Act. 4-6
<<<< 栗子side >>>>
高地さんが、祥子の乗ったボートを浜に引き上げ、中からぐったりとした様子の祥子を抱え上げた時、あたしは呼吸をするのも忘れる程に身を強張らせた。
すぐ胸が苦しくなって、ゆっくりと息を吐き出す。
それから自分に喝を入れ、背筋をしゃんと伸ばすと、高地さんが運ぶ祥子のもとへ一目散に駆けていった。
「祥子! 意識はあるの!?」
高地さんへの問いかけのつもりで声を張り上げると、
「……る、よ……」
祥子自身から返事が返ってきて、ほっとした。
「軽い熱中症だ。日陰に入れて、水分をよく補給すれば治る」
朽木さんからそんな説明を聞かされ、更に安心して祥子の顔を覗きこんだ。
「取りあえず、日陰に行くぞ」
そう言うと高地さんは、祥子を抱えたままピーチパラソルの下まで移動した。
あたしと真昼は日陰の部分にシートをずらし、上にタオルを敷き詰める。そこに祥子が降ろされた。
水を買ってきた拝島さんが、祥子を抱き起こしてペットボトルの口を祥子の口に当てる。
あたしはタオルを水で絞り、祥子の額に当てた。その間中、朽木さんは、祥子をつぶさに観察し、脈拍を計ったり、体の状態をチェックしていた。
もうできることもないので、あたしは一歩退いた場所から祥子を見つめる。横から、ひやっとした風を感じ、見ると、真昼が何処からか持って来たらしいウチワを真剣な顔で扇ぎ、祥子に風を送っていた。真昼のこんな顔、滅多に見たことない。祥子のあんな弱弱しい様子も、だけど。
「も、だい、じょうぶ……よ」
ふいに、祥子が小さな声で、途切れ途切れに言った。
「無理に喋らないで祥子。あんたもたまには休息が必要ってこと、これで骨身に染みたでしょ」
ふっと真昼の表情が和らぐ。
「休息、してて……こう、なったん、だけどね……」
祥子の言葉は、徐々にしっかりしたものになってきた。体力が回復してきたらしい。もう、いつもの祥子に戻ってる。
「全てを他人の手に委ねて、ゆっくりしてろってことよ」
真昼にも、いつもの柔らかい笑顔が戻った。
祥子と真昼は高校時代からの友人同士だ。二人の絆は、一見したよりも強い。
二人がこんな表情をするからには、もう安心だ。あたしも肩の力を抜いた。
「ごめんね、祥子ちゃん。俺が……ボートなんか薦めたから……」
祥子の傍にずっとついていた高地さんが、苦しげな表情で言う。
「まさか……ボートに、乗るって、言ったのは……私よ。自業自得。……炎天下で……なんの、防備もなく、寝るなんて……すんごいバカ」
祥子は言いながら目を閉じ、はぁっとため息をついた。
「いや、俺のせいだよ。ホントにごめん。こまめに様子を見に行けばよかった」
高地さんはまだ自分を許せないようだ。
祥子は薄く目を開け、高地さんを横目に睨んで言った。
「私が、俺が、の、取り合いで……無駄に、体力、使いたく、ないんだけど? ……私が悪いの。それで終わり」
まだ完全に力は取り戻せてないけど。
思わず口をつぐんでしまう、いつもの強さを秘めた言葉。
あたしは思わず笑ってしまった。
立ち上がって、浜辺に残してきたボートを取りに向かう。なんとなく、体を動かさずにはいられなかった。
「一人じゃ無理だろ」
いつの間についてきたのか、背後から朽木さんの声がした。顔を真っ赤にして紐を引っ張ってる最中だったあたしは、驚いた拍子にバランスを崩して尻餅をついた。
むぎゅ。確かに、湿った砂に埋もれたボートは、さっきから30センチも進んでない。
簡素な作りなんだけど、二人用の大きさは伊達ではないらしく、見た目よりずっしり重かった。
「無理っぽい」
尻餅ついたまま、頭上の朽木さんを見上げ、へへっと笑う。
もうグラサンは着けてない。いつもの端正な顔。そういえば、さっき外してからずっとそのままだったっけ。祥子を診察する朽木さん、カッコよかったなぁ、なんて思う。
朽木さんは無言でボートの紐を引っ張り、あたしは立ち上がって、ボートを後ろから押した。
さすがに男手は頼りになる。共同作業により、ボートはあっとゆう間に陸に上がった。
続いて空気を抜こうと、栓を掴む。と、
「いたっ」
親指の指先に小さな痛みが走った。
「ありゃ」
見ると、爪の先が割れている。さっきボートを引っ張った時にやっちゃったっぽい。縦に白い筋もできていた。
「どうした?」
朽木さんがあたしの手元を覗き込んで訊いてくる。
「爪割れちゃった。あうう。これじゃネイルできない」
「よく真水で洗っておけ。ネイルなんてしてたのか?」
「うすーいピンク。時々するんだよ」
「着けてるのか着けてないのか分からん化粧に意味があるのか?」
「微妙なピンクが可愛いの! 女の子のお洒落が分かんない攻め男は黙ってなさい!」
キッと朽木さんを睨んで言う。
男ってのは、どうしてこう乙女心を解さない奴らばっかなのか。
「分かった分かった。そこまで言うんなら、アロンアルファででもくっつけとけ」
朽木さんは呆れたように息をつき、腰に手を当てた。
ちょいちょい、アロンアルファってコラ。
「ムキー! あたしは宿題の工作かっ!?」
どうせまたからかってるんだろうと思った。
でも朽木さんはますます呆れた顔で、
「何言ってんだ。アロンアルファは普通に治療に使えるんだぞ。常識だ」
と返してくる。冗談を言ってるのか本当なのか、いまいち判別がつかない。
「うーん……冗談でしょ?」
朽木さんは、あんまり冗談を言う方じゃないけど。小首を傾げながら突っ込んでみた。
「今時そんなことも知らない奴がいるとはな……。困ったときのアロンアルファ。止血なんかにも一応使える。爪の補強に使えるってのも有名だ」
どこの世界で有名なのか。あたしの世界では無名なんだけど。
でも本当かどうか試してみるのも面白そうだと思って、
「じゃ、やってみよっかな」
と笑って返した。
祥子達の元に戻ると、祥子はすっかり生気を取り戻していた。
「氷が溶けちゃったな……やっぱかき氷じゃ足りないか」
拝島さんが、たぷんと揺れるビニール袋を陽に透かしながら呟く。
「あたし、コンビニで買ってきます!」
すかさず手を上げて言った。
地元の商店街の方に確かコンビニがあったはず。
パーカーを羽織り、財布を持って出かける。
「一人で行動するな」
朽木さんがついてきた。
「心配性……でもないか。さっきの奴ら、気になるもんね」
横に並ぶ朽木さんを見上げて言うと。
「お前は時々鋭いな」
なにやら感心された。
「いかにもなんか企んでそうだったもんね。報復のチャンスを待ってるのかな」
「待ってる……つもりではなさそうだったな。人気のないところを通った途端、襲われる可能性は十分にあるが……それを狙ってる風じゃなかった」
あたしはうんうん頷いて早足で歩く。
あんまり長い間、皆と離れてるのはよろしくなさそうだ。
「もし奴らが襲ってきても、お前は手出しするな。結構無茶する体質のようだが、人には向き不向きがある。自分にできることだけをやれ」
あたしは笑わざるを得なかった。
「例えば、逃げるとか? 警察を呼ぶとか? うん、いかにもあたしの役目だね」
所詮、非力なオンナですから。
まぁ実際のところそれが精一杯だろう。
納得いかないといえばいかないけど、そうそう運は味方してくれない。人間、見切りも必要なのだ。
それからあたしと朽木さんは、途中から何故か競うようにズカズカと早足で進み、駐車場を通り過ぎ、足並みを揃えながら真っ直ぐ商店街に突入した。
コンビニはすぐそこだ。
「お前、負けず嫌いだよな」
「そういう朽木さんこそ」
見えない火花が散った。
あたしはにっこり笑い、朽木さんも爽やかスマイルを浮かべる。
その一見するとにこやかな雰囲気のまま、猛烈な早足で商店街を闊歩する。
何故かすれ違う人達が、怯えたように道を空けていった。
そんなこんなでコンビニに到着。
手早く買い物を済ませて、来た道を戻る。
「可愛気ないとか言われないか?」
「近所で評判の可愛いお嬢さんですが?」
はて、なんでこんな展開になるんだろう?
どうやらあたしと朽木さんは、角をつき合わさずにはいられないようだ。
やがてまた駐車場の入り口が見えてきて。
「っ!」
思わず、足を止める。
期せずして、朽木さんの足も、同じくピタッと止まった。
あたしに揃えたわけじゃないだろう。
「あれは――」
ムードは一転し、緊迫感を孕んだものになった。
何故なら――――
奴らの姿が、見えたからだ。