Act. 6-4
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週末は、あっという間にやってきた。
午後のティータイムで心身共にリラックスさせた後、素早く支度を済ませ、マンションを後にする。
人に会うとなると服装はスーツがいいかと思い、タイまで締めたが、実家に帰るのに堅苦しすぎるかと思い直して結局タイは外した。
接待を要求されるような会食なら、一言あった筈だ。「夕食でも御一緒に」程度なら、適当でいいということだろう。
夕刻の混みあった道路に車を走らせていると、携帯ホルダーに置かれた携帯電話が僅かに震えた。
メールの受信。
丁度信号で停まるところだったので、取り上げて新着メールを開く。
グリコからだった。
またくだらないメールかとため息をつく。グリコからのメールはそう頻繁にはないが、内容の大半は『イケメン情報』とかだった。
大抵は馬鹿馬鹿しいタイトルの通りで、一笑に付して終わる。しかし、これがなかなか油断ならない。メールを開くと、いきなり男同士が裸で絡み合ってる画像などが展開されたりすることもあり、ぎょっとさせられる。そういう場合は即行削除だが。
まぁ、中にはなかなか見目のいい男の写真もあったりもするので、そこそこ楽しめる。だが基本的に、俺は写真を愛でる趣味はないので迷惑千万だ。
今回のメールも添付ファイル付きだった。
開くか捨てるか一瞬迷った。また脱力するはめになりそうだとは思いつつも、一応開いてみることにした。
だが、展開された画像は予想してたものとは違っていた。僅かに目を見開く。
――拝島の写真だった。
『最新癒し画像。秋の拝島さん。空気を吸い込む姿が爽やか♪ 待ち受け画面にでもどう?』
思わず苦笑いがこぼれる。待ち受けになどできるわけがないだろうが。
しかし――――
あいつめ。タイミングだけは妙にいい。
幾分か晴れやかになった気持ちで携帯を胸ポケットにしまった。
実家の門をくぐり、広々とした庭を横目に扉の前に立った。
門から正面玄関まで数分かかるような大豪邸――というわけではない、この家は。
敷地は一般レベルより広いだろうが、家のサイズは至って普通。家屋への頓着のなさが窺える洋風のありふれた一戸建て。広い敷地は庭に面積を割かれていた。
変わらないな、この風景も――
それだけ力を入れてる庭の景観は、匂いたつような花園でも、情緒溢れる日本庭園でもない。
一言で言えば、ただの畑だ。
味も素っ気もない緑の草が整然と並ぶ奥に、小さなビニールハウスがある。ここにあるものは全て薬草――父の趣味だった。
「冬也。お帰りなさい」
目の前の扉が開き、清楚で穏やかな雰囲気の女性、しかしどこか儚さを漂わせる女性――母が現れた。
「お久しぶりです」
軽く会釈して中に入る。母の後ろには父が立っていた。
「お帰り、冬也」
温かな笑みで迎えられる。頬にも目尻にも刻まれた皺は、以前会った時より更に深みを増しているようだった。
「お久しぶりです、父さん。ただ今戻りました」
会釈して玄関に上がると、握手を求められたので応じる。少しも力の籠もらない骨ばった細い手――。
――少し、痩せた気がする。
父の後ろには、更に人影があった。こちらはふくふくとした老齢の女性。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ただいまです、サエさん。お元気そうでなによりです」
長年朽木家に勤める家政婦のサエさん。今はこの三人がこの家の住人だった。
サエさんに案内され、客間に至る。淡いブルーのソファーに腰掛けると、テーブルを挟んで向かい合わせに父と母が座った。
年齢を感じさせない若々しさと美しさを持つ母、実齢以上の深い皺を刻んだ父。実際の年齢差以上の差を感じさせる親子のような夫婦だ。
俺達はしばらくの間「大学はどうだ」、「最近の薬は」などの、取り留めのない雑談を交わした。父との会話はほぼ薬学系の話題で埋められる。母はほとんど相槌を打つだけだ。
運ばれてきた紅茶で喉を潤しながら父の質問に応じる。父の質問は、俺の大学での講義内容についてのものが主だった。どんどん変わっていく薬学の世界についていくのは大変だな、と俺の話を聞きながら苦笑気味に言う。
研究は何をするつもりだと聞かれ、まだ決めていないと答えた。父も深くは追及しない。やがて話は来年から始まる実務実習のことへと流れていく。
それは奇妙に不自然で、急に角度を変える壁に向かってボールを投げてるかの如く不安定な会話だった。
父の質問はある一点を避けている。普通、大学四年生と進路の話をするとなれば、大抵の親はこう訊いてくるのではないだろうか。
『就職はどこにするつもりだ?』と――
その質問に対する答えを用意してなくもない俺としては、奥歯にものが挟まったような会話は少しもどかしさを覚えずにはいられない。
かと言って自分から話を切り出すつもりはなかったので、舵取りは父に任せるままにしておいた。
俺も、完全な答えを用意しているわけではない。
会話に一旦区切りがついた頃、父が小用で席を立った。少し顔色が悪い。
父が部屋から去った後に、そのことについて母に尋ねてみた。
「父さんは少し体調が悪そうですね。どこか悪いところでも?」
「いいえ。ここのところ会社が忙しくて、疲れてらっしゃるみたい……。新薬の開発に力を入れてるらしくて、毎晩帰りも遅いのよ」
俯き、顔を曇らせる母。
「また自ら開発に携わってるんでしょうかね。父さんは研究者肌ですから……」
言って、紅茶を口に含む。
父は製薬会社の社長だ。
大企業という程ではないが、そこそこに有名な会社――『KY薬品』といえば、大抵の人は風邪薬を思い浮かべるだろう。
「そうね……経営者向きじゃないのよね、あの人は」
母はくすりと笑って言った。愛情の垣間見える微笑みだ。
俺の両親は傍目に見ても仲の良い夫婦なのだ。父の健康を心配する母の優しい瞳は俺が物心ついた時から少しも変わらない。
「庭も相変わらずですしね……」
俺もつられて苦笑を浮かべてしまう。言いながら顔を向けた先にあるのは、既に先程十分視界に収めた草だらけの庭だ。
窓の外に覗くそこ――ともすれば雑草が生え放題で手入れが行き届いてないようにも見えるその場所は、父の夢の箱庭である。
もともと父は、一介の薬剤師だったそうだ。理想に燃える、研究熱心な薬剤師。
会社を興したのは、夢の実現のために金が必要だったからだと聞く。
だから母の言う通り、もともと経営者向きの人間ではないのだ、あの父は。
庭で薬草を育ててる時が、一番幸せそうな顔をするあの父は。
いつも楽しそうに、薬草について語って聞かせてくれた優しい父。敷地の半分を割いて作られた小さな夢の箱庭――父の夢は、大きな薬草園を持つことだった。
「ねぇ、冬也」
不意に名を呼ばれ、昔の思い出に浸っていたことに気付く。
「はい?」
顔を上げると、当たり前だが母の顔があった。ただし、普段よく見せる顔とは違う。いつもの、無理に浮かべてるような微笑が消えている。真摯な表情。
「体調は悪いけど、今日のあの人はとても嬉しそうなのよ。久しぶりに貴方に会えて」
「……そう、ですか……」
「そうよ。子供が自分と同じ薬学を学んで成長していっている。これ以上の喜びはないわ。いつか貴方と、現代薬学について議論を交わせる日が来るのをとても愉しみにしてるのよ」
母の言いたいことは分かる気がした。
「父さんの会社の開発部に入るのも楽しそうですね」
跡継ぎという言葉は意識的に避けた。
しかしこれは、遠まわしにそれを拒絶しているのと同じことだ。
どういった反応が返ってくるか――だが母の言葉は予想してたものとは違い、
「そういうことではないわ、冬也。つまりはね……こういう、用事で呼び出されるのではなくて……。……たまには、家に帰ってらっしゃい」
強めの口調から始まった言葉は、最後には、真摯な嘆願の響きがあった。
「………………」
ここを、帰るべき場所とみなしてない俺に、返すべき言葉はない。
また紅茶を口に含んでその場をやり過ごした。その時、父が戻ってきた。
「そろそろ、お客さんの来る時間だね」
言われて壁の柱時計を見ると、確かに時刻は夕食の頃合いだった。それに申し合わせたかのように、玄関のチャイムが鳴る。
「はは。言った傍から御到着のようだ」
苦笑して玄関に向かう父。母も立ち上がって父の後に続く。俺はこのまま客間で待つことにした。
両親が挨拶する声が微かに聞こえ、やがて足音が近付いてくる。
スリッパがフローリングを擦る音、衣擦れの音。ミシッと軋む床。
――何故だかそのひとつひとつがやけに大きく響き、俺の鼓動を僅かに跳ね上げる。審判を待つ、犯罪者にでもなったかのように。
この時俺は既に気付いてたのかもしれない。
来訪者が誰であるかを。
ギィ――
リビングの扉が開き、父に連れられて入ってくる人影。
およそこの世で最も会いたくない人物。
「久しぶりだな、冬也」
落ち着いた立ち居振る舞いはさすが旧財閥の統帥と言わざるを得ない。その威圧感は見る者を圧倒させる。
体中から迸るのは野心家のオーラ。
この男の名は神薙海治――財界で一、二を争う神薙グループの会長。
俺の実父だった。
「はじめてのXXX」企画への参加はやめることにしました。
でも、新作は途中まで書いたので、仕上げて投稿することにします。
3/5から連載する予定ですので、よければ読んでみてくださいね。(^ ^)