Act. 7-6
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ピンポーピンポーピンポーン
立て続けに鳴り響くチャイムの音。
これに朽木さんが反応しない訳がない。
ガチャッと扉が開いて、殺気をみなぎらせた顔がぬっと現れた。
「やっぱりお前かグリコ……」
怒鳴りたいんだろうけど、そんな体力はない様子。高熱ってのは本当らしい。顔が赤くて汗が噴き出してる。パジャマを纏った全身からぐったり感が漂っていた。
いつもならここでひとつからかってあげるところなんだけど。あたしも可能な限りの気迫を纏い、ズイッと一歩踏み込んだ。
「なん……?」
僅かに怯む朽木さん。あたしが進むと勢いに押されて身を退いた。そのまま強引に玄関に押し入る。
「グリコ……?」
当惑した顔は、あたしの背後の人物を見てハッとなる。
「章――!」
「そこな攻め男にモノも――うすっ!!」
ビシッと指を突きつけて、あたしは物凄い剣幕で叫んだ。
「なっ!?」
一歩後退る朽木さん。相手は病人だけど、今日のあたしは手加減しない!
「ネタはあがってんのよっ! ここな章くんを傷つけて、あげくにポイ捨て! やり逃げ御免! 人非人にもホドがあるわぁぁ〜〜っ!!」
「なっ! なんでお前がそれをっ」
靴を脱ぎ、ずかずかと部屋にあがる。つられて朽木さんは後退し、廊下の端、リビングの手前で足を止めた。
「章くんはここんとこずっとね、拝島さんと朽木さんを陰ながら見てたんだよっ! すんごい苦しそうな顔で見てたんだよっ! 今日だって拝島さんに――全部、朽木さんのせいなんだからねっ!」
「――っ。本当か、章?」
朽木さんの目が章くんに向けられる。
「あ……ぼ、僕……」
萎縮した声がか細く震えた。朽木さんに嫌われるのが怖い? そんなのは認めない。
背後をくるっと振り返ったあたしは章くんの手を取り玄関から引っ張り上げた。
「言うんだよ、章くん! この人でなし! 冷徹男! 僕の純潔を返せ! てゆーかあたしの自転車のブレーキちょっと曲がったんだけど、修理代よこせっ!」
「待て。最後のはお前の要求だろうがっ」
「ついでなんで上乗せしてみた! さ、章くん! 敵は熱で弱ってる! 今がチャンスよ!」
「えっ。チャンスって……」
「蹴るなり殴るなり押し倒すなり。たまには攻めに転じてみるとか! 大丈夫! あたしがしっかりビデオに撮っとく!」
「何を言ってるんだお前はっ!」
スコーンッと頭に衝撃が走った。
ど、どこから灰皿が……。しかもアルミ製。ナイスタイミングであたしに投げつけたのか。やるな朽木さん。
「アタタタ……。と、とにかく章くん……言いたいことは、全部言わなきゃダメだよ」
振り返り、涙目で章くんに伝える。
「……言いたいこと……?」
「そうだよ。胸に溜まってることは全部吐き出さなきゃスッキリしないでしょ?」
「僕が先輩に……何を?」
あ〜〜もう。この人は自分を押し殺すのに慣れすぎてる。
どうしてそんなに距離をとるかなぁ? 堂々と朽木さんに近付けないかなぁ?
「章くんは、朽木さんと別れたくないんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「なら諦めずに言わなきゃ。朽木さんの傍にいたいって。朽木さんが必要だって。今更一方的なお別れを言われて納得するの? 納得できないんでしょ?」
「でもそれは僕の身勝手な……」
「身勝手がどうしたっての! やることやったんなら、責任は朽木さんにもあるの!」
ギンッと章くんを睨んで怒鳴った。
驚いた顔で声を詰まらせる章くん。
「グリコ! お前が口出しすることじゃない!」
「被告はしゃらっぷ! 章くんの気持ちもよく考えずに一方的な別れを切り出す攻め男に発言権はない!」
止めようとする朽木さんの口にピタッと指を突きつけ、黙らせる。
「章くん! 言って! どうしたいの? どうなりたいの? なんで朽木さんが必要なの? 本当の気持ちを全部ぶちまけて!」
声を大にして煽りまくった。脇にどいて、朽木さんと章くんを対峙させる。リビングと玄関を結ぶ短い廊下の端と端。ちょっと距離はあるけれど、確かに二人は向き合った。
さぁ――殻を壊して章くん。
朽木さんの本音を引き出して!
「僕……」
徐々に、章くんの瞳から迷いが消えていく。
ようやくスイッチが入ったのか、ぎゅっと拳を握って顔を上げた。
お人好しっぽい気弱な瞳に、決然とした光が宿る。
「僕の……気持ちは……」
朽木さんを真っ直ぐ見据え、一歩前に出る章くん。そうだ。その意気だ!
「神薙先輩……。僕、やっぱり諦めきれない」
「駄目だ章。こいつに乗せられるな」
「僕は僕の意思で言ってるんです。……僕、本当は分かってた。先輩には好きな人がいるって。僕はその人の代わりなんだって」
朽木さんの目が驚きで見開かれる。
「それでも良かったんだ。……先輩の傍にいられるなら、それで良かったのに。どうして傍にもいさせてくれないんですっ!? 僕の何に飽きたんですっ!? 先輩が望むなら、どんな形の付き合いだって受け入れるつもりだったのに!」
「……お前を拝島の代わりにはできない」
表情を消し、頑なに拒む朽木さん。でもそれは逆効果だ。
「そんなに僕が嫌になったんですか!?」
「俺にこだわってるお前はな」
「っ!!」
「遊びは気軽に付き合える相手がいい。当然だろ?」
そんな悪役なセリフ、似合いすぎるけど章くんには効かないんだってば。その程度で消えるほど、章くんの朽木さんへの想いは弱くない。
あたしはどうすれば朽木さんがそのことに気付いてくれるか思案した。一発殴って黙らせるか?
「……そうまでして僕を遠ざけたいんですか。僕の気持ちなんてどうだっていいんですね」
「ああ、そうだ」
「あの人と幸せになるために、僕が邪魔になったんですね」
「……そうだ」
「――――っ。見くびらないくださいっ!!」
ダンッ!
びっくりした。何が起こったのかと思った。
あの、大人しかった章くんが、壁に拳を叩きつけてる。感情が恐ろしいくらいに高ぶってる。
スイッチ入るとここまで変わるとは。
朽木さんもこの変貌には心底驚いたようで、言葉も失って硬直している。
「僕が分からないとでも思ってるんですか!? わざとそんな言い方してっ! 突き放そうとしてっ! それで僕が離れていくと思ってるんですかっ!?」
ダンッ!
「先輩が僕のためを思ってきつく言ってることくらい、分かってるんです! 苦しんで、僕を傷付けたって、後悔して、それで出した結論だってことくらい、分かってるんですっ!」
「章……」
「でもそんなの……僕に悪いなんて思うのは、お門違いですよっ!」
「っ!」
強い感情を露にした眼がキッと朽木さんを睨みつけた。
「僕は後悔なんてしない! 先輩が誰を好きだって構わない! 僕の先輩に対する想いは、そんなことで揺らぐほど弱くないんです! 先輩は――先輩はそれを全然分かってないっ!!」
章くんが声を荒げて頭を振るのに合わせて、光るものが辺りに飛び散る。あたしは声を失って、ただ見守ることしかできなかった。
「僕がどれだけ先輩に救われたか! 先輩の傍にいることが、どれほど僕にとって大切だったか! 中学の時からずっと……ずっと憧れてて……やっと近くに来れたのにっ! もう嫌なんです! 先輩と離れるのは、もう嫌なんです!」
止め処なく溢れる涙を拭うこともせず。章くんは喉を振り絞る。
ぶつけられる想いに触発されてか、徐々に、朽木さんの表情にも変化が現れた。冷たい顔の仮面が剥がれ、苦しげに眉根を寄せ、章くんを見つめ返す。
「どうしてそこまで俺を追いかけるんだ章」
「それは先輩が……」
「俺は言ったはずだ。もっと自分自身を見つめろと。お前はお前の道を見つけろと」
「――っ。僕は自分の能力を理解したうえでちゃんと資格を取ろうと……」
「いつまで親に縛られてるんだっ!? お前を見てると苛々するんだよ!」
「っ!」
苦々しげに吐き捨てる朽木さんの声は、章くんに負けじと大きくなっていった。
「何故学力が上がらない!? 何故勉強に身が入らない!? お前自身が疑問を持ってるからだろう! この道が本当に自分に合ってるのか、迷いがあるからだろう!」
「それは――」
そうだ章くん。
本当にやりたいことをやってる人は、例え自分の能力が低くてもそんなに苦しい顔はしない。
章くんは自分の気持ちが分かっていない。
「くそっ。なんで俺がこんなことを――。俺には他人の人生をどうこう言える資格はないのに――」
およ? 朽木さんまで自分の言葉に痛がってる。
掌で顔を覆い、苦悩するかのように俯く。
だけどその顔はすぐに振り払い、キッと章くんに鋭い瞳を向ける。
「とにかく、もう俺に縋るのはよせ、章。俺はお前の気持ちに応えてやれない。俺にとって大切な人間は拝島だけだ」
ちょっ。朽木さん、何を言い出すんだ!?
「僕は……僕の生きる道は、間違ってるんですか……?」
章くんは、翳りを再び宿した眼を足元に落として呟いた。
「そんなことは俺に分かることじゃない。自分で考えて決めろ。俺に甘えてくるな」
朽木さんの言葉にびくっと肩を震わせる。
言いすぎだって、朽木さん!
今の章くんにとって、いちばんきついのは朽木さんに突き放されることなのにっ。
「自分の道も……自分で決められないから……こんな僕に付き纏われても、迷惑なだけですよね……」
「――ああ、その通りだ」
違う。違うよ朽木さん。
章くんにかけるべき言葉はそれじゃない。
「お前は縋れる人間がいれば……現実から目を逸らさせてくれる人間がいれば、それでよかったんだ! 〜〜っ。くそっ。そもそもお前に手を出してしまったのが間違いだったんだ! こっちはほんのお遊び程度だったのに本気になられていい迷惑だとも!」
ばっ。
ばかたれ攻め男――――っ!
あたしは朽木さんを殴ってやろうと身を乗り出した。
しかし、章くんの様子がおかしいのに気付き、足を止める。
「は……はは……やっぱり僕って……どこまでも……」
斜め後ろから聞こえる声は、絶望の響きを含んでいた。
「父さんにも……母さんにも見放されて……先輩にも……。はは……誰かの重荷になってばかりなんだ僕は……」
あたしは嫌な予感に背後を振り返った。
そしてぎょっと固まる。
完全な絶望に囚われた章くんが、手にしていたもの――
それは、一度取り上げた折り畳み式ナイフだった。
もう拝島さんを狙うことはないだろうと思って返してあげたのだ。バカだあたし。こういう使い方だってあったのに。
なんで気付かなかったんだろう。
「章! 何してる!」
「さようなら先輩。僕はもう、生きる意味が見出せない……。本当はとっくに終わらせてる筈だったんだ。先輩がいたから……だから今まで生きてこれた。でも、もう――」
チャキッと鋭い切っ先を自分の喉に向ける。そんな痛々しい姿を見るために、ここに連れてきた訳じゃない。絶望させるために連れてきた訳じゃない。
「よせ! 章!」
「もう……楽になりたいんです……」
楽になる!? そんなの――章くんのバカッ!
バカバカッ! 章くんも朽木さんも大バカだっ!!
こんのバカ男ども〜〜〜〜っ!!
あたしの体は既に動いてた。
間に合わないかもしれない。でもなんとかする! この伸ばした手の先がどうなっても、絶対なんとかしてみせるっ!
景色がまるでスローモーションのように流れた。
身を乗り出す朽木さん。ナイフが真っ直ぐ空を切る。あたしの手が、章くんの喉を塞ぐ。肩がぶつかる。鈍い衝撃。章くんと重なりながら横に倒れる。上向いた章くんの細い腕。一瞬視界に映る鋭い刃。横向きに接する冷たい床――
そして、銀色の光があたしに向かって落ちてきた。