。
ナイフが床を滑り、一回転して完全に止まった後。
ようやく動き出した思考でまず考えたことはそれだった。
「ひっ。ひっ。ひ、ひま危なかった。ぎりぎりっ。ぎりぎりパラダイスーッ!」
床で丸まったまま意味不明な叫びをのたまうグリコ。微かに体が震えている。一瞬垣間見た死線への恐怖で色々なものが麻痺したらしい。
「章っ! グリコっ! 怪我はないかっ!?」
床に転がる二人に駆け寄り、まず章の首を点検した。グリコが無事なのは見なくても分かる。
「せ……ぱ……」
か細い章の声に不安になったが、少なくとも外傷は見当たらない。ショックで半ば放心状態といったところか。
「おーい。朽木さーん、あたしの介抱はー?」
「今の言葉で必要ないということが分かった。自分で立て」
「うは。超クール。まぁ萌えたから良しとしとこ」
『萌え』でなんでも片付けられるこいつの神経が少し羨ましい。
「僕……。ごめ……なさ……。僕……」
対して章の神経はどこまでも繊細だ。
縮こまり、身を震わせて泣く章になんと声をかければいいだろう?
章の首の下に手を差し込み、そっと頭を持ち上げた。上体だけ抱き起こしてその生気の抜けた頬を見やる。
「もういい。章。喋るな」
「僕……自分が、嫌で……先輩にも、見捨てられて……生きてる価値なんて、ないと思ったんだ……」
何故、俺は気付かなかったのか。
章がここまで俺に執着する訳に、どうして気付いてやれなかったのか。
章は家族のことを語るとき、いつも寂しそうな顔をしていた。もう自分の居場所はないんだと、小さく呟いていた。
章が俺に依存すればする程、いつか来る破局が完膚なきまで章を壊しそうで怖かった。どんどん自分を押し込め、無理に笑う章を見ていられなかった。
俺は章の支えになってやることはできない。
神薙から隠れるように生きてる俺が、章に何を言えるというんだ?
俺自身、拝島に支えられて生きているというのに――
だから、俺が傍にいない方が――他の誰かが章の支えになってくれればと思い。
傷の浅いうちに離れようと思ったのに――
章の心はずっと、ぎりぎりのところを保っていたのだ。
「先輩が重荷に思うのも仕方ないよね……先輩に頼ってばかりで、僕は何もできない……」
何も言うことができなかった。慰めの言葉がいくつも浮かんだが、それを今の章に言っても受け入れないだろうことは容易に想像がつく。
その、迷ってる俺の隙を突き、視界の端に動くものがあった。気付いた時にはもう遅い。
なんと、身を起こしたグリコが瞬時に距離を詰め、手にしたスリッパで章の頭を思いっきり叩いたのだ。
スパーン!
「こんのたわけ――っ!!」