Act. 5-2
<<<< 栗子side >>>>
九月半ばなんて、ほぼ真夏の範疇だと思う。
クーラーなしでは過ごせないし、陽射しはまだこれでもかってくらい熱い。
窓の外に青々と繁る樹に視線を彷徨わせ、葉の隙間から覗く濃い青空に心を飛ばすと、夏休みが終わったなんて信じられない、というか信じたくない気持ちが浮かんでくる。
現実逃避。
そう、まさにそれは現実逃避。
気温が働きかけてくる以上に汗をかいてるあたしは、これが現実逃避ってやつなんだと妙に実感してしまった。
「映画?」
「うん、映画」
休憩時間のざわつきに包まれた講義室。
窓際最前列の席にてオウム返ししてくる祥子に、念を押すように言葉を重ねるあたし。
「そんな大人数で映画?」
あうあうあう。そんなに深く突っ込まないで祥子。
さらに汗の玉が増えた気がした。
「映画の後は皆でボーリングとかどうかって。とにかく高地さん、真昼と祥子に会いたいんだよ。あたしも朽木さんと拝島さんに堂々と会いに行けるし、みんなで遊ぶの楽しかったじゃん」
なんか、言えば言うほど言い訳くさく聞こえるのは気のせいか?
良心の痛みのなせる業なのかも。
あたしは内心ちくちくひやひやだった。
祥子はすぐには返答せず、講義の開始に備えて資料を鞄から取り出す。祥子らしいシンプルな赤のバインダーが太陽の光を反射してあたしの目を逸らさせた。
休憩時間はあと5分。うまく説得できればいいんだけど。
「いいんじゃない? また大人数でワイワイ。あたしは行ってもいいよ」
あたしの左隣に座った真昼がくすって感じの笑みを浮かべながらこちらを見る。ちなみに祥子はあたしの右隣。
「私はパス。学生の本分は勉強よ」
うーん、やっぱ予想通りのつれないお返事。
「でもさ、ホラ。高地さん、海で祥子が倒れたのずーっと気にしててさ。お詫びにって、今回の映画代、全部自分が出すって言ってるんだよ。だから祥子が行かないと始まらないでしょ?」
「あれはもう済んだ話のはずよ。蒸し返されるとこっちが恥ずかしいんだけど」
ちょっと唇尖らせ気味で言う祥子。うっ。可愛い。こんなん、男だったら押し倒しちゃうんじゃない? 本当に大丈夫かなぁ。高地さんと二人きりにして。
「まぁいいじゃん。男の顔を立ててやりなよ祥子」
およよ。なんか、真昼が珍しく祥子を説得にかかってくれる。
「立ててあげるほどの顔じゃないわよ」
うん、それには同意。
って、納得しちゃいかんいかん。
ここで、必殺の一言!
「ちなみにさ、観に行く映画は『SHO-RINバレー』なんだけど……」
ぴくっ
てな感じで祥子の手の動きが止まる。
食いついたっ!
『SHO-RINバレー』とは、今話題のというか問題のというか色々と波紋を呼んでる作品で。
なんというか、とにかくバカバカしいの一言に尽きる抱腹絶倒コメディ映画。
観た人の意見は「滅茶苦茶面白い」か「なんだこのふざけた映画は。金返せ!」のふたつに分かれるらしい。
で、こんなイロモノ映画に何故祥子が食いつくのかというと――
実は祥子。大のお笑い好きなのだ。
本人は隠してるつもりなのだけど、あたしは知っている。密かに「エン○の神様」とか「○金」とかチェックしてることを。
だって、妙に若手芸人に詳しいんだもん。
更に面白い話を聞くと、その場ではくすりともしないんだけど、人気が絶えた後にこっそり肩を震わせてるのも知っている。
その他にも色々とお笑い好き疑惑を深めるネタはあがってて、あたしはもう完全に「実はお笑い好き」と見抜いていた。
甘いな祥子。あたしの千里眼から隠し通せると思うなよ!
あたしは脳内で釣りゲームばりに「HIT!」の画面を展開し、「そぉ〜れ」とリールを巻き巻きにかかる。
「あんまり祥子には興味のない映画だとは思うけどさ。たまにはああいうの観るのも面白いかもよ。それにどうせ高地さんのオゴリだし、ついでにいっぱいタカっちゃおうよ!」
「そ、そうね……。まぁたまにはいいかもね……」
「そうそう、高地さんの財布を空にする勢いで!」
その気のない振りをする祥子をめいっぱい煽り立てる。よっしゃー! あとちょっと!
「そこまで言うんなら、行ったげてもいいけど」
さるげっちゅ〜〜〜っ!!
いきなりゲーム変わってんぞヲイってツッコミはなしな方向で!
「うんうん! じゃあ、今週日曜日、朝の9時に待ち合わせだから!」
げっちゅの喜びに興奮気味でスケジュールの説明をする。
と、真昼が「あら」と何かに気付いたように声をあげた。
「あたし、今週の日曜はダメだわ。デートの約束があったんだった」
イエス。もちろんそれを知っててスケジュール立てました!
だがそんな態度はおくびにも出さず、
「そっかぁ〜残念。真昼は来れないかぁ〜。じゃあ、あたしと祥子の二人で行こっか」
と、いかにも残念そうに言ってみせた。
それを聞いて、祥子は一瞬躊躇うような表情を見せたけど、
「始めるぞ〜」
と、やる気があるんだかないんだか気の抜け気味の教授が一声と共に入ってきて、真面目な祥子は即座に顔を切り替えた。
おっしゃぁ〜〜〜三万円げっと!!
心の中でガッツポーズを取るあたし。
その耳元に、真昼が口を寄せてきて、小さな声で囁いた。
「あとで結果教えてね」
全てお見通しなんですね……真昼サマ。
* * * * * *
祥子を説き伏せた翌日、早速朽木さんの大学に足を運び、朽木さん達にくっついて待ち構えていた高地さんに作戦成功の旨を伝えると、高地さんは飛び上がって喜んだ。
「ありがとう! ありがとうグリコちゃん!」
むせび泣きながらあたしの手を握り、何度も頭を下げてくる。
「暑苦しいからやめてください」
ついでに鬱陶しい。
ま、それはともかく。あたしは咳払いひとつして、
「で、例のブツは……」
「ははっ! ここにありまする〜! お代官さま、どうぞお納めくださいませ」
催促するあたしに差し出される茶色の封筒。
それをすぐには手に取らず、開いた扇子を口元に当て、にやりと目を細める。
「ほほう、これはこれは……」
「山吹色のお菓子でございます」
すぐに反応を返してくれるノリのいい高地さん。
「くっくっくっ……お主も悪よのう〜」
「お代官さまほどではございませぬよ……」
やっぱキャラ的に気が合うのか、くっくっくっと肩を寄せ合い、ほくそ笑むノリノリなあたし達二人。
「なんか怖いよ二人共……」
横で傍観してた拝島さんがやや引き気味に言う。
ここは往来のど真ん中。食堂に続く道の途中なので、行き交う学生達の目も引きつけてしまったようだ。拝島さん、少し恥ずかしそう。
「拝島、他人のフリだ。近くに寄ると移るぞ、色々と」
色々ってなんだ、色々って朽木さん。
「朽木さんはもう手遅れ……」
ぼそりと呟いたあたしの頭に鞄の底が降ってきた。
段々降ってくるものが大きくなってきてるのは気のせいかしら?
まぁ、それはそれとして。
「うぉ〜〜〜っ! オトコ元治、頑張っちゃいます!」なんて拳突き上げて興奮する高地さん見てると、ちょっと不安になってくる。
……やっぱ、デートの斡旋はまずかったかなぁ……。
まさか祥子が食われるなんてことはないと思うけど。
高地さん、気が昂ぶると勢いで押し倒しちゃいそうなキャラに見えるし……。
「新しいパンツ買っといて良かったぁぁぁっ!!」
……………………。
思いっきり不安。