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Act. 6-1 とんでも腐敵な家庭の事情!

<<<< 朽木side >>>>

 

 さて、まずは何から手をつけるか――

 

 キッチン台に整然と並べられた食材を前に、俺は最上の解を導くべく、構想を練っていた。

 

 ピーマン、にんじん、じゃがいも、牛肉、ワイン……瑞々しい新鮮さを放つ厳選された食材。これらをとある数式に当てはめ、最上の解へと導いていく――その過程を考えるのがまた楽しい。

 

 解とはこの場合、もちろん料理の仕上がりのことである。

 

 最高級の味を生み出すためには野菜を切る順番、炒める順番、実に理路整然とした、計算し尽された手順が必要なのだ。その他にも切る大きさ、下ごしらえ、考慮すべきことは多々あり、改めて料理の奥深さに感じ入る。

 

 なにもそこまで――と自分でも思わなくもないが。

 

 別に、毎日ここまで料理に浸っているわけではない。

 

 ここのところ、課題に次ぐ課題、解析すべき実験データの山で忙しい日が続き、まともに料理する時間と余裕がなかったのだ。外食で済ます日すら少なくない。

 

 単調な味、栄養バランスの偏った食事。いい加減健康を害しそうになってたところでようやく課題がひと段落つき、時間に余裕のある日ができた。つまり今日だ。

 

 そういう訳で、久々にゆっくり料理ができる喜びを噛みしめている最中だったのだが。

 

 

 ピンポーン

 

 

 なんとも無粋な横槍を入れられ、俺はこめかみを引き攣らせた。

 

 誰だ? まさかグリコじゃないだろうな?

 

 もし、その『まさか』だったらどうしてくれようかとシンクからフライパンを取り出し玄関に向かう。

 

 最近なにやら調子づいてるあの腐女子は夏休みの間中、何度もしつこくここへの侵入を試みた。

 

 下着を盗もうとしたり、盗聴器を仕掛けようとしたり、目に余る犯罪者ぶりを発揮したので、拝島に「グリコは絶対に連れて来ないで欲しい」と頼み込み、一応は静かな暮らしを取り戻したのだが。

 

 代わりにチャイムに応えて出ると、いつグリコが飛び込んで来るか分からないという事態に悩まされるはめになった。

 

 やはりそろそろ本気で息の根を止めておくべきか?

 

 そんなことを考えつつ用心して扉を開けると。

 

 

「先輩――」

 

 

 そこに立っていた俺より頭ひとつ分小さい人影に、ぎくりと体が強張った。

 

 

「章――」

 

 

 沢渡章さわたり あきら

 

 俺の後輩だった。

 

 

 * * * * * *

 

「先輩、突然ごめんなさい。でも僕、どうしても――」

 

 震えながら尻すぼみになる声に、かけるべき無情な言葉も喉元で消え失せてしまう。

 

「……とりあえず入れ」

 

 本当ならここで追い返すべきなのだろう。だが俺にはできなかった。負い目が言葉の棘を抜き去ってしまっていた。

 

「入っても……いいんですか?」

 

「駄目だと言えば大人しく帰るのか?」

 

「う、ううん。帰れませんっ。……お、お邪魔します」

 

 おずおずと部屋に入って来る様子はグリコとは真逆で、その落差に可笑しさすら込みあげてくる。予想とは180度違う訪問者だ。

 

「えっと……そのフライパンは?」

 

 章が俺の手の中にある物に気付いて訊いてきた。

 

「厄除けだ。気にするな」

 

 正確には悪魔祓いのアイテムだが。

 

 

 

 

 章はリビングの床に直に座り、萎縮したまま俯き、しばらく言葉を発しなかった。

 

 俺はその間、キッチンで湯を沸かし、コーヒーを淹れてリビングのテーブルに運んだ。

 

 そしてカップをひとつ章の前に置き、もうひとつを手に自分も床の上、章の隣に座る。

 

 片膝を立て、視線を部屋の隅に投げてカップに口をつけると、芳醇なコーヒーの香りが喉に染み渡る。

 

 

 まだ章は置物のように固まっていた。

 

 章がなかなか話を切り出せない理由も、俺と目を合わせられない理由も、俺にはよく分かっている。その原因を作り出したのは他ならぬ俺自身だからだ。

 

 この間まで楽しげに揺れていた、茶色の柔らかなねこ毛。今は持ち主の心に呼応するかのように力なく垂れ下がっている。

 

 感情が表れやすい奴なだけに、その様子は痛々しい。

 

 こんな章を見るのは酷く心苦しいことだった。

 

 あいつに――俺の最愛の拝島に、似ているだけに。

 

 

 

 

「ど、うして……」

 

 コーヒーも淹れ直した方がいいかと思えた頃、ようやく口を開いた章の第一声はそれだった。

 

「理由をもう一度訊きたいのか? お前に飽きた――ただそれだけだ」

 

 再び沈黙が訪れた。

 

 章の小刻みに震える手に、光るものが落ちる。

 

 すくい取ってやりたい衝動はなんとか抑えた。

 

「僕の何に飽きたんです? 顔? 体? それとも性格? 直せるところは、全部直します」

 

 初めは小さかった声は、徐々に大きさ、滑らかさを増していく。

 

「冬也先輩がして欲しいことは何でもする。ベッドでのテクニックが不満なら、もっと勉強する。だから……だから先輩……」

 

 その先を聞く気はない。

 

「悪いが章」

 

 遮るように、俺は章の言葉を切った。

 

「一度言った言葉を覆すつもりはない」

 

 それが――最後通牒だった。

 

 

 

 

 初めて章と会ったのは、いつなのか分からない。

 

 章は当時から俺をよく見てたそうなのだが、俺の記憶に残る人物ではなかった。

 

 中学時代――俺の人生最悪の三年間は、人との関わりを希薄にさせた。覚えてる顔などないに等しい。

 

 だから去年の秋、突然「先輩!」と声をかけられた時も、正直胡散臭いと思った。

 

 だが中学時代の一年後輩だと言われ、当時の学校の様子や俺のことを聞かされると、確かに後輩らしいということは疑いようもなく、拒絶する理由もなかったので纏わりついてくるにまかせて数ヶ月が過ぎた。

 

 深い関係になってしまったのは、完全なる手違いだった。

 

 理由は嫌というほど分かっているのだが……拝島に、どことなく似ていたからだ。

 

 風になびく柔らかな髪がだろうか。

 温もりを滲ませる優しい瞳がだろうか。

 

 はっきりとは分からない。

 

 だがやはり拝島とは違う。それは体を重ねるごとに痛感した。

 

 思い知った。

 

 だから昨日、意を決して電話で伝えたのだ。

 

「もう会わない」と――――

 

 

 

 

「イヤだ。……そんなの、納得できません!」

 

「お前が納得するしないはどうでもいい。俺にはもうその気はない。別れる理由はそれで十分だ」

 

「どうして今更……体だけでもいいんです。最初からそのつもりでいたんだから。抱くこともできなくても、僕は構わないっ。傍にいさせてください……それだけでもいいでしょっ!?」

 

「駄目だ」

 

 強く、はっきりと言った。

 

 ここだけは譲るわけにはいかない。

 

 例えどれほど章の顔が哀しみに歪んでも、涙が頬を濡らそうとも、譲るわけにはいかない。

 

 章から言葉が失われ、俺は不毛な会合に終止符を打つべく腰を浮かせた。

 

「もう帰れ」

 

 だが次の瞬間、真正面から飛び掛ってくる重みに耐え切れず、否応なく再び床に沈むはめとなる。

 

 背中を打ちつけはしなかった。後方に手をつき、なんとか片腕で抱きとめた。

 

 だが不利な体勢であることには変わりはなく、その体を押し戻す前に唇を塞がれてしまう。

 

「――っ!」

 

 濡れた唇。

 

 貪るように、吸い付いてくる。

 

 呼吸が乱れる。

 

 空気を求めて開いた口に侵入してくる温かいもの。胸に押し付けられる体温。

 

 首の後ろに回された腕は意外と強固だ。これほど情熱的な章は見たことがなかった。それほど切羽詰ってるということか。

 

 だがしかし――――

 

 縋りつく必死さで絡められてくる舌は、少しの快感も呼び起こしはしなかった。

 

「どうしても別れるって言うなら……お願い。最後に抱いてください……」

 

 やっと離れた口から囁きかけてくる言葉。こんな言葉まで言わせる程、俺は章を傷付けてきたのだ。

 

 合わせた体から伝わってくる肩の震え。

 

 俺の目を覗き込んでくる潤んだ茶色の瞳。

 

「お願い、冬也……」

 

 受け入れてやることができたなら、どんなにか良かっただろう。

 

 だが――――

 

「それはできない」

 

 俺の心はもう拒んでいる。

 

 数年前ならあっさりと抱けただろう。心と体がひとつではなかった数年前なら。

 

 だが今はもう――――心と体が欲している人間は一人しかいない。

 

 

 章の顔に、絶望の色が広がっていく。

 

「もうお前を抱けない。それだけは確かだ」

 

「……っ!」

 

 章の腕は俺を押しのけ、最早どんな言葉も受け付ける気はないといったように離れていった。

 

 急速に失われていく体温。自分が望んだことでありながら、少し名残惜しく感じるのは、やはり人肌が恋しい人間の性なのだろうか。

 

 俺は走り去っていく章を追いかけることはしなかった。

 

 扉の閉まる音と共に、今度こそ決定的となった決別が、心にのしかかってくる。重い静寂が落ちてくる。

 

 俺はのろのろと立ち上がり、玄関の鍵をかけに行った。それからまたリビングに戻り、すっかり冷え切ったコーヒーカップを片付ける。

 

 僅かに零れた褐色の液体がテーブルの上に残った。

 

 倒れた時にテーブルが揺れたのだろう。布巾で一拭きすると、テーブルは元の白に戻り、章の痕跡はどこにもなくなった。

 

 これでいい……。

 

 全てが元通りになったかのように見えた。しかし料理を楽しもうとする心までは戻らなかった。

 

 とりあえずコーヒーを淹れ直そうかと考えてたところで、今度はリビングの電話が鳴った。

 

 今日はよくよく邪魔される日だ。

 

 もう夕食は宅配で済まそうかという気分になりつつ受話器を取る。

 

「はい、朽木です」

 

 素っ気無い口調で言った。

 

『あ! もしもし朽木さん!? あのねっ、今テレビでイケメンレースやっててねっ、すんごい朽木さん好みのイケメンが』

 

 ガチャン

 

 今一番聞きたくない声だった。即座に今の音声を記憶から抹消しにかかる。

 

 

 イケメンレースってなんだイケメンレースって。

 さっきまでの重苦しい雰囲気を返せ。

 

 

 どっと疲れて肩を落とす。

 

 再び電話の音が静寂を破り、俺のテンションは怒りゲージMAXにまで引き上げられた。

 

「グリコッ! お前いい加減にせんと、しまいにはミンチにするぞっ!」

 

 受話器を取るなり怒鳴りつける。

 

 数秒後に、恐る恐るといった声が応えた。

 

 

『と、冬也……?』

 

 

 その声に思わず固まってしまう。

 

 母の声だった。

 

 

 

この話から少しシリアス多めになってきます。

そんなに重い雰囲気にはしませんが、しばらく真面目な話が続きますので。

 

NEWVELに投票してくださった方々、どうもありがとうございます。m(_ _)m

いつもNNRに投票してくださってる方々も!

嬉しいですな〜てへてへ。(*^▽^*)

皆さんの応援のおかげで頑張れてる卯月です☆

 

ところでまた黒雛様からイラストをいただきました♪

今度は祥子&高地と、グリコ&高地です!

高地がカッコよくて作者ビックリです。(笑)

またしばらく作者紹介ページを自分のブログ転送にしておきますので、ご覧になりたい方はブログの「いただきものイラスト」を見てみてください。

ではでは。

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