Act. 19-2
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七年ぶりにもなる屋敷は、相変わらず無駄にでかかった。
長居するつもりのない俺はバイクを屋敷の前に停め、メイドの開く扉の中へと入って行った。
すぐに別のメイドが部屋へと案内するべく俺の前に現れる。使用人も無駄に多い。そういうところがいちいち癇に障るんだ。
赤いカーペットの敷かれた廊下をメイドについて歩いていると、途中、廊下の端で俺を睨みつける神薙蓮実を見つけた。
憎悪で瞳を燃やしている。歓迎しない来客をどうやって追い返したものか必死に策を練っていることだろう。
そちらから姿を見せてくれるとは都合がいい。
俺は道を逸れ、神薙蓮実の正面に向かった。
「見てのとおり、妨害工作は失敗に終わりました」
「なんのことかしら」
素知らぬ風に澄ました顔で言ってのける神薙蓮実。たいしたタヌキだ。
この屋敷は、廊下などいたるところに監視カメラが設置されている。セキュリティ向上のためであることは無論だが、台数が増えたのは俺の脱走防止のためだった。
その監視カメラが構えている前でへたなことはできない、ということだろう。今は己の保身の方が大事らしい。
俺を隠そうとしたことが神薙にばれれば自分の身が危ういというのに、強硬手段に出てしまった浅はかさは不思議と憎めない。
それは、正妻としてのプライドか。母親としてのプライドか――。
この人も、この人なりに足掻いている。
「記念式典はいつなんです?」
俺はさりげなく監視カメラから神薙蓮実を隠す位置に立った。
「一週間後よ」
神薙蓮実は澄ました顔を崩さずに答えた。
「なめられたものですね僕も。たった一週間で意志を曲げられると思われるとは」
「普通の人間は神薙がひと睨みすれば一日で考えを改めるものだけど。あの人の圧力に三年間耐えたのはあなただけ……そこだけは、認めてあげるわ」
「それはどうも」
俺は一瞬ふっと表情を緩め、
「ところで」
次の瞬間、薄い微笑を浮かべると共に、折ることなど造作もない細い手首を鋭く掴んだ。
肩を痛めた拝島の姿、忘れてはいない。
「忠告しておきます。今後あなたが選ぶ手段に、僕の友人を傷つける行為が含まれていたら――」
びくり、と俺を見上げる黒い瞳を強く覗き込む。
「死よりも屈辱的な立場に追い込んでさしあげますよ?」
確実に。地獄へと落とす。
「――っ!」
俺の本気を感じ取ったその瞳が恐怖に見開かれるのを、昏い愉悦と共に見下ろした。
顔色をなくす神薙蓮実から身を離し、微笑を浮かべたまま再び足を廊下の奥に向ける。
「そうそう。神薙の正妻の位置にしがみついていたいのなら、大人しくしているのが賢明です」
言い捨て、無言で震える神薙蓮実を置いて立ち去る。
おろおろと俺を待つメイドのもとに戻り、案内を続けるよう促すと、まだ経験の浅そうなメイドはやや怯えた瞳を俺に残して再び廊下を進みだした。
連れていこうとしている場所は、位置的に応接室でも客室でもない。
どうやらそのまま監禁するつもりらしい懐かしき説教部屋へのルートだ。
ふと、行き過ぎた横の廊下の奥から、聞き間違えるはずもない甲高い声が微かに聞こえた気がして俺は立ち止まった。
意味もなくでかいあいつの声は、多少の分厚い壁では隠せない。
……また何をがなってるんだあいつは。
こちらです、と先を行くメイドが声から遠ざかる方向へ俺を導こうとする。
悪いが、長居するつもりはない。
俺はひとつ息を吐き出すと、メイドに背を向けた。
<<<< 栗子side >>>>
「例の部屋で待たせておけ」
そんな会長さんの言葉に従い、黒服さんは通話相手に指示を与えた。
今頃朽木さんは、あの大きな門を通り抜けてるところだろうか。
あたしとは別の部屋に監禁されるらしい。この様子じゃしばらく会えそうもないなと、あたしはこきこき肩を鳴らした。
長時間車に乗せられてたし、座りっぱなしでいい加減疲れたよ。
しばらく無言で通話が終わるのを待つ。と、無線機でやり取りしていた黒服さんが、急に焦った声をだした。
「なっ……! いきなりか!?」
何がいきなりなんだ?
きょとんとしていると、黒服さんは会長さんを再び振り向いた。
「会長。冬也さまが門の監視カメラを破壊したそうです」
ぶっ。ナニやってんだ朽木さん。
「またか……相変わらず短気な奴だ」
ため息をついてから黒服さんに「放っておけ。まとめて明日にでも修理しろ」と指示する会長さん。
「あははは! 昔もよく壊してたんですか、朽木さん!?」
こらえきれずに笑い声をあげながら訊くと。
「監視カメラは気に障るらしい。目につくカメラ全て壊してまわっていた」
なんともやんちゃな少年時代を思い起こさせるお答え。
なるほど。あたしの隠し撮りを嫌がるもとはここにあったのか。
「う~ん、暴れん坊だった朽木さん、見たかったな~。まぁ今でも充分暴力的なんですけど」
怒ったらつい手が出てしまうあのステキな短気ぶりはこうして培われていったと。朽木さんの歴史を垣間見れたようでちょっとほのぼの。
その時ちょうどメイドさんがやってきて、紅茶を出してくれた。一旦休憩することにしたのか、会長さんもお茶を飲んで一息つく。
うーん、いい香り。いかにもお高い紅茶だ。あたしも茶菓子をパクつき、しばらくほのぼのと和やかな雰囲気の中、昔の朽木さんがどうだったか会長さんに訊きまくる。
会長さんは表情を変えず、淡々と語ってくれる。部屋中の物を壊しまくった朽木さん。窓から脱走しようとした朽木さん。
だけど無駄話に飽きたのか、やがてティーカップから手を離し、再び鋭い瞳であたしを見た。
「――冬也のことはもういい。答えたまえ。君が私の要求を呑むために必要なものはなんだ」
ありゃりゃもう終わりか。もう少し時間稼ぎがしたかったんだけど。
もう話を戻す気満々の会長さんに、あたしは仕方なくため息をついて答えた。
「あのですね、はっきり言いますけど、必要なものは自分で揃えるし、朽木さんとあたしは特別な関係じゃありません」
どっちかっつーと『特殊な関係』なんだけど、それをこの人に言ったところで理解してもらえるかどうか……。
案の定。
「そうかね? 君を連れさらったことは相当頭にきているようだが」
大勘違いもいいところな突っ込み。はぁ。やっぱりダメそう。言い訳するのも段々面倒になってきて、あたしは半ば呆れながら。
「あの人の不機嫌はデフォルトですから」
空っぽになったティーポットにがっかりしながら答える。
朽木さんが怒ってるわけがない。あたしが自分から行ったこと、高地さんから聞いて知ってるはずだし。
むしろあたしに怒ってるのかも。勝手なマネするなこの腐女子が! とか。がくぶる。
会長さんはやっぱりまったく聞く耳持たないといった風に口の端を小さく吊り上げた。
「君は、自分が思っている以上に価値がある。君がここにいる限り、冬也は逃げ出さん」
「それってあたしも監禁するつもりってことですか?」
むむ。そういうこともあるかもなー、とは思ってたけど。やっぱりそうか。
口を尖らせて言うと、会長さんは優位に立つ者の余裕を纏ってあたしを見据えた。
「先ほどの話に同意するまではそうだ」
「危害を加えるつもりはないなんて、よく言ったもんですよ。脅すわ人をさらうわ、ホントに似たもの親子ですよアンタら、やること一緒すぎです」
はぁ。思わずため息。
「だからこそ冬也は跡継ぎとしてふさわしい」
まぁ、それは確かにそうかもだけど。
「でも会長さんは頑固すぎだし、ちょっとぬけてますね。あたしにサヨナラされたって朽木さんは痛くも痒くもないし。むしろ手放しで喜ぶかも」
「そんなことは……」
会長さんの言葉をニッと笑いで封じる。もうマジメに受け答えるのもバカらしい。
とっとと終わらせよう。唐突に、あたしはでれっと椅子にもたれかかった。
「だってあたし、ただのストーカーだしぃ~~~~」
ったく。こんな茶番、つきあってられるかっての。がらっと言葉遣いも変え、語尾上がりに言い放ち、眉をひそめる会長さんを横目に見る。
「……ストーカー?」
「うん、あたしはただの追っかけ腐女子。朽木さんがイケメンだから勝手に写真撮ってるだけで、朽木さんには嫌われてるんだな、これが。人選ミスごくろーさん」
「なっ……!」
「あの朽木さんが本気であたしを助けにきたと思ってんの? んなわけないじゃん。朽木さんはね、決着つけにきたんだよ」
そう。立ち向かうために来た。
この人とじゃない。多分、過去の自分と。
「この女っ! 会長になんて口のききかたを!」
途端に後ろから襟首を掴まれ、あたしはテーブルに前身を叩きつけられた。
どうやら黒服さんの許容量を超えたらしい。
「……君は、少し口がすぎるな」
会長さんの、静かだけどわずかに険を含む声が、これから先の展開を匂わせる。
わかっていますとも。何が言いたいのか。そんなに威圧しなくってもさ。
「冬也がどういうつもりでここに来たのか、君に諭される筋合いはない。本人にきいてみればいいことだ。君はただ、私の言うことに従えばいい」
朽木さんの気力を奪うその作戦のキモはあたし。
あたしを屈服させること。それが大前提ってわけなんでしょ?
「朽木さんのストーカーやめるだなんて、言ってたまるかランキング第1位だよ。おことわり」
首ねっこを押さえられ、テーブルに突っ伏した恰好のまま、顔だけ会長さんに向けてあたしはフンッと鼻を鳴らした。
「もう少し頭を使ったらどうだ。考えが足りんな、桑名栗子くん」
「考えが足りんのはどっちだか。こういうやり方で、朽木さんを思いどおりにできるわけないじゃん」
「冬也は賢い男だ。一度つまらない世界への執着を捨てさえすれば、どういう生き方が自分に得かわかるはずだ」
ぴくっ。と頬がひきつる。
「自分に得? 執着を捨てることが? へぇぇ~~おじさんには得だったんだぁ~~?」
自然と声が高くなる。
いらいら。再びいらつきが増してきて。
「当然だ。神薙の名を継ぐことこそが神薙の者にとって最高の……」
ぷちっ。
ふふ。ふふふふふ……。
「そんなの、負けを認めたくないからそう思い込んでるだけじゃんっ!!」
キレた。
キレましたよあたし。
「――っ!」
「神薙を受け入れる!? 夢を諦めることが得!? 名前に負けた自分を慰めてるだけじゃん! そんなのを朽木さんに押しつけるだなんて、天が許してもストーカーのこのあたしが許さないっ!」
全力で喉を振り絞る。
「子供は自分の分身ってか!? 自分と同じ人生をなぞらせるってか!? 違うね! 朽木さんはおじさんとは違う。どんなに似ててもおじさんのコピーなんかじゃないんだよっ!」
「なっ」
「だっておじさんは負けたんでしょ!? 運命だと思って諦めたんでしょ!? でも朽木さんは違う。負けたりしない。昔もこれからも、諦めることを運命だなんてあの人は絶対に認めない!」
そうだよ。朽木さんはこの人とは違う。
もっとずっとずっと。朽木さんのほうが数百倍カッコイイ。
大企業? 世界の神薙? 笑わせる。そんな肩書きなんかなくたって朽木さんは輝いてる。
どんな舞台でだって戦える人なんだ。そんな朽木さんをこんな人と。
こんな人なんかと。
「あんたみたいな負け犬と朽木さんを一緒にするなっ!!」
「小娘っ!」
パンッ
頬に痛みが走る。あたしはハッとなる会長さんににやりと笑ってみせた。
「怒ったね。怒ったのは図星だから。そうでしょ?」
うろたえ、自分の手とあたしを交互に見つめる会長さんに更なる挑発をかける。会長さんの顔がみるみる歪んでいくのをどこか冴えた頭で見つめた。
「小娘。いい気に」
「なりますとも。ちゃんちゃらおかしすぎて。笑いがとまらないね」
じんじんと頬が痛む。打ちつけた顎も痛い。だけど止まるもんか。朽木さんがそこまで来てる。
「とんだ茶番だよ。朽木さんがあんたみたいな小物の言いなりになる? あり得ない」
会長さんを下から睨み上げ、あたしは喋り続けた。
「朽木さんはね、性格の悪さと諦めの悪さは天下一品なんだよ。エベレスト級の負けず嫌いなんだよ」
だから誰よりも強く。誰よりも厳しく。誰よりも努力してる。
あたしが見込んだ人。どこまでも輝いてる人。
「絶対に妥協しない、完全無欠の攻め男なんだよ」
鋭く、誰よりも激しく、そして最高に熱い人。
だからあたしは追いかける。傍に行くんだ。
あの人の見てる遥かな高みのきらめく世界を、あたしも見せてもらうんだ。
誰にも邪魔させない。離れない。だって朽木さんは。
朽木さんは――――
「朽木さんは、あたしにも負けないどす黒俺様王子なんだからっ!!」
バンッ!
「お前にだけは言われたくないと言っただろっ!」
次回、いよいよ最終回です!